ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

「人間とは何か」 (マーク・トウェイン)を読んで考えたこと

 

最近は読書量が減っているが、

それでもなるべく面白い本をブログで紹介したいので、

名著を読んでみた!

 

今回紹介するのは、人間とは何か(マーク・トウェイン)

 

漫画版もあるらしい。

 

 

結論から言って、

すごく面白かったので、オススメ。

 

というか、僕がこのブログで紹介している本は、

オススメじゃないと紹介しないので、

言うまでもないのだけれども笑

 

ざっくり、この本の要旨をまとめると

  • 人間は機械である
  • 人間は自己満足のためだけに動く
  • 人間は気質と環境の影響を受けているだけ
  • 人間は創造することはできない
  • 人間に自由意志は存在しない

だいたいこんな感じのことを老人と青年の対話形式で語られている。

 

  1. 老人は人生に幻滅していて、悟っている。
  2. 青年は一般的な視点から老人に反論する。
  3. 老人は青年を論破し続ける。

 

という構成になっている。

 

要は、ペシミスト(老人)VSロマンチスト(青年)

という構図で、ずっと議論しているという感じ。

 

僕は昔から(中学生のときから)人間って利己的だな。

って思って生きてきたし、

人間っていうのは自己満足のためだけに生きていると思ってきたから、

ぶっちゃけこの本に書かれていた主張は、僕が思ってきたことと似ていた。

 

誰かに優しくするのも、結局は自分が誰かに優しくしないといたたまれないから。

 

こういうことに気づかされたのは、

BUMP OF CHICKENのおかげ。

この本の内容そのもののような歌なので、

聞いてみると良い。


www.youtube.com

ねぇ 優しさってなんだと思う 僕少し解ってきたよ
きっとさ 君に渡そうとしたら 粉々になるよ
ねぇ 君のために生きたって 僕のためになっちゃうんだ
本当さ 僕が笑いたくて 君を笑わせてるだけなんだ ごめんね
人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない
ねぇ 心の中に無いよ 僕のためのものしかないよ
そうじゃないものを 渡したいけど 渡したい僕がいる
 
BUMP OF CHICKEN「ひとりごと」より
 
本当の優しさって、全く「自分のため」がない優しさなんじゃないか。
でも、優しくあろうとしても、優しくあろうとしている限り、それは「自分が」を含んでしまう。
 
そういう感じ。
 
結局のところ人間が
人のために頑張りたい!とか、
世のために頑張りたい!とか、
そういうきれい事を言っても、
それには必ず、自分が満足したい、っていう欲求が含まれてしまう。
そういうノイズが含まれてしまう時点で、
もう純粋なキレイな思いではないよね。
っていう話で。
 
純粋な人のために頑張りたい!っていう思いは、
どういうときに立ち現れるのか?
たぶんそれは、結果として立ち現れる。
人間はどこまでも自分のために動いている。
自分のためにやっている、
なのに誰かのためになってしまっていた。
これこそが本当の贈与なのだと、
誰かが言っていたけれど、
純粋なきれい事はすべて結果だけ見れば良い。
本当の思いなど見えないのだから。
結果として人のためになっていたのなら、
もしかしたら自己満足のもっと奥の一番始まりのところでは、
誰かのことを祈っていたのかもしれない。
そういう神的な意志が働いていたのかもしれない。
 
人間は全員、自分のために動くと思っておけば、
だいたいのことを許すことができる。
道徳とか規範とか常識とかコモンセンスとか、
そういうのも全部自分のためにあるべきで、
別に自分のためにならないなら、
そんなものは捨ててしまって良いのだと思う。
 
たとえ、誰かのために何かしてあげたいと思って行動しても、
それが本当に「その誰かのため」なのかは、
結果を見ないとわからないのだから、
誰かのために動いたのだとしてもそれをさも良いことをしたかのように言うのは間違っていると思う。
「あなたのためを思って言っているのよ!」
みたいなことを他人から言われたら、
「いや、お前自身のために言ってるだけやん。アホ言うな」
と言えばいい。
 
 
あなたのため!を強調する奴ほど、
自分のことしか考えていない。
 
親とかでもそう。
 
親が子どもの決断に対してとやかくいうのは、
結局自分のため。
今まで育ててやったんだから、とか
どれだけ迷惑をかけられてきたか、とか
そういう思いしかない。
 
自分が注いできたリソースに見合うリターンを返せ。
ということにすぎない。
 
今まで育ててやったんだから親に従え。
今まで苦労をしてやったんだから親の言うことを聞け。
今ここで子どもが親の系外に出るのは許さん。
 
っていうことに過ぎない。
 
結局のところを考えてみると、
結婚するのも自分のためなのだろうし、
子どもを産むのも自分のためなんだろうと思う。
 
結婚したいのは安定したいからで、
子どもを産むのは育ててみたいと思ったからで、
お母さんが子どもを産むのは子どもを産みたいと自分が思ったからで、
 
どんだけ大変な思いをして子どもを産もうが、
それはお前の選択だろ。
責任転嫁してんじゃねーよ。
ということに過ぎない。
 
大人っていうのは自分の選択に責任を持てる人っていうことで、
そういう自分が選んだことなのに、
他人のため、という言い訳にすり替えている連中は図体がでかいだけの子どもだ。
 

話が飛躍してしまったけれど、

まあ、要は、どんな人であっても自分のために生きているということ。

 

そんな感じで、

僕の考えてきたこととかなり親和性のある本で、

すごく面白かった。

 

ちなみに、僕は別に親には感謝している笑

だけど、僕は僕の生きたいように生きるし、それに介入させはしない。

もうそろそろ親は親の生きたいように生きれば良いし、

僕は僕の好きなように生きる。っていうことを思っているだけ。

 

この本はどこかペシミスティックで冷たいと思われがちだけれど、

希望的な話だと僕は思った。

何も絶望的な話ではないし、

一種の真理なのだと思う。

 

僕がこの話を希望的だと思ったのは、人間に対して諦観しているからかもしれない。

 

人間はみな自己満足のために生きていて、生まれ持った気質と周りの環境の影響を受けて生きている。

なんで、これがペシミスティックなのだろう。

 

僕はロマンチックにも聞こえる。

人間がみんな自己満足のために生きているのに、

世界はこんなにうまく回っているし、

僕は僕なりの生まれ持った気質と周りから受けた影響を、

ふんだんに表現できている。

 

まあ、僕は生まれ持った気質が恵まれているし、

周りから受ける影響も恵まれている。

だから希望的に捉えられたのかも知れない。

 

でも、今の時代、どんなに遠く離れていても影響を受けることができる。

ネットがこんなに発達した時代には生まれ持った気質がめっちゃ悪くない限り、

やりようはいくらでもあるはずだし、

有史始まって以来、最も良い影響を世界の素晴らしい人たちから受けられる時代だ。

最高の時代に生まれてこれたとは思わないだろうか。

 

人間が、創造もできない模倣と組み替えだけの機械なのだとしても、

その模倣の種類と組み替えの種類は未だかつてないくらいに多様化している。

しかもそれは自分の手でできる。

なんて希望的な話なんだろう。と思わないのだろうか。

 

僕はこの話はこの時代においては超絶希望的な話だと思った。

 

ということで、面白いのでオススメです。