もう常識にとらわれる必要はないのだと思う。
僕は常識と非常識の狭間でずっとあっちへふらふら、こっちへふらふらしている。
でも、もう常識的に生きなくても良いんだと思う。
僕は割と変わっているけど、
振り切れた変人にはなりきれない。
中途半端に変人で、
中途半端に常識にとらわれている。
最近出会う人たちは、
みんな変人だ。
特に大学の先生は変な人が多い。
僕はまだ学部生ということもあって、
勉強不足も勉強不足。
わからないことだらけで、
なんにも知らない。
ついこの前、
わからなすぎたから、
めっちゃ基礎的な質問を先生に投げてみた。
めっちゃ基礎的な質問なんてどうせあしらわれるんだろうな。
と思っていたけれど、
思いのほか、ちゃんと答えてくれて、
いや思いのほか、一から全部教えてくれて、
こんな勉強不足のバカにも親切に教えてくれるんやな。
ってびっくりした。
たぶん、そういう変な人たちでも、
僕みたいな時代があったのかもしれない。
僕みたいなバカな時代があって、
それから勉強に勉強を重ねてきて、
突き抜けて勉強してきたからこそ、
あんなに全部教えてくれたんだと思う。
僕は、そういう変な人たちと接するなかで、
生き方を迫られる。
生き様を迫られる。
そういう変な人たちと一緒に生きていくために、
僕も振り切れた変人になるのか、
今までと同じように、
振り切れない変人のまま、ぬくぬくと生きていくのか。
僕の中にある変人性は
全部解放されているわけではない。
これまでそれを解放してこなかった。
解放するにはいささか世間が常識過ぎたし、
解放するにはいささか環境が伴っていなかった。
でも今の環境は、
変人の巣窟とも言える環境で、
みなそれぞれに、変人性を発揮しながら生きている。
ならば、僕もそろそろありったけの変人性を発揮する必要があるのではないか。
ありったけの変人性をかき集め、
捜し物を探しにいくのさー。ワンピース!
♪♪♪
常識なんて渋滞のもと、
熱に浮かされ、舵をとるのさー。
ほこりかぶってた、宝の地図も
確かめたのなら伝説じゃない。
っていうオープニング曲とともに、そろそろ変人性を解放しても良いのではないか。
でもそれを押しとどめてくるのが、
中途半端な常識性。
煩悩といってもよいかもしれない。
変人は煩悩がない。
女がほしいとか、金がほしいとか、そういう類いの欲望が薄い。
僕にはまだ、そういう類いの煩悩があるし、
まだそれにとらわれているのだと思う。
その煩悩を捨てさる勇気がまだない。
いかんせん常識に毒されて生きてきたわけだから、
どうしても、女子にちやほやされてみたいし、
どうしても、お金をたくさん使ってみたい。
たぶん、そういう欲望の類いというのは、
得てみたら大したことがないもので、
虚無から解放されるために得たもののはずが、
さらに虚無を加速させてしまうということも、
十分に心得ている。
しかし、若い男が、そういう類いの欲望をすべて捨て去るのは、
なかなか難しい。
イオンの活量はけっこう高いし、
活量係数もまだまだ上昇中なのである。
デバイーヒュッケルの式によって求めた活量係数は、
未だに上昇している。(言いたいだけ)
答えは出ている。
煩悩を捨て去るのが正解だと誰でもわかる。
僕の本来性(変人性)は宿命的に存在するのだから、
後天的に身についてしまった非本来性(常識性)を捨て去るのが簡単だ。
ダイヤモンドにこびりついた不純物を取り除くみたいに。
それには勇気が必要であるというだけで。
僕には智・仁・勇がない。
とくに勇がない。
臆病者、意気地なし、もやし野郎である。
さっさとハラを決めて飛び込めば良いものを、
バンジージャンプで尻込みしている情けない男のように、
内股でブルブル震えて、睾丸が縮み上がってしまっている。
そろそろ本来性で生きることを迫られているような気がする。