ZAKIOLOGY

知見のヨセアツメ

便利になっていく社会と不便益について 今の社会便利過ぎじゃね?それってどうなの?

 

f:id:zakioza:20201102150958p:plain

こんにちは。

おざきです。

今回は、便利になっていく社会について書いていこうと思います。

最近5G対応のiPhoneが登場するなど、どんどん技術が新しくなって便利になっていっています。

5Gについては、まだまだ健康被害などのデータが足りないので、当分は使わない方が安全だと思っているわけなんですが、

便利さって引きこもりのためにあるの?

便利になっていく社会って、なんで全部引きこもりに優しいのだろうか?と思うんですね。

例えば、アマゾン

アマゾンでは家にいても配達されてきて、引きこもっていても買い物ができます。

そして、見たい番組もプライムビデオで見ることができますし、音楽も聴くことができます。

アマゾンのほかにも、ウーバーイーツやYouTube、そもそもネット自体が引きこもりの必需品ですよね。

全部、引きこもりに優しいのは何でなのでしょうか?

コロナウイルスによって世界が分断され、多くの人が内向に偏っているのですが、それも引きこもりに優しいですよね。

これは、陰謀論に近い話なので無視してもらっても良いのですが、世界を裏で牛耳ってる人間は引きこもりなのではないか?とも思っています。

便利になればなるほどに、引きこもりに優しくなっていく。

そして、ドーパミンを刺激するようなゲームや、SNSなどがどんどん発達して、それに没頭してしまう人も多くいるようです。

フォートナイトなどはまさに依存させるためのゲームのようなもので、引きこもるためのゲームではないかと思います。

どんどん仮想世界が広がっていって、現実世界との乖離が進んでいるように感じます。

ほんとにソードアートオンラインのような世界ができるのも時間の問題ではないかとも思いますし、数年前までは現実味がなかったのに、一気に現実味を帯びてきていますよね。

便利さと幸福度って関係あるの?

それで、僕が一つ疑問に思うのが、社会が便利になるのは良いのだけど、僕は幸福になっていくのだろうか?ということです。

5Gが危険であることは以前の記事に書きましたが、それだけではなくて、テクノロジーによって本当に僕は幸福になれているのだろうか?と思ってしまうんですね。

ニュースを見ていても、人々は幸福に近づいているどころか、遠ざかっているのではないかと思うようなことが多いです。

自殺者が増えているのもそうですし、失業者が増えているのもそうです。

もっともっとって便利さを追求しても、幸福からは遠ざかるのではないでしょうか?

だいたい、幸福って、追い求めるほどに遠ざかっていくものですし。

これは、僕が考えた言葉ではないですが、不便益という考え方があります。

便利過ぎる社会だからこそ、不便さにこそ益があるのではないか?という考え方です。

あえて不便なことをやってみると、意外と楽しいんですよね。

あえてパソコンで書いているようなことを手描きで書いてみる。とか

あえて調べ物を本でやってみるとか。

あえて不便なことを選ぶというのは実は面白いことなんですよね。

なにより、生きてる実感がわきますし、画面の中ではわからない手触り、感覚みたいなものを使うので動物らしさがあるんですね。

デジタルは0か1かしかないけれど、アナログには0と1との間に無限の可能性がある。

これは、音楽でも同じことで、生で聞く音楽とデバイスで聞く音楽が違う原理もここにあります。

生で聞く音楽には、微細な波長まで細かく体感できるのですが、デバイスではデータにするときに人間の感覚ではわかりにくい部分は端折っています。

人間っていうのは、0か1かなんてわかりやすいものではないし、0と1の間に無限の可能性があるし、なんならアかイかという軸もあって、そんな単純化されたものではないのだと思っています。

だから便利さよりも不便さを選ぶことも大切だと思うんです。

あえて合理主義から離脱するのもいろいろな発見もあるし、合理主義だけではわからないこともたくさんあると思うんです。

それにしても、便利さは魔性ですよね。

便利さに一度触れてしまうと、そこからはもう離れられなくなってしまう。

人間はほんとに怠惰。

昔の人はその点よくわかっていたのだなと思います。

ちゃんと7つの大罪には「怠惰」が含まれているし、便利さにかまけるのは良くないことだと心底わかっていたのかもしれません。

最後に

今回は便利になっていく社会というテーマで書いてみました。

あなたは、便利になっていく社会につてどう考えていますか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。