ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

幸せに他者は必要だろうか? 「わかりあえない他者と生きる」から考えたこと

だから幸せには他者が必要だと思うのです。そして他者に幸せの条件を提供することが私の責任です。私が他者を幸せにすることはできません。誰でも自分で自分を幸せにしなければなりません。しかし他者に幸せの条件を提供することはできます。この二つは別物です。他者を幸せにすることはできません。これは非常に重要なことだと思っています。

人は一人では幸せになれません。一人でテニスができないようにね。幸せはテニスのような社会的な活動です。まさしくそれを私は言いたいのです。

マルクス・ガブリエル 著 「わかりあえない他者と生きる」153頁より引用

 

 

またマルクスガブリエルの新刊を読んでしまった。

なんと言っても、世界を明快にしてくれるのが彼のすごさだと思う。

今回も例に漏れず、素晴らしい書籍だった。

PHP新書の方々、ありがとう!

また次回作も読みたいのだが、

 

本題として、

冒頭の引用について考えていきたい。

最近の世の中では、もっぱらソロが流行っている。

 

ソロ、

お一人様、

ぼっち、

ぼっち系YouTuber、

人間関係ミニマリスト、

 

もう様々いるわけだが、

そもそも、ソロでやっても楽しいのはゲームだけではないか?

 

いやゲームでもソロでやっているだけでは楽しめないものもある。

スマブラとか、

ストリートファイターとか、

相手ありき、仲間ありきのゲームも存在するわけで、

 

いくら人が一人でも生きていけるような文明になったとはいえ、

結局のところは人は一人では生きていけないのだと思う。

僕が思うのは、ぼっち系YouTuberはぼっちではない!ということである。

だってYouTuberという形で視聴者という他者と関わっているのである。

まがい物のぼっちである。

本物のぼっちというのは、そういう関係性すらも排除する人間であるはずだ。

 

そうなると、僕は正真正銘のぼっちというものを見たことがない。

あの森博嗣ですら、家族がいるのである。

 

こう考えると、

他者と関わりたくない。

というのは甘えである。

 

単に人間関係の煩雑さから逃げ回っているだけに過ぎない。

他者との関係性が恐いだけなのだ。

恐いだけであって、根源的な願いとしては他者と関わっていたい。

そういうしがない生き物が人間というものなのである。

 

わりに辛辣に書いたかも知れないが、

僕自身、多少甘えたくなることがある。

人間関係をシャットダウンしたくなるときもある。

一回リセットしてみたくなるときもある。

だからこそ、こういうことを書いておくのだ。

自分で書いたことは案外覚えている。そして、何ならたまに見直す。

これは僕への激励であり、あわよくば読者への激励である。

他者と関わることを諦めるな!以上!

 

あ、あと、マルクスガブリエルの新刊オススメです。。。。