塾で勉強を教えてて、いつももったいないなぁと思うのは、僕を見くびりすぎだということ。
僕は自分で言うのも変だが、なかなか変な人である。
高1のときから勉強法の本を5冊くらい読んでた。高1で、である。
まわりにそんな人はいなかったけれど、僕にとっては普通のことだった。
効率的に勉強しないと才能のあるやつには勝てないことを高1のときから悟っていた。
実際に高校生くらいになると、要領の良し悪しが顕著になる。
中学まではそんなに影響しないが、高校生になると途端に顕著になる。
勉強法の本は、
京大主席の人から東大医学部の人、ベストセラーから新刊まで割に幅広く読んでた。粂原さんとか和田秀樹さんとか、南極流とか、
高1の時点でノウハウは集まっていた。
5冊も読むと、共通項が浮かび上がってくる。
頭のいい人たちは書かずに勉強するんだなとか、復習のサイクルを工夫しているんだなとか、音読が大事なんだなとか、
頭のいい人たちには当たり前なのだけれど、凡人には当たり前ではないことはたくさんある。
その乖離をなくすのがたいせつなのだ。
勉強法の本は頭のいい人が書いているから凡人には意味がない。という意見もあるかもしれないが、
そんなことを言っているから永遠に凡人のままなのである。必ず活かせる部分はある。それを見出し実践することから逃げているだけだと思う。これは自己啓発への批判と似ているね。
そんな感じなので、学校の宿題がいかに非効率で無意味なものなのかよくわかっていたし、よく学校もサボるようになった。
You Tubeも勉強系のものを見ていた。
名前を出すとあれだが、
篠原好さんとか、よなたんとか、武田塾とか、
そういうYou Tubeばかり見ていた。
そう。高校生の時から本は読むし、情報収集には余念がなかったのだ。
良い参考書は熟知しているし、たぶん夜に出ている8割型の受験参考書は知っている。
今になってみると、無駄なこともしていたなと思う。参考書の知識が多すぎて逆に選ぶのに時間がかかりすぎたし、コレクター気質なところがありすぎたなと思うふしもある。
しかし、僕の周りの誰よりも受験業界についてよく知っていたと思う。
僕の本質は、たぶん成長欲求なのだと思う。
どこまでも成長していたい。
それは今も変わっていない。
読むジャンルは多岐にわたるし、You Tubeで見るのも多岐にわたる。
しかし、いつでも勉強になるものしか見ていない。
高校生のときは、勉強法っていう狭い範囲ではあったものの、僕の基礎を作ってくれたのは間違いない。
完全に高校生とはステージが異なっているが、今でもあのときやってことは有意義だったなと思う。