今回は、大阪城について少し語りたいと思います。
大阪城に行って来ました!
僕はお城が好きなので、少し、大阪城についての豆知識を語っておこうかと思います。
大阪城といえば大坂の陣
大阪城といえば!大阪の陣ですね。
大坂の陣は、非常におもしろい。
豊臣方の敗因
なぜ、難攻不落の城、最強の城と言われた大阪城が落ちたのか。
一つは、家康が大阪城の堀を埋めたということ。
一つは、権力構成です。
堀を埋めた家康
大坂の陣といえば、冬の陣、夏の陣がありますが、冬の陣のあと、家康はなにもしていなかったわけではないのです。
冬の陣がおわり、和睦するときに、その条件として、大阪城の堀を埋めることを提示していたわけです。
当然ながら、戦争の達人が集まる豊臣家臣らは断固反対します。
堀を埋めるということは、城の防衛の根幹を壊すことを意味します。
それをやったらまた攻められることは目に見えていたわけです。
しかも、真田日本一とも言われた、真田幸村がいたわけですから、そう簡単には堀をうめることは許すはずはないのです。
では、なぜ、家康は堀を埋めることができたのか。
それがもう一つの理由。
権力構成です。
豊臣方の総大将は、秀頼です。
秀頼は秀吉の晩年に生まれた子どもで、まだ、大人とは言えない子でした。
そんなときに、権力を持つのは、誰でしょうか。
そう。母親です。
権力を持っていたのが淀殿だった
淀殿が権力を握っていたわけです。
その淀殿は戦の素人も同然。
かつ、城を攻められて恐怖も感じていますから、それは、早く、安全になってほしいと考えるのが当然です。
そんなわけで、迅速に家康との和睦を家臣に命じるわけです。
そして、大阪城の防衛力を壊すことに成功した家康は、夏の陣をしかけ、大阪城を落としたということなんですね。
歴史の勉強法
僕は真田幸村が昔から好きなんです。
それで、真田幸村から派生して、大坂の陣についても知りました。
歴史を勉強するときに大切なのは、圧倒的に人、人物です。
人物を知れば、興味が広がります。
政治をするのも、戦争をするのも、なにか歴史に残ることをするのは、必ず人です。
なので、歴史を勉強するなら、まずは自分の好きな歴史上の人物を一人見つけて、そこから背景や人物像を深掘りしていく。
そうすると、非常に深まりますし、人にも語れるようになるので、楽しさが2倍にも3倍にもなります。
ぜひ、歴史を勉強する際は、人物から広げていくのをオススメします。
最後に
今回は、大阪城について少し語りつつ、歴史の勉強法について書いてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
では。
追記:大阪城のスタバおしゃれ。なんかタカとフクロウを触らせてもらった。