ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

「我々は、みな孤独である」(貴志祐介)がめっちゃ面白かった!

前世を信じるだろうか?

僕は割とスピリチュアリストだから、

前世の存在は信じている。

「我々は、みな孤独である」

のテーマは前世。

 

 

あらすじ

探偵事務所にて所長をしている茶畑徹朗(ちゃばたけ てつろう)は、

正木栄之助(まさき えいのすけ)から、

前世の自分を殺した人物を探してほしい、

そしてその事件の真相を知りたいという依頼を受ける。

その調査を進める中で、不思議な体験を重ねていくうちに、

茶畑は一つの仮説にたどり着く。

 

ここからはネタバレありで書いていくので、

ネタバレが嫌いな人はここで読むのをやめてほしい。

 

⚠以下ネタバレ注意⚠

 

ネタバレありの感想

結論から言えば、本書で書かれている仮説は、

あながち間違っていないと思う。

 

本書で書かれている仮説は、

意識は時空を超越し、生まれ変わり、死に変り、それを繰り返しているのだと。

ただの輪廻転生ではない。

数十年後、僕が死んだとする。

その死んだ僕の意識(魂)は時空を超えた存在なわけだから、

過去も未来も自由に行き来できる。

死んで残った僕の魂は、もしかすると、あなたに憑依しているかもしれない。

という話である。

つまり、現世生きている人間の意識とは、一つであり、

すべての人間の意識は分岐したものに過ぎないということだ。

 

この仮説は、あながち間違いとは言い切れないところがあると僕は思った。

別に根拠はない。

単に、そうかもしれないと思っただけである。

そして、もしそれが正しいとする。

それを想像したときに、煩悩の類いが雲散霧消したのだ。

 

例えば、僕は陽キャと呼ばれる人間たちは苦手である。

正直なところ気持ちが悪いし、

そんなに明るさを全面に押し出さなくても良いし、

そうやって演じるのは疲れるのではないかと思う。

しかし、もし、さっきの仮説が正しいとするなら、

彼らは僕の前世であり、来世であるのだ。

彼らは決して僕の敵ではなく、

単に魂や意識のステージが少し違うだけのことだということになる。

 

もしかしたら、僕の魂ははるか昔にはゴリゴリの陽キャだったのかもしれないし、

今世では、それに飽きてしまったがゆえに見下しているのかもしれない。

そのように考えてみると、誰も敵などではなく、

ましてや見下す対象ではないということがよくわかる。

 

人を殺すのは良くないことだけれど、

なんで?

と子供から聞かれても、ちゃんと答えることができない。

殺しちゃいけないから殺しちゃいけないんだ!

と叫ぶくらいしか選択肢はなかったのだけれど、

この仮説に基づけば、

 

もともとみんな一つの意識の集合体から生まれているわけだから、

誰かを物理的に傷つけることも精神的に傷つけることも、

回り回って自分自身を傷つけているわけだから、

そんな馬鹿なことをしてはいけないよね。

って子供にもちゃんと説明できる。

 

スピリチュアルの面白いところは、

それが正しいと仮定したときに、

鮮やかに説明のつく大いなるものがあるところ。

前世なんて科学ではもう何百年も立たなければ解明できないだろうけれど、

スピリチュアルに基づけば、それもすべて説明できてしまう。

 

だから怪しいと怪訝な顔をする人もいるし、

それに傾倒しすぎてしまう人もいる。

 

そんな感じで、この本は、

ちょっとスピリチュアルだけれど、

意識はもともと一つで、今関わっている人たちは自分にとっての前世または来世、

という仮定で、それがすごく面白かった!