こんばんは。
おざきです。
今回は、同調圧力から解法され、自分軸で生きよ というテーマで書いていこうと思います。
同調圧力がはびこる社会
新型コロナがはやり、どこか同調圧力をより感じるような雰囲気になっていますよね。
自粛しなければいけない!自粛しない奴らはけしからん奴らだ!
マスクをしていない人を見るだけでイライラする!
というような感情を持っている人も一定数いるようですし、少し前には自粛警察という言葉もよく目にしました。
マスメディアや政府、SNSによって自粛自粛自粛!というような世論が形成されているように感じます。
しかしながら、これはかなり危険な発想なのではないかと僕は思うのです。
政府がしていることは?と言えば、ひたすらに自粛を要請するだけで、同調圧力によって支配してやろうというような思惑が見えます。
実際に、その結果として去年はみんな自粛していましたし、おとなしく従っていましたよね。
一度そういう雰囲気が作られるとそれを打破するのは容易ではなくて、どんどん政府は口だけになっていきます。
日本という同調圧力による支配自体は戦争中もあった話でして、それの主なるものが大政翼賛会です。
大政翼賛会によって、人々の細かい生活にまで政府が介入していきました。そして、物資は配給制になり、どんどん困窮していきました。
今も、同じように人々の細かい行動にすら政府が介入しようとしています。
新しい生活様式なるものがそれです。
これはかなり危険ではないでしょうか。一度権力のバランスを崩すと立て直すのには時間がかかります。
翼賛的な体制になればなるほど、権力が集まるのは三権分立でいうところの行政です。
何の権利があって、個人の生活にまで介入できるのか。
僕は甚だ疑問です。
本来、憲法の言うところの基本的人権において、個人の思想、信条は自由であるべきですし、公共の福祉に制限はされるものの、公共の福祉は新型コロナにおいては、感染者を隔離できることくらいにしか適用され得ないものであるはずです。
そういう観点から言えば、何人で食事をしようが、飲み会を開こうが、帰省しようが、初詣しようが、個人の自由のはずです。
だから、政府やマスコミというのはタチが悪い。
憲法的に、個人の自由を侵害してはならないから、あくまで要請しかできないのにもかかわらず、その要請によって世論を形成し、同調圧力という目に見えない支配によって政府にはなんの損失もなしに自粛させようとしていると言っても過言ではないのです。
同調圧力から解放され、自分軸でいきるには?
で、今回の本題の同調圧力から解放され、自分軸で生きるための指針として、本に良いことが書いてあったので引用します。
特定の信仰を持っていなくても、自分の中に超越的なものに背くことへの畏れ、あるいは揺るがない軸があれば、私的領域に国家がどこまでなら踏み込んでも許容できるのか、はっきり線引きができると思います。翼賛的な同調圧力に対しても距離を保って過ごせるのではないでしょうか。
佐藤優 著 「危機の正体」から引用
僕は、もっと限定的に、神道に立ち返ることが大切だと考えています。
日本人の中にはすでに神道的な自然への敬いや精霊信仰的なものが根付いていますから、神道に立ち返れば自ずと信仰心は芽生え、揺るがない軸ができあがっていくはずです。
最後に
皆さんも、同調圧力にだまされてはいないでしょうか?
正しく恐れるということは良く言われることですが、正しく恐れるにはいろいろな意見に耳を傾けることです。
集団免疫説からウイルス学的な知見、生物学的な知見、歴史的な知見。いろいろな知見が世界にはあります。
毎日少しでも学ぶことです。
参考文献として載せておきます。ぜひ読んでみてください。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。