ZAKIOLOGY

受験生から大人まで勉強を楽しみたい人のために

神道と剣道のつながりを思う存分に語ってみた。

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(なぜ西宮を選んだのかと言えば、西宮には蛭子大神のほかに天照大神須佐之男大神が祀られており、須佐之男といえば、十拳剣(とつかのつるぎ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)草薙の剣(くさなぎのつるぎ)ということで「剣と言えば須佐之男」というイメージより)

こんにちは。

おざきです。

前回は、剣道から学ぶ「美意識」というテーマで書きましたが、

今回は、神道と剣道というテーマで書いてみようと思います。

 

神道と剣道になんのつながりがあるのか

ということですが、

 

神道は宗教だと思われている方もいますが、

神道は宗教ではありません。

具体的な教え、戒律などがないため、

ただ単に「宗」です。

 

神道と剣道の共通点というのは、

これといって決まりがあるわけではないけど、

みんなの当たり前の感覚の中に暗黙のルールが横たわっている。

ということです。

 

剣道も確かに決まりは多少あります。

しかし、これをやってはいけない。こうしなければならない。という厳密なルールはあんまりない。

みんな「なんとなく」中段の構えだけれど、下段をやってもいいし、上段でもいい。

 

別に決まりがあるわけではないけれど、「なんとなく」みんな年長者を敬う。

 

「なんとなく」美しくないからこれはしないほうが良いだろうな。っていうのがルール。

なんとも曖昧。

 

審判も曖昧。

別に確固たる理由も確固たる一本なんてわからないけれど、

とりあえず「なんとなく」一本を判断する。

 

これはまさに神道的。

 

神道の重要な考え方として、

「偶然は神なり」

ということがあります。

 

ぶっちゃけ、剣道においては、偶然の連続です。

なんかよくわかんないけど一本取れた!(取られた)

とか

なんかよくわかんないけど勝った(負けた)

ということがよくあります。

 

冷静に見てみれば、どんなスポーツであれ、ときの運というものに左右されたりしますよね。

結局、人生において、偶然というのは天文学的な確率で起こっているわけで、

どこまで実力を高めても、実力が拮抗するところでは「運」や「偶然」に左右されることが多いわけです。

 

この「運」や「偶然」に神なる働きを感じるのが神道です。

偶然起こったことに何かしらの啓示があると捉えるわけですね。

 

これは、日本の地理的な問題もあります。

日本は古来から、天変地異、自然災害が多い。

そのため、偶然起こった、天変地異、自然災害に対して畏敬の念を抱いていた。

日本の場合、自然は豊かで四季も豊か、水もきれいで、森林に囲まれ、まわりには海が広がっている。

そういう恵まれた自然がある一方で、自然の脅威にもさらされてきた。

だからこそ、自然に対する畏敬の念が芽生えたのでしょう。

西洋的な一神教的価値観では自然は人間が管理するものだと捉えますが、

日本的な多神教的(神道的)価値観では、自然は人が介入できるものではなく、敬い畏れるもの。

わかりやすく言うと、

西洋的価値観は「自力」で

日本的価値観は「他力」です。

日本人は「他力本願」という言葉が象徴する通り、自らなんとか「する」というより、

他力によってなんとか「なる」という考え方。

「なんとかなる」と言えば、宮本真由美社長ですが、

斎藤一人さんの教えの中に「なんとかなる」という言霊がある。

それに関しては、なんとかなるの奇跡という本がオススメです。

 

斎藤一人「なんとかなる」の奇跡

斎藤一人「なんとかなる」の奇跡

 

 

「なるようになるさ」といういい意味での諦観、そして祈りがあったんですね。

 

「なんとなく」という部分や

「なるようになる」という部分

が非常に神道的なわけです。

 

日本人の性質にも似たような部分はありますよね。

それが「空気」です。

 

「空気を読めよ!」っていうツッコミは日本でしか成り立ちません。

他の国では「空気は吸って吐くもの」でしかありません。

広い意味での同調圧力は集団心理としてどこの国にもあるのかもしれませんが、

それを「空気」と捉えるのは日本独特のものでしょう。

 

空気とは、当たり前に存在するものであり、目に見えないのに、そこにあるように感じる。

そういう感覚が日本的で神道的。

 

言ってしまえば、神道は日本人にとって空気も同然です。

当たり前過ぎてだれも意識していない。

そういうものが神道です

 

神社は「なんとなく」良い気がする。

「なんとなく」神様いそう。

 

っていう感覚。

 

自然崇拝と言えば自然崇拝なのでしょうけど、

自然崇拝という言葉で片付けるにはもったいないような感覚ですよね。

 

で、ずっと神道について語っていましたが、

そういう「なんとなくいい」とか、「なんとなく美しい」

っていう感覚が審美眼を育んでいて、

剣道にも生かされているのです!(やっと剣道にもどったw

 

審美眼というものを育む最強のツールとしての剣道でもあるように感じます。

 

剣道を通して、「美しさに対する感度」を高めるといいますか、

剣道をやっていると違和感が出てくる。

「なんかちゃう」「なんか歪んでるな」

みたいな「えもいえぬ違和感」が美しさを追い求める過程では必要不可欠。

 

そのような違和感を感じるためのツールのような気がします。

 

今回は勢いで書いたので、まとまりがないかもしれないですが、

そこはご愛嬌ということでw

 

最近、神道と剣道ってめっちゃつながってるやん!

っていう感動に駆られてしまい、ずっと書きたかったんですよねw

 

神道は「神に至るための道」ですから、美しさすらも超越しているとも言える。

そして、神道は「道」と名のつくものの中で最も抽象度が高い思想ですから、剣道とつながる部分があって当たり前といえば当たり前。

 

そんな感じですw