昨日、以下のような記事を書いた。
「大学生=就活の準備」という考え方はバカげている - ZAKIOLOGY
友人からも好評で、ありがたいことにコメントもいただいている。
そこで、今回は、さらに深掘りを試みる。
昨日は、大学生≠就活の準備という観点から書いたが、今回は、「大学生=人生の準備」という肯定の方向性で書いていこうと思う。
結論から言うと、大学では自分が情熱を注げる「何か」に出会うことが重要だ。
大学で学ぶ意義
大学で学ぶ意義とは、自分が本気で向き合えることに挑戦し、失敗し、経験値をつみ、「私」が燃える「何か」に出会うことだ。
成功者は10代後半から20代前半で覚悟を決め、「何か」に燃えている。
例えば、孫正義氏。
彼は、高校生で中退して留学という大胆な行動を起こしている。それも、読書を起点にして。
アメリカ時代[編集]
高校入学後、家庭教師に薦められた司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』を愛読し、脱藩に憧れて渡米を決意し、夏休みを利用して米国カリフォルニア州にて語学研修のため4週間の短期留学。1974年に久留米大学附設高等学校を中退し、2月に渡米。米国ホーリー・ネームズ・カレッジの英語学校 (ESL) に入学し、サンフランシスコのセラモンテ高等学校2学年に編入学。3年生、4年生へと飛び級し、高校卒業検定試験に合格したため、3週間で退学、翌1975年にホーリー・ネームズ・カレッジに入学した。
1977年、カリフォルニア大学バークレー校経済学部の3学年に編入学。そして1979年、シャープに自動翻訳機を売り込んで得た資金1億円を元手に[13]、米国でソフトウェア開発会社の「Unison World」を設立。インベーダーゲーム機を日本から輸入し、米国で販売した。1980年にカリフォルニア大学バークレー校を卒業。
日本へ帰国後、会社を設立するために福岡市博多区雑餉隈に事務所を構えた。
(wikipediaより引用)
この経歴を見るとわかるように、時代を作るようなすごい成功者というのは、努力も並大抵ではない。ひたすら燃えて、めちゃくちゃ勉強している。
大学生は、何をすべきか。間違いなく勉強だ。
しかもただの勉強ではない。激情の実践を伴った勉強だ。
燃える「何か」を見つけるために、ひたすら行動し、勉強するのだ。
それが大学にわざわざ行く意義であり、無駄なことを経験することの意味なのだ。
ただ、それを実践するのは簡単なことではない。
自分が燃えるための「何か」を探す過程で邪魔になるものが3つある。
ここからは、その邪魔なものを紹介し、それを排除する方法について書いていく。
人生を動かすときに邪魔になる3つのもの
- 1.世間の価値観
- 2.親の価値観
- 3.自分の過去
1.世間の価値観
世間が押しつけてくる価値観は言うまでもなく邪魔である。
昨日の記事でも書いた通り、世間では「高校→大学受験→大学生→就活→社会人」という社会にとっての都合の良い価値観を押しつけてくる。
こんなステレオタイプの考え方を押しつけているのは、世間の富裕層の思惑に過ぎない。
例えば、新卒市場。
新卒市場では毎年、就活生にサービスを「受けさせ」ている。
なぜ、就活するのが一般的なのか。簡単だ。企業の利益になるからだ。
世間一般に、「就活=当たり前」という価値観があればあるほど、儲かる仕組みだからだ。
学校教育の弊害の一つでもあるが、画一的に教育するのは、「企業が扱いやすいサラリーマンのプロトタイプを量産するため」なのだ。
だから、個性があるよりも、5教科の成績が良い方が褒められるし、「良い子」認定される。
こんなのは、世間のエゴであり、自分の人生を生きることにはなんの関係もない。
多くの人は、この世間からのとらわれに疑問を抱かず、日々漠然と、そして、漫然と生きてしまっている。
社会に対して、疑問を持つのがめんどくさいと思うのなら、それでも良いのだろうが、それは幸せなのだろうか。
この世に生まれてきて、自分の人生を生きることも叶わず、ただ漫然と時間を浪費するのはいささか不幸ではないだろうか。
だから、まずは、世間からのとらわれから解放されるべきだと思う。
そのためには、いろいろな本を読むことだ。
いろいろな価値観に触れることで、本当に自分に合った価値観に出会うことができる。現代の子供は親以外の大人との出会いが圧倒的に少ない。だから価値観も固定化してしまう。
読書を通じて、新しい考え方、先人たちの叡智に触れることがとても重要だと思う。
2.親の価値観
世間の価値観の一部ではあるが、親の価値観も大きい障壁になりかねない。
僕は医学部の学生に問いたい。医者になるのは本当に「自分の夢」なのか。と
親の価値観を自分の価値観だと思い込んでいるだけなのではないか。と
もちろん、自分で選んで医学部に行っているのなら問題ない。しかし、そこに疑問を持ったことのない人もいるのではないだろうか。
多くの人は、親からの精神的な自立ができていない。
精神的な自立とは、自分の価値観を形成するということだ。僕は本を読むようになって、痛感した。これまで、いかに親の価値観だけで生活していたのかということを。
親は良くも悪くも、社会の洗脳を受けている。
昔は、経済成長の時代で、景気も良くて、そこからバブル崩壊やらリーマンショックやらがあった。
そんな時代を経てきている親は、「安定する仕事に就くこと=幸せな生き方」だと思い込んでいるケースが多いだろう。僕の親がそうだ。
僕が理系を選んだのも、理系の方が安定した仕事が多いからだ。
高校2年生で文理の選択をしたが、そのときはまだ読書に目覚めていなかった。だから、今思えば、僕は文系の方が圧倒的に向いていたと思うし、文学部に通いたいとすら思う。
ただし、理系であったことにメリットも感じる。例えば、理系は数Ⅲを勉強する。そのお陰で、圧倒的に計算力はついたし、塾の講師をやるにしても、理系を教えられる先生の方が少ないから採用されやすいなど。理系の方が学びにくいのもあるし、ある程度の基礎がなければ、独学が難しい。だから理系で良かったとも思っている。
文理は究極的にはどうでも良いが、それすらも、親の安定志向の価値観で選んでしまっていたということなのだ。
ぜひ、読者の方には、自分の選択が果たして本当に自分の価値観、趣向に基づいた意思決定だったのかということを振り返ってみてほしい。
3.自分の過去
多くの人は、過去から現在、そして、現在から未来という時間軸の中で生きている。
過去から現在は決まり、現在によって未来も決定すると。
「過去→現在→未来」というのは一般的だ。
しかし、僕は逆の時間軸も存在していると考えている。
「未来→現在→過去」という時間軸だ。
これを幸福な時間感覚と呼ぶ。
未来から発想するということだ。未来の自分から現在の自分を創造し、過去はその集積だと。
過去は変えられない。
誰もがそう思っているだろう。確かに事実が変わることはない。
しかし、過去の認識は変わる。
例えば、僕は浪人した。一見すると、悪い過去である。
浪人した当初は、「自分はなんて不幸なのだ」と思っていたし、勉強もあまりしたくなかった。
しかし、それでも覚悟を決めて、一年間やり抜いた。センター試験では体調を崩し思うような実力を発揮できず、大阪大学を目指していたが、断念せざるを得なかった。(体調を言い訳にはしないし、たしかに勉強量もまだまだだったと思っている。)
だが、神戸大学では、素晴らしい友人に巡り会い、読書に出会い、同じ志を持つ熱い人にも巡り会うことができた。
浪人時代には、過去の失敗を気にして、「過去→現在→未来」という時間軸の中でしか生きられなかったが、大学に入って、すべての過去がつながった。
浪人に意味はあったのだと本気で思えた。そのとき、自分は未来から現在、そして過去という時間軸を体験した。
「未来どうありたいか」が今の自分を形成しているということ。それを実感したときから、無駄なことなどなかったのだと思えるようになった。
神道の考え方には、「偶然は神なり」という考え方があるが、僕はこの考え方が大好きだ。
偶然起きたことに、神様のはからいを感じ、起きた事象の背景を感じる。そこには、幸福な時間感覚が宿っているのではないだろうか。
僕はそんな風に思う。
自分の過去は、現在とは無関係なのだ。現在は未来からやってきている。そして、過去の認識はいつも主観であり、未来の自分から発想すれば、過去にとらわれるのはおかしいことなのだ。
だから、過去の自分をブレーキ(失敗の言い訳)にするのではなく、逆にアクセル(成功の要因)に変えていく。
それが大切だと思う。
最後に、
大学では、自分が本当にやりたいことを探せる。しかも四年間も。
だから、まずは、自分が熱くなろうとするときの障壁である三つのことを排除し、未来志向で行動を起こしていくことが大切だと思う。
今回は、「大学=自分の人生を歩む準備」ということについてかいてみた。
長文にお付き合いくださり、ありがとう。では。