ZAKIOLOGY

受験生から大人まで勉強を楽しみたい人のために

ブログを批判するのはやめるべき

ブログに関しては、たまーに暇すぎてやることないときに誰かが見てくれて、
それで、その人が何か和んだり、気づきを得たり、本を読んでみようかなって思ったりしてくれたら万々歳なわけで。

 

ブログに対して批判するのってどうなんだろう?と思ってしまうわけです。

 

 

批判されるのが怖いならわざわざ書く必要なくね?
という最もなことを思われるかもしれませんが、
書くという行為は僕の生活の一部なわけで、アウトプットが滞るとネガティブになりやすいという性格のためご容赦ください。

 

これを言うのは良くないのかもしれませんが、無料の記事に対して批判するというのはなかなか傲慢な行為だと僕は思うのです。

 

たしかに、書く側としては、感想や批判は受け入れて、己を向上していくのは存じ上げておりますが、
批判する側のそもそもの根底に感謝の念があるべきだと思うのです。

 

あなたの記事はここが良くない!
というのは簡単ですし、
そんなことは批判する側のあなたが自分でご意見を書くべきことであって、批判された側がわざわざ直す必要ないのです。

 

誰かが正しく誰かが間違っているというのは浅はかであり、誰の言葉にも真なる部分は存在するのです。

 

それでも、自分はこう思う。こうありたい。ということをわざわざ文章にしているのであって、
批判する側の人は傍観者のままですが、
批判される側の人は主人公として生きているのです。

 

批判される側として生きていない人間は大抵傲慢で、批判して当然だと思っているようです。
批判される側として生きている人間は大抵謙虚で、自分ごときが批判するなどおこがましいと思っているようです。

 

そして僕は、批判されて傷つく気持ちがものすごくよくわかるから、褒める書評しかいたしません。(政治や社会というマクロに対しては文句を言います。でないと良くなっていかないから)(少なくとも、個人攻撃は避けるべき)

 

今の社会ってどんどん傲慢になっていくように思います。
ライオン・シンのエスカノールのことではなくて、
こういう無料化が進み、便利になるにつれて、当たり前という感覚が傲慢さを生み出すのです。

 

これは夫婦のなかでもよくあることでしょう。
妻はなんでも家事をやって当たり前、夫は仕事をして当たり前。
そういう当たり前という感覚によって、当たり前は当たり前ではないという本来の謙虚さが失われ、傲慢になり、感謝がなくなっていくのです。

 

毎日この命があるということですら、当たり前ではない。
当たり前だ。と思っていることはどれだけ傲慢なのでしょうか。

菜根譚という中国の古典のなかでは、ひたすら質素に暮らせ。裕福は敵だと書いてある(誇張ぎみ)


しかし、これは一理あることで、裕福が当たり前だと裕福であることへの感謝はなくなる。

要するに、幸せの感度が下がるのです。

 

だからといって、僕に感謝しろというわけではなくて、ただ、あんまりむやみに批判はすべきではないということです。

 

批判などされなくても、何かしらのフィードバックを書き手は受けているので、わざわざあなたが批判する必要はないのです。

※別に僕が批判されて、悩んでいるわけではないです(笑)