泣くことが少なくなったのはいつからだろうか。
中学まではたくさん泣いていたように思う。
いわゆる泣き虫だった。
小学生のときは、ひどくて。
何かの発表で、人前に出たら泣く。怒られたら泣く。ドラえもんの映画で泣く。
本当にたくさん泣いていた。
でも、最近は泣く機会はめっきり少なくなってしまった。
心が鈍感になったのだろうか。
鈍感にならざるをえない。
いろいろなことに慣れてしまったのかもしれない。
ドラえもんの映画も、人前で発表することも、怒られることも。
感覚が麻痺しているのかもしれない。
現実の社会、いわゆるストレス社会を生きるには、感覚を麻痺させざるをえない。
いちいちストレスに感じていたならやっていけないのだろう。
逆に、感覚が鋭敏なままな人は、生きずらさを感じるのだと思う。
鬱になるひとは、感覚が鋭敏なのだ。
感覚が鈍感ならば、鬱にすらならない。
ウルフオブウォールストリートでも、麻薬で感覚を麻痺させながら、ぼろ儲けしていた。
ある人が言っていた。
ある程度の成功者には、凡人でもなれるが、飛び抜けた成功者にはなれない。と。
それは、ある意味、凡人の感覚では、精神的に耐えられないからなのではないかと思う。
飛び抜けた成功者は感覚が飛び抜けて鈍感なのだ。
鈍感だからこそ、ストレスを感じずぼろ儲けしても、人を踏みつけてでも上に立つことができる。
凡人に生まれたならば、飛び抜けた成功を目指すのは身を滅ぼすのかもしれない。