今、日本の古き良き伝統が失われつつある。
聖徳太子は、「和を以て貴しとなす」という言葉を残した。
和とは、和みである。
和を大切にしていこう。というのが日本の伝統だ。
それを失いかけている。
和とは、調和である。
「わたし」は昔は「私」ではなく、「和多志」であった。
たくさんの志が和合する存在。それが「わたし」であると考えたのだ。
自分という存在と、他人という存在の隔たりがなかったとも言える。
自分の願望も、他人の願望も、すべてはつながっていて、それは和合しているものだった。
だが、現代はどうだろうか。
人と人とのつながりは希薄になり、「我」をもった存在としての「私」がまかり通っている。自分と他人には隔たりがあり、物質世界にばかり目を向けている。
今こそ、日本の古き良き考え方に立ち返るべきときだと思う。
ウイルスとも調和して、和合していく。
目に見えないウイルスを敵と見なすのは、はたして正しいのか。
目に見えない敵と戦うことほど、ストレスなことはない。
目に見えない敵におびえ、家にこもり、皆が疑心暗鬼になっている。
韓国では、規制を緩和した途端に、集団感染が起こった。
日本も同じになるのではないかとおびえるのではなく、もう新型コロナウイルスと戦うのをやめるべきだ。
戦うという意識がまず間違っている。
和合することしか道はない。
このまま、人と人との隔たりがますます大きくなり、世界が分断されていくのが果たして良いことなのか。
甚だ疑問でならない。