こんにちは。
今回は、神社参拝の作法について書いていこうと思います。
大前提
神様に対しての敬虔な気持ち。
まず、心構えとして、神様に対しての敬意があることが大前提になります。
これから紹介するすべての作法は、神様に対する敬いの気持ちの表れでもあります。
なので、大前提として、神様に対しての敬いの気持ちが必要不可欠です。
具体的な参拝作法。
西宮神社の空気感を感じながら、参拝を想像しながら読んでみてください。
まず、鳥居をくぐるときに一礼。
参道を歩くときは、中央は歩かず、端っこを歩く。
手水舎(ちょうずや)では、右手で杓子をとり、左手から清める。左手を清めたら、杓子を持ち替え、右手を清める。その次に、さらに持ち替えて、左手に水を杓子から注ぎ、口をゆすぐ。
左手から清めるのは、左のほうが位が高いから。右大臣よりも左大臣の方が位が高いことも同じ。
左手から右手、そして口を清め終わったら、杓子に残った水を取っ手の部分に流し、杓子も清める。(立つ鳥跡を濁さずの精神)
そして、杓子をもとの場所に置く。
賽銭箱の前についたら、まず、御玉串(お賽銭)を納める。基本的にはお札の方がよい。お金の額がすべてではないものの、ある程度痛手になる程度のお金を納めると気持ちが乗りやすい。
そして、鐘があるなら鐘を鳴らす。
鐘を鳴らしたら、一歩下がり、二礼二拍手をして手を合わせ、祈る。(出雲大社は二礼四拍手)
祈るときにはまず、天津祝詞を奏上するとよい。天津祝詞には浄化の言霊が含まれているので、より祈りが通じやすい。
祈りは抽象度の高い次元から。
日本の弥栄。世界の平和など。これが叶ったら神様も喜んでくださるだろうという祈りから始める。
徐々に抽象度をさげ、自分の周りの人々の幸福などを祈り、最後の自分の個人的なお願いをする。
祈るときに、これだけの祈りを捧げると時間がかなりかかるので、御玉串を納めたら、賽銭箱から離れて、人の邪魔にならないところまで下がって遙拝するのも良い。
祈りが終わったら、「かむながらたまちはえませ」と言い、結果はすべて神様に委ねる。そして一礼。
祈りの結果は神様に委ね、現実的な努力を日々積み重ねていくという姿勢が大切。
「神仏を敬い、神仏に頼らず」という心構えでいると、ふわふわした怪しいスピリチュアルではなく、現実も見据えたスピリチュアルになる。
ざっくりいうとこんな感じです。
一番大事なのは、大前提の神様を敬う気持ちです。
神様を敬う心があれば、行動も自ずと変わるもの。
最後に、
注意すべきことについて書いておくと、
写真をとるのは祈り終えた後にしましょう。神社に行く目的は、祈るためであり、写真を撮るためではないからです。
祈る前に写真を撮るのは僕は嫌いですね。
写真を撮る枚数自体も「これだ!」と決めた2,3枚にとどめるのがベストだと思いますし、写真を撮り過ぎる意味が僕はわからない。
複数の人数で行くときは、基本的に無駄話は避けた方が良いでしょう。これも神様を敬っていれば当然なことなのです。べらべらしゃべっている人に敬虔な気持ちなどあるわけはないでしょう。
ご祭神についての知識も大事です。初めて行く神社でも、由緒の書かれた看板があると思うので、最低限そこに書いてあることだけでも把握してから参拝すると良いでしょう。
一番良いのは、古事記や日本書紀を読むことですが。すべての人がそこまでできるかと言えば現実的には厳しいかもしれないので、最低ラインとしては、由緒の看板やネットの記事を読むことです。
基本的なところについて解説しました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
では。