現在に働けとはどういうことなのか。目の前の仕事を着実にこなしていくと言うことである。渋沢は、木下藤吉郎を例に挙げながら、立身出世に必要なことを説いている。嫌われる勇気という本の中にも同様のことが書かれている。ただいまを生きろ。と。
フローノンフローの理論を導入すれば、わかりやすい。
フローとは、水が流れるように物事に滞りなく集中できる状態のこと。つまり、調子の良い状態といえる。
ノンフローというのは、その逆。つまり、水がながれない。滞った状態を指す。用は不調の時といえる。
どういうときに人間はノンフローになるのかといえば、過去に縛られたり、未来に不安を感じすぎているときである。
現在、今という瞬間に集中できていないということだ。
逆にフローの時は今この瞬間に集中できている時。
渋沢のいう現在に働けというのは、フローの状態で居続けよということともいえる。
フローの状態でいつも目の前のことに一生懸命に働くことが常に自分の良い状態で仕事をするための秘訣だと言っているのだろう。
現在に働く。もっと言うと現在に生きるというのは、一日一生とも言い換えられる。
一日一生というのは。毎日生まれ変わるような気持ちで生きるという考え方である。
朝生まれ、夜寝るときに死ぬ
そういう心構えのことだ。
朝生まれ、夜寝るときに後悔を残さず、やりきって、今日死んでもいいと思える毎日を生きろという教えである。
この考え方はフローに生きるために最も大事だと考える。
日々新しい自分に生まれ変わる気持ちで生きれば、毎日の密度が圧倒的に変わる。
人間は余命を知ると、潜在能力が目覚め、何十倍にも生活の密度が上がると言われている。
それは、言い換えると、死への意識が潜在能力を目覚めさせると言うこともできるだろう。死への意識があるかないかでは全く使っている能力が異なると言うことだ。
一日一生とはまさに、一日単位で死を意識するということなのだ。
毎日死を意識して、生に感謝して死に物狂いで生きる。それが日々の生活を圧倒的に変える起爆剤になる。
渋沢は現在に働けと言っているが、それを言い換えるならば、一日一生の気持ちで毎日を生きよということなのではないか。
一日一生は結構難しい。覚悟がなければ続かない。僕自身毎日打ちひしがれる。まだできることがあるのではないか。何かやり足りないのではないか。本当にやりきっているのか。まだまだ自分自身未熟で半端だ。今日もまだやることが残っている。あと数時間残っている。やりきって、死ぬかのごとく寝ることにしよう。
渋沢の言葉から深掘りしてみた。