ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

あなたの長所と短所をそれぞれ教えて下さい。という質問の意義を誰か教えてくれ

最近、バイトの面接に行ってきた。

そのバイト先に対して文句を言いたいわけでもないし、

おとしめようという意志はまったくない。

単に僕が疑問に思ってしまったことを書き残しておこうというだけだ。

 

バイトの面接で、

バイト内容の説明をされ、なんやら同意書のようなものを書かされたあと、

急に質問された。

あなたの長所と短所をそれぞれ教えて下さい。

という質問だった。

 

ん?

え?

長所と短所?急に!?

そんなものわからんがな。

俺の長所と、短所か。。。

うーん。

長所と短所なんて人との関係性で変わるものじゃないだろうか?

だって人によって態度は変わるし、

信頼関係次第では長所が短所にもなりえるし、

その逆も然りだよな。

どう答えるのが正解なのだろう?

長所と短所を急に聞かれるなんて思ってなかったな。

どうしよう。

うーん。

 

という脳内会話がしばらく続き、

僕は答えるのに3分くらいかかってしまった。

体感では10分くらい考え込んでいたが、

たぶん長く見積もっても3分くらいだったと思う。

 

少し考えてみても、当たり障りのない長所とも言えないような長所と短所とも言えないような短所しか出てこず、

なんでこんな質問をされたのだろう?

と煮えきらない感情を持ち帰ることになった。

 

今考えてみても、僕の長所と短所はわからない。

こういうざっくりした質問はとっさに答えることはできない。

具体的ではないからだ。

どうしても抽象的な答えになる。

愛とはなんですか?

と聞かれても答えられないのと同じで、

2時間や3時間くらいかけて、

愛と恋の違いや、愛のある行動の事例などを列挙した上で、

自分が思う愛というものについてやっと語ることができるはずだ。

 

ましてや自分の長所や短所などというものは、

今まで22年間過ごしてきた蓄積をもとに、

ある程度自分を客観視した上で、

自分のうまくいった行動をつぶさに振り返り、

他者からの反応を振り返ってみないことにはわからない。

しかも、他者からの反応を振り返ったところで、

結局は他者との関係性によって長所だと思われた部分が短所に反転することはよくあるし、

自分が短所だと思いこんでいたことが実は案外隠れた才能だったりするものだ。

 

僕が思うに、

あなたの長所と短所を教えて下さいという質問に対し、

即答できるような人間は、人間というよりAIに近いし、

そんなに長所がパッと出てくるということは、

逆にその長所に対してコンプレックスを抱えているのでは?

と疑ってしまう。

 

例えば好きな人がいるとして、

本当に好きな相手に対しては奥手になってしまうのが人間の性というものだと僕は思っているのだが、

それはおそらく、本当に好きだからである。

本当に好きだからこそ、慎重になるし、決してミスをしたくないと思うのではないか、

 

つまり、人間というのは自分が本当に思っていることは簡単に表に出さないということである。

これをさっきのパッと答えられる長所に置き換えると、

明らかにそれは短所を隠すための長所であり、

長所ではなく、短所の延長線上にある。

短所を長所っぽく言ってみているだけであり、

大げさに言えば、それは逆に短所なのである。

 

明るい性格であるところが長所です!

と声高に言っているようなやつは、たいてい根暗であるし、本当に明るい奴はそんなアピールをしなくても明るいはずではないか。

 

人生で最も頑張ったものはなんですか?

という質問に対して、

大学受験!と平気で答える奴は、

受験勉強に対してかなりコンプレックスを抱えている可愛そうなやつとしか思えないし、

受験勉強以降は何も頑張ってないのね。

という短所が完璧に露呈している。

 

こう考えてしまうが故に僕は、

あなたの長所と短所をそれぞれ教えて下さい。

という質問が苦手である。

どう答えたら良いのかまったくわからない。

安易なテンプレのような社交辞令だと捉えるのが正解なのだろうか。

とすれば、こちらも安易なテンプレのような社交辞令的長所と短所をあらかじめセッティングしておけば良いのだろうか?

果たして質問の真意はいかに?

そんなテンプレを答える意義を教えてくれ。誰か。