こんにちは。
昨日の記事は、申し訳ありません。
めっちゃ抽象度低いことを言っており、
ものすごくナンセンスなことを言っております笑
まあ、ご愛嬌ということで、許していただきたい。
今回は、ポジティブに考えようということで、
成長したことについて書いていこうと思います。
タイトルにもある通り、
僕は昔より縁をぶった切らなくなりました。
昔は縁をぶった切ってたのか。と驚かれた方もいるかもしれませんが、
はい。ぶった切っておりました笑
それをしなくなったのは、僕にとってかなり成長した部分だと思っています。
こいつ嫌い!
と思った奴は、片っ端からラインをブロックし、すべてシカト。
そんなことをしていました笑
笑えない笑
本当に、僕は心が狭かったと思います。
嫌いだわ~。と思う基準もかなり厳しかったと思います。
そんな感じでよく生きられたな。と思いますが、
そういう生き方も、別にめっちゃ悪いことだとは思ってません。
嫌なやつは嫌!と言えることも割と大事だったりします。
ただ、僕の場合は度が過ぎていたので、それを矯正することができたということです。
今では、片っ端からラインをブロックしたり、
完全にシカトしたりすることはなくなりました。
なんでしなくなったのか、と考えてみると、
単に大人になったのかと思います。
子どものときは、単純で明快なことを求めるし、
早く答えを出したがるわけです。
好きなことは好き!
嫌いなことは嫌い!
と好悪をハッキリさせることが必要だったわけです。
大人になるというのは、
一つ言えることとして、早く答えを出さないことだと思います。
いちいち好悪をハッキリさせないこと、
それが大人な対応です。
今でも、嫌いな奴は嫌いです。
でも、ぶった切ることはしないかな。
ちょっとぶっ飛んだことを言うと、
縁というのは、すべて神様が運んできてくれているものです。
だから、それをぶった切るというのは神様から与えられたテーマから目を背けるということ。
嫌いな人は嫌いな人で、神様からご縁をいただいているわけです。
それを考えると、「ぶった切り」はかなりバチあたりなことだとも言える。
いろんな神社にお参りして、いろんな神様に出会って、いろんな神様に守ってもらってるわけですが、わざわざ神様が出会わせてくれたのに、ぶった切るのは良くないな。と思ったんでしょうね。
じゃあ、今は縁をぶった切らないでどうやって嫌な人と付き合っているのか、と言えば、
深く関わらない。ということを徹底しています。
具体的に言えば、社交辞令だけしかしないようにしています。
深く関わるのは、本当に好きな人だけで十分だし、
必要に迫られない限りは、嫌な人とは社交辞令で十分です。
必要に迫られる、というのは、単に仕事とか、家族とか、突っ込んだ関係にならざるをえないとき。
そういうときは、嫌な人とも向き合っていかなければならないけれど、
基本、友達とか知り合いとかで、嫌いな人がいるときは、適切な距離を取れば良い。
これは斉藤一人さんが言ってたのだけれど、
悩んでる人は、極論に走りがちだと。
もっと柔軟に考えてごらん。と。
これはまさにその通りで、
子どもみたいに早く答えを出してスッキリしたがるのではなくて、
柔らかく考えてみる。人間らしく知性を発揮する。
ちょっと合理的に考えれば、別にぶった切る必要ないよね。
ぶった切らずに距離を置いてみたら良いんじゃないか。
と気づけるはず。
まあ、人間関係に正解なんて存在しないから、
またぶった切るか否かで悩むときもあるかもしれないけれど、
そういうときは神社に行って、神様に聞いてみるのもありかもしれない。
もし、それで縁が離れていくのなら、それが正しいのだし、
縁が離れていかないのなら、それが神様から与えられたテーマということ。
そう考えられるような大人になれて良かった笑