日本の武道の教えに、「守・破・離」がある。
守の段階は、基本的な型を反復し、型を身につける。
破の段階は、身につけた型を、破っていく。
離之段階は、型から離れて、自由になる。
という考え方。
日本にも、守るべき型があると思う。
今の日本は、破ばかりに目を向けている。
基本をおろそかにしているのだ。
昔から守り抜いてきた伝統、習慣、を失いつつある。
基本の型が身についていない段階では何をしても裏目に出るのが、オチだ。
受験でもそう。
基本的な解法、公式を知っているからこそ、難しい問題にも対処できるわけ。
基本的な解法、公式も知らずに、難問に対処しようとしているのが、今の日本だ。
基本的な解法の一つが、武士道であると思う。
武士道の精神を忘れてしまっている。
日本の伝統的な考え方に立ち返り、守るからこそ、そこから発展性が生まれるのであり、日本の型を身につけないのは、愚かでしかない。
武士道とは、美の探究である。
人がどうあるべきか。それを身につけるのが先決だと思っている。
人がどうあるべきかを身につけた後で、実用的なことも学んでいく。
基本は、人間の道徳だ。
どうあるべきかがあるから、発展していく。
そもそもの起点が間違っている。
自粛が必要だとか、不要だとか。それ以前に、どうあるべきか。が大事。
一日をどう生きるのか。そっちの方が大事やと思う。
一日、自分のやりたいことをやったのか。一つでも成長したのか。徳を積んだのか。
そっちの方が肝要だ。
目に見えないウイルスにおびえて、ひたすら家にこもって時間を無駄遣いしているのが果たして、良いことなのか。
三密を避けつつ、少しでも外に出て、活動的に過ごして一日を終えるのか。
どっちの方がいい?
この日本の大事にしてきた、あり方の部分、武士道の精神性を見直すべきなのではないだろうか。