ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

褒められるとすぐに調子に乗るタイプ

僕は、褒められない方が良いと思う。

別に、他人が褒められることは別に良いと思うのだが、

僕は褒められるとすぐに調子に乗る。

なので、褒められない方が良い。

 

褒められると、

「やっぱり俺って天才!ヘイ!ヘイ!ヘイ!」

というハイキュー!!の木兎並のテンションになる。

これは別に僕の後天的な性格ではなく、

生まれつきだ。

生年月日的に、もうそう仕組まれているのである。

覚えている限り、

僕の失敗というのは褒められて調子に乗った結果であった。

 

例えば、中学生時代、

小学生のときから剣道を習っていたから、

中学生から始める人たちよりはうまかった。

それに、小学生のときから、

割と褒められていたから、

ぶっちゃけたところ、

俺ってすごいんじゃね!?

というセルフイメージを持っていた。

中学生になって、剣道部に入った瞬間に、

それは打ち砕かれた。

入部初日くらいのときに、ボコボコにしごかれる。

竹刀を吹っ飛ばされ、こかされ、もうそれは地獄のように思った。

同級生の前で泣きわめき、醜態をさらす。

 

まさに天狗の長い鼻をへし折られた。

調子に乗ってんじゃねーぞ。

ということを肌で感じさせられたのである。

 

今になってみれば、

それは良い思い出である。

当時はよくわかっていなかったが、

かなり調子に乗り、かつ世界を舐めていた。

世界を舐めていた。なんて仰々しい言い方だけれど、

本当に、舐めていたのだ。

 

あの当時、僕にはできないことなんてないし、

僕は才能に恵まれたギフテッドだと思い込んでいた。

 

小学生のときも、

担任の先生が、天才!ともてはやすから、

本当に天才なんだと思っていたし、

だからこそ、テストで60点を取った瞬間に大泣きしていたのである。

 

テストで60点を取っただけで大泣きってウケるんだが笑

という感じなのだけれども、

当時は真剣に悩んだし、

当時は真剣に泣きわめいていたのだ。

 

人というのはホメオスタシスが働くから、

褒められる状態を維持したいと思っていた。

 

褒められることは承認欲求を満たしてくれるから、

当時の浅はかな僕にとって、

燃料のようなものだった。

 

でも今にしてみれば、

中学のときから変わっていったのかなと思う。

天狗の鼻をへし折られてから、

割とアイデンティティ・クライシスに陥ったし、

割と落ち込んだのだけれど、

御霊のふゆになってくれたと思う。

 

どん底とは言いたくないが、

割とそういう気持ちを味わったときだったと思う。

 

あれだけの落差で急降下したわけだから、

嫌でも現実というものを見ることになる。

いくら小学生のときは褒められていたからと言っても、

それだけの落差を経験すれば、

自分は大したことがないのだなと悟る。

 

勉強に関しても、

別に全国模試で1位になれるわけでもなかったし、

中学校内にすら上がいた。

 

ある意味、一番セルフイメージが下がったのが中学生であり、

その分だけ成長できた時期だったのかもしれない。

 

今では、褒められないことを幸いだと思う。

自分より上がいることを幸いだと思う。

僕は褒められない方が良い。

僕は誰からも褒められなくても成長し続ける。

いや、誰からも褒められないからこそ成長できる。

 

まあ、でも、褒められると単純に嬉しい。

(叱られる):(褒められる)=100:1くらいの割合だったら

褒められるのも悪くないかもしれない。

 

調子に乗りやすいタイプは、

叱られたり、天狗の鼻をへし折られてからが勝負だ。

たぶん、その落差こそが成長の糧になる。

木兎だってそうだった。

春高で2位だったからこそ、

木兎は「普通」のエースになった。

 

今後も

天狗の鼻をへし折られながら、

成長していこうと思っている。

あるいは、

自分で天狗の鼻をへし折ることで。