ネットフリックスで花束みたいな恋をした
が見放題になっていたので、
見た。
前から気にはなっていた映画だったので、
見れて良かった。
結論から言うと、
いい映画だったと思う。
普通におもしろいのでおすすめである。
ざっくりあらすじ的なことを述べておくと、
大学生のときに偶然であった二人が恋におち、
そこからの紆余曲折を描いている映画である。
ここからは多少、ネタバレを含むため、
ネタバレが嫌な方はここでページを閉じてほしい。
もしくは、見た上でこのページに帰ってきてほしい。
ということで、
※以下ネタバレあり※
我慢した方が負け
まず、見た方々はわかるだろうが、
我慢したほうが負けなのである。
麦くん(菅田将暉)と絹ちゃん(有村架純)がいたけれど、
我慢したのは麦の方だった。
要は男のほうが生計を立てるために夢を捨てて、就職した。
ここまではよくある話だと思う。
自分がやりたいことを貫かず、
諦めたのが、二人がうまく行かなくなった根本的な原因だと言える。
とは言いつつ、
お金は大事だし、
恋愛においては死活問題なのだと思う。
恋愛においてもお金がなければ、どうしようもない。
ところで、恋愛において、
恋が愛に変わる瞬間ってどんなときなのだろう。
最後の方で、麦が恋愛感情がなくなっても、、、、みたいな話をしていたけれど、
恋愛感情というからには、恋感情と愛感情があってしかるべきなのではないか。
恋感情のことをだいたいの意味において恋愛感情と定義しているのだとおもうけれど、
愛感情とは何なのだろう。
恋感情は割とわかりやすい。
麦と絹みたいに、
共通の趣味を通じて好きになったり、
たまたまが重なることに対して運命的なものを感じる。
それが恋感情的なものだと思う。
じゃあ、愛感情は?
なんであの二人には愛感情がなかったのだろうか?
あの二人は、「花束みたいな恋をした」のであって、
恋愛をしたわけではない。
恋を愛に昇華させることができなかったとも言っていい。
あと一歩のところだった。
と麦が最後の方で言っていたが、
その一歩とは、恋を愛に昇華させることなのではないか。
愛なき結婚には意義がない。
恋と愛は別物。
恋のようなドキドキ感が愛にはないから。
恋が波だとすると、愛は凪だ。
淡々と愛を相手に向けることができる人同士でないと、
真の意味で幸せな結婚などできないのだろう。
じゃあ聞きたい。
愛にお金はいるのだろうか?
もっと言うと、
お金で愛は買えるか?
無理だろ。絶対に買えないぜ。
自分が我慢して稼ぐから、現状維持しよう。
って愛か?
我慢して愛を生み出そうって、本気で言ってるのか?
愛ってそんな簡単なものじゃなくないか。
だから我慢した上に存在する恋愛なんていうのは嘘っぱちだ。
我慢したほうが負け。
めんどくさいから結婚しよう!への疑義
麦の方は、とにかく結婚したい。
なんで結婚したいのだろうか。
めんどくさいからだろう。
別に愛があるわけでもない。
恋感情は消えてしまった。
なら、なぜ結婚したいのか。
普通の人みたいに、子供を産んで、幸せに、
がそういう人の決り文句のようだ。
普通ってなんだ。
普通の家庭などこの世に存在しているか?
どんな家庭にでも問題はあるし、
どんなに幸福そうな家庭にも何か重大な秘密があるのが常だ。
そりゃそうだ。
人間が何十年も生活をともにして問題が起きないわけがない。
人それぞれ、抱えてきたテーマがある。
そのテーマを共有するのが家族であり、
そのテーマの大きさに応じて、家族のテーマも大きくなる。
家族が増えれば、それだけテーマも複雑になる。
年をとると人間も変わる。
そんないろんなパラメータがからみあった人間関係が家族であって、
普通の家族なんてあり得るはずがないのだ。
「普通」だなんて思うのは傲慢で、
表面上「普通」を演じている、という注釈が必要だ。
人間だれしも幸せになりたい。
不安定は疲れるから安定したい。
それは根源的に持っている。
けれど、安定した幸せなど存在するのか。
麦は、安定を求めた。
不安定な生活に嫌気がさした。
外からの圧力もあった。(お互いの家族からの圧力)
でもたぶん、学生のときは学生のときで、
幸せだったんじゃないだろうか。
お金はない。生活は不安定。でも何か幸せ、
そういう小さな幸せはたぶんあったんだと思う。
それが不安定な幸せ。
安定した幸せってどこか不自然じゃないだろうか。
そもそもこの世界は流転している。
諸行無常、万物は流転しているのが、この世界。
一見安定しているようなこの社会も、
一発の核兵器で吹っ飛ぶ。
そういう危うさ、不安定さの中に存在している。
そんな中にある幸せも当然、安定しているはずがないのでは?
人間だって日々変化している。
動的平衡なだけで、毎日細胞は入れ替わっているし、
毎日食べるものは違うし、毎日不安定な中に生きている。
体調も変わる、体力も変わる、思考も変わる、情報も変わる、
気分なんてものすごくよく変る。
何もかもが変わっていく中で、安定した幸せなど皆無なのではないか。
麦が幸せそうではないのは、安定した幸せがあるという思い込みのせい。
安定した幸せなどないのに、それがあると思い込んだ。
現状維持が目標と言っていたけれど、
絶対に現状維持など不可能だ。
どこかで破綻する。
リーマンショックさながらの大暴落は必ず起きる。
つまり、現状維持を目標にした時点で詰んでいた。
ということなのではないか。
幸せも日々進化させ、深化させていかなければいけない。
止まったら負け。止まった瞬間が不幸の始まりなのかもしれない。
大人の恋愛とは?????
そこで考えてみたいのが、
大人の恋愛って何なの?????ということ。
僕にとって、大人の恋愛は意味がわからない。
大人って誰?
いつになったら大人になるの?
大人はいつ大人になった?
誰から大人と認められれば良い?
そう考えてみると、大人というのは、止まっている人だと思う。
変化に疲れて、変わることをやめた人。
それが大人だ。
日々変わり続けている人は大人じゃない。圧倒的に子供だ。
恋愛において大人な恋愛というとき、
変わらない人同士の恋愛ということになる。
男女両方ともが変わらないことを固く決意しているということだ。
お互いがお互いで契約を結び、変わらない契約をしている。
別にお互いのことが嫌いなわけではない。
でも圧倒的に好きっていうわけでもない。
でもとりあえず、安定しておきたいし、
一応の「それなり」を維持できるから、
とりあえず付き合いを続けておこう。
これが大人な恋愛か。
その延長に「じゃあ、結婚しよう」があるのか。
僕は一生、大人な恋愛など知らなくても良いし、
大人な恋愛などクソくらえだと思う。
そんな愛なき恋愛は恋愛ではない。
そんな見せかけの恋愛ではなくて、
真の意味で恋愛するにはどうしたらいいのか。
それは各々が見つければよろしいのだけれど、
まずは自分から変わるしかない。
自分から愛を放出できる人間になるしかない。
その上で、良いご縁に結ばれることを待つしかない。
神がかる瞬間を待つしかない。
でも神がかる瞬間は、ただ待つだけでは降りてこない。
徹底された準備が必要だ。
徹底された準備が人間力を磨くこと。魅力を上げること。
人生に真っ向から勝負を挑むこと。
結局それ以外にやれることなどないのだと僕は思った。