読んでいただき、ありがとうございます。
最初に謝っておきます。ごめんなさい。
タイトルに、○○に欠けている。と書いているけど、この記事の中に答えはありません。
なので、それでも構わなければ読んでいただけたらと思います。
記事の中に答えはないと書きましたが、
そもそも、あなたの心の穴はあなた自身で気づかなければならないものです。
それを他人の僕がどうのこうのいうのはナンセンスの極みであります。
まあ、
でも、あなたがこのブログを読んでいるということは、何か欠けているものがあるのだと思います。
僕個人として、自分の心に欠けているもの、心の穴、について書いていこうと思います。
ところで、
最近、You Tubeでこの手のタイトルを使ったものが流行っており、
ついついサムネをタップしてしまうのですが、
人の心は何かかけたものがあると、埋めようとするものらしい。
かけたものは埋めたい。そう思ってしまうのは本能なのでしょう。
イザナギとイザナミの神話でも、イザナギには余ってるものがあり、イザナミには欠けているものがあった。
それを埋め合わせてみたら国が生まれ、神が生まれた。というのが「みとのまぐわい」でございます。
神代の時代から、その本能は変わっていないようですね。
なので、この手の手法は理にかなっているのでしょう。
さて、本題に話を戻して、結論を申し上げれば、
僕の心の穴は、寂しさです。
なーんだ。月並みじゃないか。
とがっかりされた方、申し訳ない。
しかしながら、僕もただの人間なのです。
正直なところ、非凡な才能は持ち合わせていないし、このところかなり月並みな人間であることを再確認させられているのです。
結局、人間の心の穴というのは寂しさに集約されるのではないか。と思います。
あなたも一度立ち止まって自己対話してもらったらよい。
たぶん、寂しさに根ざした心の穴が見つかるのではないか。
人間にとっての悲劇とは、
寂しさを寂しさ以外でしか埋めることができない。ということなのではないか。
寂しさという形の穴が空いているのに、別の形のもので穴を埋めなければならないのです。
例えば、寂しさが○の穴だとすると、
食欲やら、承認欲求、サブカルやら、SNSなど様々な形のもので埋めようとするのです。
食欲が□だとすると、寂しさの穴はどうやっても埋まりようがない。
一時的に埋まったと思ったら、あれ、穴広がってるやん。みたいなこともあるわけです。
トゲトゲしたもので埋めようものなら最悪ですね。
寂しさという心の穴をもっと複雑怪奇なものに変形させてしまう。
だから、人間というのは悲劇的だなぁと思うのです。
そこで!僕が思うのは、寂しさは寂しさによって埋まるのではないか?ということです。
○の穴なら○で埋めるのが一番早い話なのではないか?ということです。
寂しさで寂しさを埋める?なにゆうとんねん?と思われたかもしれませんが、
僕にもよくわかりません。
そんなことが可能なのか、不可能なのか、誰も証明した人はいませんし、僕も思っただけで実行できているわけではないのです。
だから、あなたに試してほしい。
あなたの心の穴はあなたの心の穴で埋めるということを。