ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

虚飾についての一考察

虚飾と本質という話を今日はたくさん聞いてきた。

僕は自己矛盾をたくさん抱えて生きている。

なので、どれが虚飾で、どれが本質かよくわからない。

それすらも本質なのか?

とぐるぐる考えてしまう。

 

例えば、

なにかの集まりがあったとして、

誰かからの視線を感じたとする。

そういうときは普通視線を合わせるものだと思うのだが、

僕は逆に絶対に目を合わせないようにしてしまう。

目を合わせるのが怖いのである。

だから、この人は話しかけない方が良いのだなと思われてしまう。

 

でも本当は話しかけてほしいし、

目を合わせるようにしたい。

 

なんでこんなクセがついてしまったのだろうか。

中学の時に、ヤンキーが多くて、

彼らはガン飛ばしてんじゃねぇよ!

っていつも言ってた。

それが怖くてあんまり目を合わせないようになったのかもしれない。

でも、もともと目を合わせるのは苦手だったとも思う。

これも中学生の時の話だが、

世話焼きな女の子がいて、

その子に目を合わせて喋れるように練習させられた気がする。

男同士でも目を合わせて話すのは割と圧力がかかるのに、

女子とそんなことをするのはとても苦痛だったから、

今でもそんなことを覚えている。

 

話が脱線したが、

要は僕は目を合わせて話すのが苦手だが、本心としては目を合わせて話したいし、人に怖がられないようにしたい。

けれど、それをするのは怖くて、なかなかできないのである。

 

これは虚飾なのだろうか。

僕はこれも本質といえば本質な気がして、

僕は臆病者であり、怖がりであり、本当は泣き虫である。

けれど積年の後悔や、積年の経験から、武装して(虚飾して)、臆病者だと思われないようにしてしまう。

 

だから本心と本質は違くて、

目を合わせて話したい

というのは本心ではあるし本音ではある。

けれど、

目を合わせて話すのは怖い

というのは僕の本質である。

 

別に着飾っているわけではなく、

単に相反する本心と本質が自分の中に同居していて、それが自己矛盾であり、一見すると虚飾に見えるのだと考えた。

以上!

支離滅裂?笑