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【デジタル・ファシズム】書評してみた:デジタルの絶望的な弊害に切り込む!

デジタルは「ファシズム」と組み合わさった時、最もその獰猛さを発揮する。

堤未果さんの著書「デジタル・ファシズム」において、印象的な文章だった。

 

 

ファシズムとは、全体主義である。

全体主義というのは、日本を戦争に突き進ませた思想であり、

権力が暴走しやすい思想である。

デジタルとファシズム、一見関係がなさそうに見えるが、

実は、デジタルとファシズムは結びつきやすい。

 

この二つが結びついた典型が中国だ。

中国は中国共産党の独裁であり、

デジタルを用いて中国の国民は政府に管理されている。

信用スコアを導入し、人々を数値で評価できるようにしているのだ。

人々は、信用スコアを傷つけると政府からの制裁を受ける。

つまりは、反政府的なことをしようとしたら、

信用スコアを下げられ、日常生活すらままならなくなってしまうのだ。

だから、中国では反政府的な活動をしている人がほとんどいない。

信用スコアという人々を管理するツールによって、

政府は思い通りに人々を管理することができるわけだ。

すべて政府の都合の良いようにすることができる。

 

こんなことを書くと、

「中国はなんて生きづらい社会なのだろう」

と思うかも知れない。

だが、他人事ではない。

日本においてもデジタルとファシズムが結びつきを増している。

このままだと中国のような管理社会に向かってしまう。

「デジタル・ファシズム」では、それについて、政府、お金、教育という観点から説き明かしている。

 

正直な感想を申し上げると、絶望しかない。

ここまで新自由主義のクソどもに日本が売られているとは思わなかった。

 

しかし、現状を変えるには、現実を直視しなければならない。

現状に絶望することからしか現実は変わらないのだ。

その意味でも、この本は一読しておくべきだ。

 

日本がいかに腐っているのか、いかに危険な状態にいるのかをもっと多くの人が知るべきだ。

ぜひ、読んでみてほしい。

 

僕の感想を述べておくと、

本来の人間らしさを見直すことが大切なのだと思う。

本来の人間らしさとは?

デジタルの0か1かの離散的な世界ではなく、

アナログの0と1の間に無限の可能性を見る連続的な世界だ。

 

脳ではなく、皮膚感覚、

理性ではなく、感情。

答えを求めるのではなく、問い続ける。

 

そういう、本来の動物性や本来の人間らしさを大切にするべきだと思う。

たしかに、デジタルは便利で、すべて排除すべきだとは思わない。

ただ、今の社会はどうも人間らしさを徹底的に排除しようとしすぎているように思う。

僕たちは脳で生きているのだろうか?

脳がすべてだとは思わない。

脳で判断することは本当に正しいのだろうか?

脳ではなく、もっと原始的な本能にこそ正しい判断があると思う。

たしかに、損得を考える上で、理性的に考えて合理的な決断を下すのも大切だが、

現代では、それだけでは解決できないような問題がある。

山口周氏の「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」でも

VUCAの時代においては、美意識という軸が大切だと説いている。

 

 

 

言うならば、身体の声のほうが脳の声よりも大切だということだ。

身体は真善美を知っている。

DNAに刻まれた美意識を僕は信頼している。

アプリオリな美的感覚こそ信頼に値する。

そういう本来の人間らしさを今一度見直すべきだと思うのだ。

 

そうすれば、あらゆる違和感を無視せずに済む。

明らかに間違った方向に進んでいくのをやめることができる。

 

身体の違和感を無視しないことだ。

 

直接的には「デジタル・ファシズム」に関係がないかもしれないが、

僕は最近常々そう思って生活している。

 

このコロナ騒動も結局は、身体の違和感を無視しなければいいだけの話。

すべてはつながっているし、問題の根本は同じだと思う。

 

身体感覚、皮膚感覚、そういう人間らしさを取り戻していくようにしましょう。

そのためには、少しデジタルから離れる必要がある。

デジタルから離れてみると、心のざわつき、ノイズがとれていく。

そうすると本来の身体の声に耳が澄ませる。

 

身体感覚について詳しいのは、「スマホを捨てたいこどもたち」

合わせて読んでみると良いだろう。