ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

いじめといじりの違いってなに?

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小学生のころ、僕はいじめられっ子だった。

うーんと、

当時はみんないじってる”つもり”だったんだと思う。

 

だけど、僕本人はいじめられていると感じていた。

いじめられる奴も悪いっていう意見があるけど、

いじめる奴が1番悪い。

そこに異論は認められない。

 

まあいじめられる側にも問題はあるっていうのは、

いじめられる側も、

いじめられるのが嫌なら学ばなければならない。

ということ。

いじめられたことから学んで、

それを生かしていくのは大事なことではある。

 

僕は幸い、いじめられたことから学ぶことができたし、

心を壊す前に成長できたから良かったのだけれど、

 

心を壊すところまで我慢してしまう人もいる。

そういう人に、いじめられる奴が悪い。

だなんて言う奴の神経がわからない。

 

 

いじっている”つもり”だけど、いじめている。

そういう自覚のない、いじめこそ1番悪質で、

いじめられていると感じた本人は誰にも理解されずに苦しむことになる。

 

いじめといじりの違いってなんだろう?

って考えてみると、

 

愛があるかないか。

 

まあ、月並みだけれど、

とても大事なところに行き着く。

 

愛っていうと仰々しいから、

ここでは敬意とでもしようかしら。

 

まあ、愛でも敬意でも良いのだけれど、

とにかく相手を思いやる心が感じられないことが決定的な差を生む。

 

いじる側にも責任はあるし、

どこまでいじったらいいのか。

という距離感をつかめないと、危うい。

 

距離感がある程度近くなって、

ちょっと突っ込んでいじってみるというのは良いと思う。

 

なぜなら、そこにはもう愛があるから。

距離感が大して近くもないし、

愛がない状態で、

突っ込んでいじったらそれは、不快なだけ。

最悪の場合は絶縁される。

 

そういう失敗を繰り返している友達を知っているし、

本当にバカな奴だなと思う。

ただ、バカな奴なのだけれど、

そういうバカなところが可愛いなとも思ったりする(笑)

 

距離感を測れない人も一部いるようだし、

それはカンタンに直せるようなものではないから、

それを理解してくれる人と一緒にいるようにすれば良いのだと思う。

 

僕は、距離感の測り方という技術も大切なんだと思う。

人との距離感なんて言語化できないし、

いくら定規で測ろうとしても絶対に測れないから、

体感でわかっていくしかない。

 

こういうこと言うのってたぶんHSP気質のある人だと思うし、

たぶん僕はHSS型HSPと呼ばれる部類の人だ。

 

僕は割と外向的に振る舞えもするし、繊細な心も持ってるから、

いつもどっちつかずで、どっちのことも理解できるから、

余計に悩む。