こんにちは。
最近あまり更新できてませんでした。
今回は少しぶっ飛んだ話。
幸せ、幸福論について書いてみようと思います。
完全に個人的な考えなので、気楽に読んでいただけたら幸いです。
では、さっそく、
あなたは幸せですか?
僕は今とても幸せです。
幸せとは僕は主観的なものだと思っています。
定量的に相対化できるものではない。
個人の中にすでにある、絶対的なものだと思っています。
幸せと言える人は幸せで、幸せじゃないと言っている人は幸せではないのではないかと思っています。
自分はこんなに幸せだと他人との比較から抜け出し、確信できるかどうか。
足るを知るとも言えるかもしれない。
自分はすでに満たされていると気づくことが必要なのだと思います。
人はわかりやすいものに幸せの基準を求めます。
年収何千万が幸せで、それ以下は幸せじゃないとか、社会的地位があるほうが幸せだとか、結婚できたら幸せになれるというふうに。
でも本当にそうでしょうか。
たしかにお金はあったほうがいい。
でも例えば、ずっと仕事をし続けた結果お金は手に入るかもしれないけど、家庭環境ぐちゃぐちゃだったり、過労で体を壊したりしていたらどうですか?
それは幸せといえますか。
結婚でもそう。
結婚して幸せになれるというのは幻想です。
結婚した結果不幸せになるケースなんてたくさんあります。
これは結婚観とも関連しますが、最近の女性は相手を支えたいから結婚したいというより、自分が充実したいし、自分の生活が安定するし、保険として結婚したいみたいな感じなんじゃないかなと思います(違ったらごめんなさい)
結婚したら全て二人で乗り越えていかなければならないし、ぶつかることも多くなるからそんな感じで結婚するとうまくいかなくなるのも当たり前かなと思います。
お金持ちだけど、自己中心的で、相手のことを考えれない人と結婚した場合はどうですか。
収入的な安定はえられるけど、それが本当に幸せなのか。
僕はそうだとは思えない。
幸せっていうのは仕合せです。
自分からも与えるし、相手からももらう。その相互関係のなかに幸せはあるのではないでしょうか。
これは僕の価値観の問題ですが。
相手に求める前に自分から与える。
仕事でも幸せになれる方法はあると思う。
仕事をすることで、自分以外の誰かが幸せになる。
その誰かが幸せになってくれることで自分も嬉しい。
その結果お互いに幸せになれる。
そんな仕事ができればみんな幸せになれるのではないかと。
そんなのはきれい事だと思うかもしれない。
自分でもきれい事だと思う。
仕事をしていれば必ず嫌なこともある。
汚い仕事もしなければいけないときもある。
でも仕事の本質って他者貢献の精神なのではないでしょうか。
誰か困ってるから仕事があるのであり、自分の仕事は誰かのためになってる。
それを意識するだけでも仕事に対する価値観がかわるのではないか。
仕事をすることで世のため人のためになる。
見えない誰かの役にたてているというのは嬉しいことだと思います。
それはエゴなのか。自意識なのか。それはわかりませんが、確実に人のために動いて悪いことなんてあるわけない。
自己犠牲と他者貢献は違う。
自己犠牲をして自分を潰すのは良くない。
かといって、利己的になりすぎて、他者のことを全く考えないのも違う。
他者貢献もいきすぎると自己犠牲になってしまいます。
自分も大切だし、他人も大切。
自分を突き通すことが必要なときもあるけど、他人を受け入れることも必要です。
こういう場合、どっちかだけでいいなんてことはないのだと思っています。
どっちも大切だから迷うし、悩む。
でもそれでいいのだと思います。
それが幸せになるための道なのだと僕は信じています。
他者貢献というシンボルを見失わなければ、ときには自己を押し通してもいい。
僕自身まだ未熟です。
まだ道の途中ですし、これには終わりはないと思います。
一生向き合っていくことです。
一生が終わるときにどう終わりたいのか。
それを考えて行動していけば、自ずと道はみえてくるのだと思います。
死ぬときを意識するだけで行動は変わり、全てが変わります。
まとめると、幸せとは仕合せ。
人のために動くときにそこに仕合せがあり、幸せになれる。
というのが僕の考えです。
なにかコメントとかあれば書いていただけると嬉しいです。
このブログも誰かのためになればいいなと思います。
ではありがとうございました。
授業中にひたすら書いてみました笑