ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

愛のある行為と、神様的な愛について

愛のある行為についてってなんか気持ち悪い笑

だけど、なんとなく、最近感じることなので、

一応書いておきたい。

 

まずは謝罪から。

マーク・トウェインの「人間とはなにか」の書評はちょっと親について悪く書きすぎた。

すいません。笑

 

僕が言いたかったのは、

親は子供に対して、なにかやってあげている、ということをあまり思わないほうが良いということだけ。

 

だって、それには自分を満たしたいという欲求が少なくともあるかもしれないから。

 

人が傲慢になるときっていうのは、押し付けがましさ、が立ち現れてきたときで、

親のやってあげている感っていうのはまさにそれなのだと思うわけ。

 

自分はこう思っているし、

自分はあなたはこうした方が良い。

と一個人として思ってるよ。

くらいの伝え方のほうが相手に受け入れてもらいやすいのではないかと思う。

 

愛のある行為っていうのは、

まさにそういう感じで、

押し付けがましくなく、

単に自分がそうしたいとか、

そうしたほうが良いと思って、

単純に行動を起こしたときなのではないかと思ったりする。

 

どこかさっぱりしていて、

軽くて、温かくて、ふんわりしているような

そんな雰囲気が漂ってるのは愛なのかもしれない。

 

たぶん女の人は、そういう雰囲気を感じる力が男よりも強くて、

その雰囲気のときは楽しそうにしてくれるし、

逆の場合は、不機嫌になってくれる。

 

別に一つの正解があるわけではないけれど、

その雰囲気、空気、オーラみたいなものを感じるのって結構大事で、その感度みたいなものは男であっても鍛えていかないといけないのかもしれない。

 

神社参拝をしていると、そういう雰囲気とか空気を感じる力は自然と身につくかもしれない。

神様的な愛が一番抽象度が高くて、そこが目指すべき究極の愛だから。

 

なんか不思議だなぁとか、

こんな偶然ってあるんだなぁとか、

そういうことでも、

あぁ、神様が守ってくれてるんだなぁ。

って神様の愛を感じることはできる。

 

僕は割と変な人生を送ってきたので、

そういう変な偶然とか、

変な出会いみたいなものに、

神様的な愛を感じることが多い。

 

今日1日から、なにか神様の愛を感じてみたり、

なにか愛のある行動をできると良いですね。

では良い一日を。