僕は神様を信じています!
こんなことを書くと、
いかにもスピリチュアルって感じで、
スピリチュアルに抵抗がある人には煙たがられるかもしれない。
でも、僕は神様を信じていて、
神様に守られているなと感じる。
なんでそう感じるようになったのか、
ということについて、
今まで書いてこなかったので、
一応書いておこうと思った次第。
僕が神様を本気で信じ始めたのは、
大学に入る前だった。
小さいころから神社には行っていたし、
神社に行くのは好きだったのだけれど、
神様についてガチで意識しはじめたのは、
大学に入る前だったと記憶している。
大学に入る前、つまり浪人が終わったころ、
地元の挙母神社にお参りしたのがきっかけだった。
挙母神社には子供の時から毎年初詣には行っていた。
大学に受かって神戸に来る前に、
一回ちゃんとお礼を言いに行かないとな、
って思った。
買ったばかりのスーツを身にまとって、
挙母神社に行ったのだけれど、
その当時の感情をすべて言い表せる言葉を、
僕はまだ持ち合わせていない。
でも本当に静謐な空気感で、
なんとも言い難い穏やかな感情になった。
思わず吐息が漏れてしまうような、
一気に呼吸が深くなって、気分が凪いでいくような、そんな感情。
たぶん、そのときに神様っているんだなあ、
と直感したのだと思う。
正直なところ浪人期間はあまり良いことがなくて、
月なみな表現でいうところの、どん底で、
それでも一応は納得のいく大学に受かった。
その当時は今ほど神様のことを知らなかったし、
神様の名前とか、由緒とか、そんなことは知らなかった。
でも自然な気持ちで、感謝の念が沸き起こってきて、
ただ純粋に祈れた。
それから大学に入ってからは、
古事記を読んだり、神社チャンネルを見始めたり、
神社の参拝セミナーに行ったり、各地の神社に行ってみたり、
一気に神様とか、神社とか、神道への興味が湧き上がって、
その興味の赴くままに学んでいった感じだった。
神様っているんだなあと感じる瞬間は、
大学に入ってからもたくさんあった。
普通はありえないような出会いに恵まれたり、
神様に応援されているとしか思えないような出来事があった。
でも一番神様に守られているなと感じるのは、
今生きているということ。
おそらく、今生きているというのは当たり前、
別にそんな大げさに騒ぐほどのことではない。
と思っている人は多いと思う。
でも、僕にとって、今生きているというのはかなり奇跡的なこと。
その理由は出生にある。
僕は死にかけながら生まれてきた人間なのだ。
要は流産しかけで生まれてきた人間で、
流産を乗り越えて生まれてきたのが僕であるということ。
生まれてきて良かった!と思うたびに出生に思いをはせる。
出生に思いをはせるたびに、僕は神様を感じざるを得ない。
大学に入って、生まれてきて良かったと思うたびに、神様を感じた。
考えてみれば、僕が神様を信じるのは当然で、
僕が神社に惹かれるのは必然だったのかもしれない。
出生という奇跡に人よりも気づきやすい環境に生まれついたのだから。
怪我の光明というか、
不幸中の幸いというか、
禍転じて福となすというか、
僕にとっての一番の神様からの愛は、出生にあったのだ。
僕は特別それを感じやすかっただけであって、
それはたぶん誰にだって言えるのだと思う。
生きているっていうだけで奇跡的だ。
生きているのではなく、生かされている意識に僕は至りやすかった。
それだけではないかもしれないけれど、
僕が神様を信じるようになったわけの根本はそこにある。
僕は神様を愛しているし、大好きだ。
神様は今も僕を見守ってくれている。
感謝せずにはいられない。