僕はかれこれ4年くらいブログを書き続けているのだけれど、
たいしたブログにはなっていないし、
これから劇的に人気になるとは思えない。
というか、そんなに人気になることを目的として書いていないし、
万人受けするようなことを書いているわけでもない。
でもたまーに、
こんなに書いているのに、
あまり成果がみられないよなー。
って思ってしまうときがある。
定期的にこういう感情に飲み込まれそうになるのだけれど、
社会的にそういう空気みたいなものが流れているからなのかもしれない。
たぶん読者の方々もSNSをやっていると思うし、
もしかしたら僕と同じような感情にさいなまれている人もいるかもしれない。
でも僕はいつも
「それは自分で考えたことなの?」
と問うことにしている。
その答えは明白で、
「自分で考えたことではない」
普段は何も思わずに、自分の書きたいことを
書きたいように書いているのに、
ふとしたときに湧き上がってくる。
ということは、普段はそんなことを考えずに書けているわけだ。
普段はそんなことを考えずに書けているということは、
自分の本来性は、そんなことを気にしているわけではないということで、
自分の本来性から外れてしまったときに、
ふと、アテンション・エコノミーに飲み込まれているだけだということ。
アテンション・エコノミーとは人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況や概念のこと。 日本語では「関心経済」や「注意経済」と呼ばれることもある。
簡単に言えば、
たくさんの関心を得ることに価値がある。
という洗脳のことだと思えば良い。
洗脳というと大げさだと思われるかもしれないが、
洗脳と言っても過言ではない。
社会から日常的にSNSを通して、
関心を集めることには価値がある!
と吹き込まれているのだから。
日常的に吹き込まれていると、
それが潜在意識に刷り込まれて、
当たり前が書き換わってしまう。
これは洗脳の手法と似ている、というか、同じだ。
インセプションという映画の中でも、
人の潜在意識に入り込むことが描かれているけれど、
まさにあんな感じで、
人が本来性で大事にしているものを奪おうとしているのが、
SNSだと言える。
かといって、SNSと完全に切り離された生活ができる人は少ないだろうし、
いっときデトックスしたとしても、
また揺り戻されてしまうのが現状なのではないだろうか。
でも、読者の方々には、思い出してほしい。
自分の本来性を。
社会から洗脳されているだけだということを。
数を稼ぐのに価値があるわけではない。
自分で価値を決めることのほうが価値がある。
そういう軸をぶらさずに生きてほしいなと思う。
もし、なにか挑戦をしようとしていて、
数を意識してしまうがあまり、
尻込みしてしまっているのなら、
それはもったいないことだ。
数はおいておいて、
自分の本来性に耳を傾けるようにしてほしい。
意識していないと、すぐに忘れていってしまう世の中だからこそ、
ぜひ意識して生活してほしい。
ということで、最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
では!