僕は小学生のときから塾に通っていた。
地元では有名な進学塾で、
僕はその塾が好きだったし、
そこに通ったことを一ミリも、いや一ミクロンも悪かったとは思わない。
だから、塾を貶める意図はないということだけはわかっていてほしい。
最近はもっぱら某宗教団体が叩かれている。
別に僕はその団体と関係があるわけではないし、
なんとも思っていないのだけれど、
いささか叩かれ過ぎな感はする。
僕は宗教はあって良いと思っているし、
というか、
子供の時から宗教っぽいものに傾倒していた。
その宗教っぽいものが塾だった。
割と熱血な感じの塾だったから、
宗教的な感じが強かったのかもしれない。
その塾がどうこうというわけではなく、
塾っていうのは子供にとっては宗教とほぼ同じだということが言いたい。
そもそも構造が似ている。
か弱き市民とカリスマが宗教には存在するが、
塾だって同じだ。
か弱き子供とカリスマ講師。
か弱き子供はカリスマ講師に傾倒していく。
霊感商法というけれど、
塾のカリスマ講師だって多少パフォーマンス的な感じのかっこいい解き方を披露するし、
カリスマ的な感じを見せつけなければ、商売としてあがらないのが集団塾だと思う。
霊感商法と同じような感じだよ、それこそ。特別な解き方があって講師には特別な能力があるように見せているだけ。
問題を解かされて、一生懸命解くけれど、まったく解けない。
でもカリスマ講師はこんなに鮮やかに美しく解いている。
なんてすごい人なんだ!もう神様みたい!
って思うのが純粋な子供。崇め奉ってる時点でもうそれは宗教と同義。
塾だっていろんなサービスを受けるためにお金を払わなければならない。
個人的なカウンセリングを受けるにしても、
夏期講習を受けるにしても、
なにかとお金がかかるのが塾だ。
やっていることは宗教と同じ。
親の方もお金を払って塾に通わせることで救われている部分があると思う。
自分は子供のためにいいことをしてあげているんだ。
という意識を持たせてくれるのが塾という存在であり、
言うなれば、イエス・キリスト。
親の罪まで肩代わりしてくれるありがたい存在が塾じゃないのか。
でも実際に蓋を開けてみると、塾に行って成績が上がるのは、自分で勉強することができる子供だけだし、
結局は塾に行ったところで成績が上がらない子供のほうが多いのではないか。
結局の所、現実的な解決策を望んでいるのではなく、
救われている気分を味わいたいがために塾に通わされている、
もしくは通わせているか弱き市民が貢いでいるだけ。
その構造自体、宗教そのものなんじゃないの?
ということを思う。
でもそれが悪いなんてだれも思っていないし、
疑問を持たないようにしているんじゃないのか。
現実を生きるのは苦しいし、辛い。
だから宗教に救いを求める。
信じられるものがほしい。
それにすがりたい。
それが人間というものだ。
別にそれは悪いことじゃない。
普通のことだ。
だから宗教=悪みたいな短絡的な考えはしないほうがいい。
宗教に傾倒していないと自殺する人はもっと増えるかもしれない。
僕は良い宗教が増えたほうが良いとおもうだけだ。
良心的な宗教といっても良い。
本当の愛とか本当の精神性の向上とか、
そういう本当の宗教が増えることのほうが大事なはずだと思ってしまう。
僕が通っていた塾は良い宗教の塾だったと思う。
良心的だった。
たしかにちょっと宗教チックだったけれど、
良い人が多かったなと思う。
結局、
人々の精神性が向上すれば良いのであって、
そもそも宗教がなくても良いくらい人間が強ければ良いのであって、
みんな超人の心意気で生活すれば良いんだよ。
でも現実的に無理な人もいるから、
宗教はなくならないし、救いを求める人はなくならないだろう。
だから良心的な宗教が増えたほうが良い。以上。