ZAKIOLOGY

読書大好き大学生の雑記ブログ

本当の自立ってなんだと思いますか?

こんにちは。

今回は、自立というテーマで書いていこうと思います。

フリーランスの本当の「自立」とは? | フリーランスデザイナーの習慣日記

自立。

よく、「自立しなさい。」とか「自立していないニートは嫌だ」とか言いますが、本当のところの自立とは何だと思いますか?

ここからは、一般論と僕の体験を言うだけで、それが正しいとは限りませんが、一つ考えてみると良いと思いますので、参考程度に。

二種類の自立

自立には大きく分けて、二つある。

一つが精神的自立

もう一つが、経済的自立

精神的自立は、精神的に自立する。つまり、親がいなくても自分で物事を決めたり、判断したりできるということ。

経済的自立は、経済的に自立する。つまり、自分で生活費を稼いだり、自分で働いたりできるということ。

世間の「自立しなさい」は多くの場合、経済的自立を指している。

 

しかし、本当の意味で自立するならば、経済的自立よりも精神的自立をするのが大切。

 

精神的自立できていない大人は、「見た目は大人、中身は子供」っていうコナンの逆パターンになってしまうから。

これって、滑稽なんです。

いつまでも親の言うとおりにしか行動していないおっさんは、悲惨です。

自分の人生を歩んでいないから。

自分の人生に責任を持て。自分の人生を生きろ。ってよく自己啓発で言われますが、これも自立を促すためだと言えるでしょう。

本当に自立するのならば、精神的に自立すべき。

よく言う話ではありますが、子供は、良い子ちゃんを演じています。

自分もそうでしたし、多くの人はそうするほかなかったと思います。

しかし、10代後半から20代前半では、もう大人として、自我が形成されています。

自分の好きなこととか、興味のあること。いろいろ自分のアイデンティティが生まれていく。

だからこそ、この時期というのは、精神的自立をする絶好のチャンス。

経済的な自立は、ある程度バイトや就職をして普通に暮らせるだけのお金を稼ぐことは多くの人にできるわけなので、あんまり心配はいらない。

ここまでは、一般論。

ここからは、僕の体験から考える精神的自立。

 

精神的自立の痛み

僕は浪人のときに、「親の言いなりになってたまるか」「親の意見には一切影響を受けずにこの一年は過ごす」と決めて生活していました。

ぶっちゃけ、良かったか悪かったかで言えば、どっちでもない。

良かったとも言えるし、悪かったとも言える。

でも、自分にとって、「親の影響から外にでる」ことの大切さがわかった点で、非常に意味があったとは思っています。

親の干渉度合いが強ければ強いほど、精神的に自立するタイミングでは、バチバチにぶつかると思います。(多分、まちがいない)

親も、今まで育ててきた子供が自分の影響の外に行ってしまう怖さがあると思いますし、子供も育ててもらった恩義や感謝がある分、自立するにはお互いに痛みが伴います。

しかし、通過儀礼には、痛みが伴うもの。

それを超えるからこそ、本当に精神的に自立することができるのだと思っています。

精神的自立には、痛みがある。というのが僕の考えです。

 

真の自立とは?

そして、いろいろ話を聞いたり読んだりする中で、

真の自立とは、人を頼れるようになることだ。」という話がありました。

本当に自立したと言えるのは、人に頭を下げて、人に頼めるようになることであると。

一般的には、自立というと、「なんでも自分でこなせるようにならなければならない。」みたいに思いがちです。

しかし、本当の自立はそうではない。

なんでも自分でやるのではなく、自分が苦手とする分野や、人の方が得意な分野は人に任せて、自分が得意なこと、人に任せてもらったことを一生懸命やるという姿勢こそが、真の自立であると。

たしかに、なんでも自分でやろうとするのは、少し傲慢すぎるし、逆に独りよがりになってしまいますが、人を頼れるようになると、楽になります。

なんでも他人任せにするのも違うし、なんでも自分だけで何とかしようとするのも違う。

なんか、ハイキュー!!の影山みたい。ハイキュー!! 25 今、進化の時――――!! - とあるオタクの秘密基地 ...

↑このシーンは、影山がツムの「おりこうさん」っていう言葉に悩んでたところから脱却したところ。

もともと影山は、自分でなんでもやろうとしてしまうタイプで、人を頼れなかった。でもぶつかり合いを通して、自分ではできないことを人に委ねることができるようになった。(意見を言い合うことで、独りよがりにならず、自立した?)

最後に

どうでしょうか。

自立って、難しい。

自立には、わかりやすい指標なんて存在しませんから、自分で判断していくしかない。

「自律」の方が良いのかもしれませんね。

「自分で自分を律しろ。」と、中学の部活の顧問の先生によく言われました。「律」はピアノの「調律」などにも用いられるように、「正しい状態に戻していく」という意味がある。

そういう意味で考えれば、自分を自分で調律するかのごとく、反省と改善を繰り返していくというのも、自律の一つなのかもしれません。

いろいろと考えてみると良いのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。