ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

痛みの経験値

痛みの経験値って大事だよなあと最近思う。

というのも、最近バイトで叱られることが多く、

毎回ではないけれど、ある程度は傷ついている。

別に叱られるのは最もだし、

悪いのは僕の方だってこともわかっている。

それでも、きつく言われると傷つくのはたしかだ。

 

前に、バイトで叱られてもなかなか抽象度が下がらなくなった!

みたいなことを書いたけれど、

抽象度は下がらなくても傷つきはする。

多少は引きずるし、

多少は罪悪感に苛まれたりもする。

 

それでもなんとか耐えるというか、

気持ちを切り替えて下がりすぎないようにできているのは、

明らかに、その種の痛みを経験済みだからだ。

 

叱られる痛みは、うんざりするほど中学時代に経験した。

剣道部に入ったら、なんと鬼のような先生との邂逅(かいこう)を果たしてしまう。

小学生のときから温室育ちのヘタレだった僕は、

とてつもなく叱られた。

一年目はかなり落ち込んだし、たまにサボったりもした。

 

でも二年目からは叱られることが当たり前になり、

叱られたとしても気にしなくなった。

 

そりゃ最初は死ぬほど部活が嫌だったけれど、

それも一年経てば慣れてしまう。

 

慣れというものは恐ろしいもので、

そのときの慣れが今現在でも活きている。

 

痛みに慣れるのは、正直誰もしたくないはず。

僕だって必要に迫られない限り、そんなことしたくないし、

だからこそ今の今まで辛いバイトは避けてきた。

 

あるときはバイトに申し込んだはいいものの、

直前になって、ぐぐったらネガティブな情報が出てきて、

怖くなって面接をバックレた。

 

今思えば、かなり迷惑な行為をしてしまったなと思うし、

申し訳ない気持ちでいっぱいだが、

たぶん今だから耐えることができているのかもしれないとも思う。

 

叱られる経験は経験していたし、

そのときもなんとかなったのかもしれないけれど、

一人で生きることができるほど、

もしくは一人で問題を解決できるほど、

エネルギーはなかったのだと思うし、

僕にはモラトリアム的な休養期間が必要だったのかもしれない。

 

また別の種類の痛みも経験した。

その痛みは、過去最大だった。

孤独という痛みだった。

ある一期間において、ひたすらに孤独だった。

よく眠れない日が続いた。

 

その痛みに比べたら、

多少の圧力、多少のきつい言葉、きつい仕事は、

まだましだとも思えてしまう。

 

ポケモンですら、痛みを知って、経験値を得て、レベルアップしていく。

僕ら人間はなおのこと、痛みを知って、経験値を得て、レベルアップしていかなくてはいけない。

 

あとひとつだけ、ヒントとして残しておくと、

「よくわからない」ことに対しての痛みは、大きい。

これはこういう痛みなんだ!ということがわかるだけでも痛みは減少する。

だから人間は、なんでも経験して痛みを知っていくと、強靭になっていくのだと思う。

 

一回山を乗り越えてしまえば、それは経験済みになり、

二回目からはその労力の半分くらいで登りきれる。

 

あー、それね。知ってるわ!

という状態をあとどれだけ作れるのだろうか。

僕はその数に応じて痛みに耐性を持てるのだろうか。