バイト先がなくなりそうだ。
どうやら潰れてしまうらしい。
そろそろやばいのではないか。
と思っていたが、
やはり、きたか。
と不謹慎にも思ってしまった。
そのため、あまり驚いていない笑
バイト先がなくなることは、多少僕の生活に影響を与えるけれど、
大した影響ではない。
とくに最近は実験、実験、実験なので、
別にどうということはない。
むしろ出費は減っている。
そのためなんとかなるだろう。
家にためこんでいた名著たちをひっぱりだして読めばいいわけだし、
最近は本を買うことも少ない。
そもそも読んでいる時間が前よりも少なくなった。
無駄な本を読めなくなったのである。
これからは名著ばかり読むことになるが、
まあ、それも一興。
カラマーゾフの兄弟を読めば、確実に3ヶ月はなんとかなるし、
罪と罰を読めば、さらに3ヶ月はなんとかなる。
アンナ・カレーニナを読めば、さらに3ヶ月。
ファウストを読めば、さらに3ヶ月。
もう一年くらいは、本を買わなくても済む。
それで、本題は、風向きはほかっておけば、いつか変わる。
ということである。
バイト先はいつか潰れるし、
大企業もいつか潰れる。
どれだけ安定しているように見えるものも、
いつかはなくなる。
永遠に存在するものなどこの世にはない。
あのGAFAでさえ、メタバースによって破壊されるかもしれないらしいのだから。
結局の所は、風向きしだい。
追い風の時期が過ぎれば、必ず向かい風による逆風もしくは横風による横転の危機が訪れる。
日本人はすごく賢い。
いや、昔の日本人は。と限定しなければならない。
現代の日本人は頭が悪いからね。
鴨長明とか琵琶法師とか
そのときから
無常だ。
無常なんだよ。
安定なんて存在しないんだよ。
って言われ続けている。
こんなに言われ続けているのに、
人間はバカだから、安定していると思い込む。
でも残り続けるものもたまーにある。
それは魂とも言うし、思想とも言えるかもしれない。
例えば、吉田松陰の留魂録。
身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし、大和魂
という歌を残しているけれど、
まさに、留めおけるのは、大和魂だけなんだと。
体は朽ちるし、いずれは土に還る。
木村敏氏が
時間と自己の中で、語っているのは、
ことの世界とものの世界について。
ものっていうのはことの世界の一部で、
ことの世界観は魂的な世界観。
ものの世界観は物質的な世界観。
ものが表せるのは、ことの世界の端っこだけだと。
ことば、は言の端。
言い表せることなんてことの世界のいち部分だけなんだと。
ことの世界が本当の世界であって、
ものの世界は一部でしかない。
ものはいずれなくなるし、
ものは移ろいゆく。
でもことの世界は変わらない。
ことの世界は昔から存在しているし、
ことの世界にもっと思いを馳せるのが大事なんじゃないのか。
時間と自己で木村敏氏が語っていることは、
現在でも通用するようなことだと思う。
西洋的な価値観はものの価値観。
東洋的な価値観はことの価値観。
日本は古来から東洋的な価値観の中にあったし、
それが根底に流れている。
なのに、現代は西洋化していて、
どんどんそのルーツを見失いつつある。
日本はもっとバランスをとるべきだ。
東洋的な価値観、こと的な世界観の中に軸足をおいて、
西洋的な価値観に傾倒しすぎないのが大事なのではないか。
西洋的な価値観はすぐに廃れ、すぐに新しいものがでてくる。
軸足をそっちにおいている限り、日本人は幸せから遠ざかってしまうのではないだろうか。
日本の古来からある、東洋的なこと的世界観に立ち返るべきだと思う。
どうせいつか風向きは変わる。
そういう諦観にも似た自然観は、
日本らしいし、やっぱり肌に馴染むなと思う。
ということで、
風向きはほかっておけばいつかは変わる。
木村敏氏の時間と自己は名著なため、おすすめ