こんなことを書いたりして、
読者の方々を心配させてしまったかもしれないし、
いや、お前の心配なんて誰もしねーよ、
とツッコミを入れているかたもいるかもしれないが、
兎にも角にも、僕は卒論を書き終えた。
ただそれだけの報告で、
ありていに言えばそれ以外に書くことなどない。
でも卒論を書き終えると、
途端に、自分は大学を卒業するんだな。
という実感めいたものを感じてしまう。
僕はまだアカデミアに残るし、
院生活が始まっていく予定なわけだけれど、
それでも、大学の四年間が幕を下ろそうとしているという実感が、
物理的に訪れてくる。
僕の大学(僕の学部)は、
未だに卒論は紙で提出することになっているのだが、
印刷物としての質量のある卒論と、
データとしての質量のない卒論では、
物理的に重みが違うし、
物理的に重みが違うと、
感情的な重みまで違って感じた。
本とか、論文とか、
僕は紙でないと内容が頭に残らない。
僕のようなもともとアナログ大好きなアナログ人間には、
質量を持った物質を手垢をつけながら(物理的に)読まないと、
何も残ってはくれないらしい。
本当はブログも紙で書いたほうが良いのかもしれない。
でもブログは何を書いても何を書かなくても良いわけで、
頭に残らないという良さがあるのかもしれない。
自分の鬱屈した気持ちや感情は、
質量のないテキストにして、
忘れてしまったほうが精神衛生上、健康的だ。
体系的な知識や、古典的な知恵みたいな、
抽象度の高い質量のない思想みたいなものは、
逆に紙のような質量のある次元に抽象度を下げてこないと、
理解しにくいという側面もあるのかもしれない。
もし、僕の卒論が読みたいなら、
質量のある卒論を住所まで送りつけるサービスをやってもいい。
1万円くらいでどうだろうか?
いや100万円払ってくれたら送料無料で送りつけてしんぜよう。
ということで、卒論を書き終えたのでした。
(ということで、の乱用)