今日は、友達とカラオケに行ってきたということをたぶんここであえて書くのは角が立つだろうし、もしその友達が見たなら不快に思うかもしれない。
しかし、僕のネガティブな感情はこのままだと成仏してくれなさそうなので、それも承知の上でかいてみようと思う。
タイトルのようなことは誰しも経験があるだろうが、ラーメン屋で食い意地を張り、あえて大盛りを選んだら、味に飽きてきて、ただただ美味しくない。
それは、ほかの分野においてもそうだ。
カラオケでもう歌い尽くして満足していてそろそろ飯に行って寝たいと思っているのに、まだ時間があるからというだけの理由で歌い続けるのはただ辛いだけである。
それでも僕は、ある程度は空気を読み、合わせようと試みた。
しかし、無理だったのである。
飽きたものは飽きたのだ。
もう満足~という幸せな状態のままできれば一日を終えたい。
孔子の言葉で、過ぎたるは及ばざるがごとし。というものがあるが、食べ過ぎは空腹と同じくらい気持ち悪い。
僕は人よりも、そのキャパが狭い。というか、すぐに飽きる。
カラオケであれば、一人で90分くらいが一番ちょうどいい。
元来僕はヒトカラが好きである。
今日はあえて、友達とカラオケに行ったのであるが、もう心底行くのはよそうと思った。
ヒトカラの方が圧倒的に幸福度が高い。
人に合わせるのが好きではない。
しかし、僕はかくれ繊細さんである。
つまり、外向的で敏感なのだ。
だからある程度、人に合わせられてしまう。
鈍感であったならどれだけ生きやすいのだろうか。
いいや、そんなことを考えるのはよそう。
鈍感にはなることはできないのだから、この敏感さとうまく付き合っていくことの方が大切であることは間違いない。
僕は元来、自己矛盾の多い人生を送ってきた。
葛藤の多かった人生だと自覚する。
それは今はどうでもよくて、話をもどそう。
そう。
満腹なのに、それでも口に食べ物を入れるのはただ辛いだけなのだ。
言ってしまっては悪いが、それを強要するのはパワハラである。
僕はカラオケで友達からパワハラを受けたのだw
なるほど、パワハラというのもがいかに人を苦しめるかがよくわかった。
やはり、実体験にまさる知恵はない。
結局は、本に書いてあることも自分の体験によって知恵に昇華させることが一番肝要である。
今日のカラオケのパワハラにおいて、僕が学んだ知恵を備忘録てきに書いてこの記事は終わりにする。
めんどくさい奴は無視する
めんどくさい奴は無視されるとシュンとして、意気消沈する
無視するときに有効なツールがスマホである。
どんなにつっかかってこようともスマホの画面は現実を救ってくれる
満腹になったら、残せば良い
人に合わせるのが辛いなら、一人でカラオケに行けば良い
それでもあえて友達とカラオケに行くのなら、嫌になったら金だけおいてさっさと帰ればいい
以上です。