こんにちは。
大学の教育の問題点について書いていこうと思う。
大学の教育の問題点。
1.授業料が高い
2.単位の認定法
3.文科省の干渉度合い
4.サラリーマン養成学校
5.本来の大学とは
1.授業料が高い
諸悪の根源とも言える。
大学が法人化された結果、大学の授業料が非常に高くなっている。
その割に、大学の授業の質、教員の質、研究の質は下がっている。
授業料が高くなることで、親の負担が増える。すると、親は子供に対してより干渉するようになる。それによって、留年してはならない。親に負担をかける。親からの圧力が強くなり、その結果本来あるべき大学の学びよりも、単位がとれるかとれないかという非常に狭い価値観に縛られることになる。
2.単位の認定法
単位の認定も問題だ。
多くの授業では、単位は出席を前提としている場合が多い。
出席する価値のない授業は、正直ある。
くそほどつまらない授業もある。
その授業を受けなければならない。
昨今の大学では、必修の授業も多い。
そのため、授業に無意味に出席を強いられる場合がある。
大学生という非常に貴重な時間をそのような無駄な授業に割かなくてはならないというのは甚だ問題だ。
堀江さんがよく大学に行く意味はない。と言っているが、一理ある。全肯定はしないが、合理的に考えれば、そのような無駄な時間を他の学びに変えたほうがよっぽどいい。
時間は有限であり、浪費している暇はない。
多くの授業は、命の浪費になっている。
3.文科省の干渉
それもこれも、文科省がお金を教育にまわさないくせに口を出すからだ。
いちいち単位の認定まで、文科省が基準を定めている。
正直、今の大学でやっているのは、従順なサラリーマンを養成しているようにしか思えない。
4.サラリーマン養成学校
以前、大学は就活の準備ではないということについて書いた。
要は、大学は、そもそも独立した教育であり、就職のための準備ではない。
そもそも今の大学では、一般的に死んだ学びにしかなっていない。
ただ、授業に出席してただ漫然と勉強をやらされる。これになんの価値がある。自ら学び、生きた学びをするのが本来の大学。
生きた学びとは、感情を伴った、人生に生きる考え方を学ぶということだ。
生きた学びは自発性を伴わなければ意味がない。
生きた学びは得てして数値化しにくい。だからめんどくさいのだろう。しかし、数値化できないところ、つまり精神性や人間性などにこそ価値がある。
そういったあるべき大学の学びが行われていない。
5.本来の大学の学び
大学という字の通り、大いなる学びをするのが大学だ。
大いなる学びとは、普遍的なものだ。
普遍的に、どの場面においても必要不可欠な学び。
それをする場だと思う。
だからこそ、大学生は、哲学を学ぶのは必要不可欠。
哲学を学ばなくして大学とは言えない。
たしかに、人の役に立つ仕事をするためにもある程度の専門性は必要だと思う。
しかし、専門性だけにこだわって、実用的なことしか学ばない人間には深みがない。
一見無駄と思えることを学び、それを自分の肥料にしていくことができなければ、本当の意味での教養とは言えない。
たしかに教養の授業はある。しかし形骸化している。言ってしまえば勉強できることが狭い。
大学はもっと、開かれた勉強ができるところでなくてはならない。
最後に
授業料が高いことは、広い学びを妨げる。受験勉強という圧力を超えたならば、ある程度自由に羽を広げて勉強できるようにすべきだし、授業を受けるか受けないかの選択権は本来学生の側にあるのであり、いちいち口出しすることではない。
大学は大学でなければならない。大学が大学でないから、今の大学は価値が薄いのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。