師走は忙しい
街は慌ただしい
だけど、虚しい
そこは〜デリカシー(´∀`∩)↑age↑
クリスマスとか年末とか年始とか、
この時期になるとどうも胸騒ぎがする。
昔(10年くらい前)は大してそんな気持ちを抱かなかったが、ここ数年は顕著に虚しい。
森見登美彦の「太陽の塔」的な法界悋気に苛まれているのかな(笑)
京都河原町で「ええじゃないか騒動」を起こせるほどの勇気は、あいにく持ち合わせていないため、虚無感を抱えながら年末を迎えるのだろう。
この虚無感は、飾られた表面と飾られないままむき出しになっている中身に対するものなのだろうと思う。
クリスマスや年末という
ワイワイキャッキャしている雰囲気(表面)に、そうしないと自分を保てない弱さ(中身)を感じてしまうのだ。
人間というのは表面とは裏腹な本質を持ち合わせているものだ。
例えば、過剰に着飾る人は内面が地味であったり、
過剰に礼儀正しく振る舞う人が内面は無愛想そのものであったり。
見られたい自分というのは自分の本質と真逆であることは多い。
これだけクリスマスクリスマスクリスマス、年末年末年末と着飾るのだから、そこに内包された虚無もデカいというわけだ。
その虚無を感じて胸騒ぎがする。
クリスマスだろうが年末だろうが大したことは何も起こらない。
ただ平凡なクリぼっち、ただ平凡な年末を迎えるだけだ。
クリぼっちと言いつつ、この言葉を生み出した人に対して嫌悪感を抱えるこの自己矛盾(笑)
平穏無事なクリスマス、年末を迎えて何が悪い!何も悪くない!気前よく感謝して、クリスマスを迎えてやるぜ!(笑)