森博嗣さんのエッセイが好きだ。
面白い。
僕にはないような視点を提供してくれる。
でも、僕も少しだけ、森博嗣さんに似ているところがあると思っている。
だから、たまーに「あー。それマジわかる」ってつぶやくことができる。
真にわかるなんてことはありえない。って森博嗣さんには言われてしまうかもしれないけれど。
今回はいくつか、本の中から抜粋して、
適当にコメントしていこうと思う。
材料のストックがある幸せを、僕は大事にしている。
森さんはもともと工作が好きだということで、
やはり何かを組み立てたり、創作したりすることが好きらしい。
その上で、やはり大事になるのは材料のストック。
材料のストックから考えて、組み立てるのと、
逆に組み立てるものが決まっていて、材料を集めるのと、
そういうのが創作の手法としては考えられるが、
森さんは、材料から発想するタイプなのだそう。
これは僕も同じようなもので、もともとのストックから考えるのが性にあっている。
ブログなんかも、適当に材料をあつめて、雑多な中から発想を展開していく。
だから、僕のブログは支離滅裂なことになるのだが。
まあ、そういう発想の違いというものは、なかなか面白くて、
材料から発想するのと、完成品から発想するのは、
スタートから考えてとりあえず進んでいくのか、
ゴールから考えて逆算して考えるのか、
という違いだと思っている。
こんなものは当たり前の話で、
完成品から考えるということは、ゴールがすでに決まっているから、そこに向かっていく作業なわけだ。
これはある意味効率的だと言えるだろう。
逆に、スタートから考えてとりあえず進むのは、
ゴールが決まっていない。とりあえず、何になるかわからないけれど、進んでみようという精神である。
これは研究者タイプとも言えるのではないか。
研究者も、この部分がわかっていないから、とりあえずこういう仮説を立てて進んでみるか
という発想で研究するのだと思う。
森さんは、もともと大学の研究者であられたお方だから、
そういう思考法が身についているのかもしれない。
「乗っている」ときは、周囲が見えていないから、要注意である。
森さんは、読者に「乗っている」と言われているときほど、「乗っていない」らしく、
逆に「乗っていない」と思われているときのほうが、「乗っている」らしい。
これは、僕にはわからないのだけれど、
想像するに、「乗っている」ときは、自分の世界に没頭してしまって、他者の存在が欠如しているということだと考える。
つまり、「乗っている」とき書いた文章は自分好みの文章であり、「乗っていない」とき書いた文章は他人好みの文章になっているのではないだろうか。
だから、森さんの文章は、「乗っている」ときのほうが、読者に受けないし、逆に「乗っている」ときのほうが、読者に受けるのではないか。
と、ここまで書いてみて、本を読み直したら、同じ趣旨が本に書いてあった。
この文章は、適当に本に折り目をつけておいたページのタイトルだけを見て、
それを僕なりに内容を思い出しながら書いている。
森さんは、「乗っている」と読者から思われているときほど、「乗っていない」ということを言っていたのは覚えていて、
それ以降は覚えていなかったため、こうなった。
まあ、言い訳はやめておこう。
いいなと思った部分を少しだけ引用しておく。
乗ってしまってはけない。冷静に自分の仕事を観察する目が必要であり、見失っては良いものが作れない。
なるへそ。
「挫折する前に気付けよ、無理だということを」と思ってしまうが。
このタイトルを見て、本当に森さんらしいタイトルだなと思った。
僕が知ったかぶりをして、森さんについて語るなんておこがましいが、
それでも、森博嗣さんらしさが出ているタイトルだと思った。
たしか、挫折なんてしたことがない。みたいな内容だった気がする。
挫折する前に、気づいてやめるから。みたいなことが書いてあった気がする。
読み返すのは面倒なので、読み返さないが、
確かに、挫折するまえに客観的に無理だと気づくことも大切なことである。
例えば受験生であったとして、センターで70%しかとれなかったのに、
それでも京大を受けたいだなんていうのは、たしかに無謀なだけだ。
多分、若気のいたりというもので、僕にも同じような経験があるから、馬鹿だなとまでは思わないものの、ちょっと冷静に考えてみたら?とは言いたくなる。
人生において失敗はたしかに大事だし、
そこから学べるものも多いとは思う。
けれど、わざわざ無謀な真似をしなくても、良かったこともあったりする。
そういう視点も含めて自分で考えて決めたら良いのでは?
と言いたくなるだろう。
なんというか、森さんのエッセイには「圧力」を感じない。
こうすべき、ああすべき、という主張にかけるとも言える。
自分はこう考えている。という主張はあるけれど、あなたもこう考えるべき。とは言わない。それが面白さ、癒やしの根源なのかもしれない。
僕が父親に求めていたものなのかもしれない。
そういう、俺はこう考えるけれど、お前はお前の人生を生きているんだから、自由に考えて生きていけば良い。
そう言ってほしかったのかもしれない。
そんな思いを22歳になった今でも抱えているなんて、バカにもほどがあるが、
それを叶えてくれているのが森博嗣さんなのかもしれない。