ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

日本もまだ捨てたもんじゃないなと思った話

昨日は、バイトから帰ろうとしたら、

電車が止まってた。

たぶん人身事故。

たぶん誰かがおなくなりになったんだと思う。

で、とある駅で降りるしか選択肢がなく、

そこで降りて、歩いて帰った。(4〜5キロくらい)

 

んで、何があったかというと、

振替輸送の駅に向かうおばちゃんたち三人に出くわした。

そのおばちゃんたちは、

二人のおばちゃんと、たぶん中国人の女性という構成で、

 

別に事情を聞いたわけではないけれど、

たぶん中国人の女性が道に迷っていたのだろう。

それで助けてあげていたおばちゃんたちに出くわしたのだった。

 

出くわしたって言っても、単に出くわして観察していたわけではないよ笑

予想はつくひともいると思うが、おばちゃんたちはその女性を助けたいと思ってはいるんだけれども、彼女たちは道なんてわからないのよ笑

 

だから、イヤホンを耳に突っ込んでスタスタ道をゆく僕に道を訪ねてきたわけ笑

いや、俺も別にここらへんいつも使ってるわけじゃないからわからんけど、

多少なりとも方向とか位置とかはわかっていたから、

簡易的な地図見ながら、おばちゃんたちと一緒に途中まで歩いた笑

 

この話で思ったのは、

おばちゃんたちってすげえなっていうこと笑

ぶっちゃけ道なんて大してわかってないけれど、

目の前に困っている人いるからとりあえず助けとこ!

という精神性に感服した。

 

僕なんかは、道ならだいたいわかっているし、

帰り道の途中だったからついでに助けておこうか、

くらいな感じなのだけれど、

 

おばちゃんたちは違くて、

わかっていなくても無理やり助けるのである笑

 

そして周りにいる人を巻き込みながら

わからなくても突き進むのよ笑

 

僕は巻き込まれた側なのだけれど、

嫌な感じはしないんだよね、

これが不思議なもんで。

逆にいっちょやってやるか、くらいな気がしてくるんだよね。

 

人に頼るのがうまいのって人間としてかなり大事なスキルなのかもしれない。

 

ぶっちゃけ、僕はだいたいのことは自分で解決してしまうし、

人に頼るのが下手だから、

おばちゃんたちには見習わないといけないなと思った。

 

そして、たぶん日本にはそういうおばちゃんたちはたくさんいて、

まだまだ日本にもいいところあるじゃん。

まだまだ日本に絶望している場合じゃないな。

って思ったのでした。

 

いつでもやめてやる!という切り札を手に握りしめておけば多少の辛さはなんとかなる

斎藤一人さんの本の中に

ものすごく大事で、たくさんの人に知っておいてほしいことが書かれていたから共有しておきます。

 

「やめる」というカードを持ってなきゃダメだよ

習いごとなんかも同じだけれど、

新しいことを始めてしばらくすると、

自分に向いていないと気づくことがあるよね。

どうにも好きになれない学校、

なにをしても充実感のない仕事、

思ったより楽しくなかった習い事、

いろいろあるでしょ?

 

それなのに、「周りの期待を裏切っちゃいけない」

「せっかくいい学校(会社)に入ったんだから辛抱しなきゃ」

「簡単にやめたら恥をかく」とかって、

常識に縛られてスパッとやめられない人がすごく多いんです。

 

常識にこだわるあまり、

「やめる」というカードを一枚ももっていないわけ。

それじゃつらくなるのは当たり前だよ。

 

嫌ならやめていいというカードがないって、

逃げ道がないのと同じなんです。

我慢に我慢を重ねることになる。

そしてやがて、人生を放棄したくなるくらい苦しくなるんだよね。

心を病むほどつらくなる。

 

中略

 

このカードを持っているからって、絶対に使わなきゃいけないわけじゃない。

必要なければ、別に使わなくていいんだよね。

大事なのは、実際に使うかどうかじゃなくて、

「いざとなったら、このカードを切ってやるぞ!」

というお守りをもっていることなの。

自分の手には、いつやめてもいいというカードが握られている。

そう思うだけで、人間って心の支えになるんだよ。

「常識をぶち破れ」 斎藤一人 著 77〜79ページより引用

 

僕は自分が利己的な人間だと思っていて、

本当に辛くなったらいつでもやめてやる!って

バイトでいつも思っている笑

 

ぶっちゃけ、バイトなんていつでもバックレていいし、

他人に自分は辛いんです!ってなかなか言えないから、

ある日スッと消えてやろうと思っている笑

 

無断で一週間くらい放浪の旅に出て音信不通になるのも悪くないな。

 

まあさすがにそこまで至らないでほしいなと思うけれど、

バックレるのだって僕だけの問題ではないし、

僕の辛さを理解しないバイト先も悪いわけで、

たしかにバックレるのは迷惑をかける行為だけれど、

バックレる原因を作っているのはバイト先にあるわけで、

誰もバックレる人を責める権利などないのではないだろうかと思うわけです。

 

実際に決行するかどうかは別として、

僕がもし経営者側なら、やめたいならいつでもやめれば?

という態度でいると思います。

 

常識的にはバックレるのは悪いこと。

でもバックレるに至るのには何かしらあるわけで、

それを相手に理解させてあげるためのチャンスを与えているという意味においては、

もしかしたらそれは利己ではなく、利他なのかもしれない。

 

奇数体癖と偶数体癖という概念をご存知だろうか?

人間には体癖というものがあって、

ざっくり言えば、奇数体癖は、緊張状態に強く、外交的な感じ、

極端に言えば、オラオラしてるのは奇数。

偶数体壁は、緊張状態に弱く、内向的な感じ、

極端に言えば、根暗で傷つきやすかったり、鬱積を溜め込みやすい。

 

体癖は生まれたときからあると言われていて、

ぶっちゃけ、僕は偶数体壁なわけです。

 

バイト先はみんな奇数だと思う。

いや、奇数っぽさしかない。

 

そんなところに紛れ込んでしまったが故に、今わりと大変なわけ。

僕はこの概念があるから、奇数多いなとか、奇数っぽいなとか、

気づくことができるのだけれど、

こんな概念をちゃんとわかっている人なんて基本的にいるわけない笑

 

奇数には割といいたいことがたくさんある笑

文句、罵詈雑言の類いはつもりにつもっている。

 

で、奇数の人は大抵、偶数がためこんでいる鬱積に気付けないし、

理解もしない。歩み寄る気は皆無。自分の考えのみ押し付ける。押し通す。

妥協点を考えることはない。

だから、荒治療みたいな感じで、

奇数に対する反逆としてのバックレは良いことなのかもしれないなんて思ってしまった。

これから出会う偶数に対する注意点を理解させるために僕が嫌われ役を買ってやろうかな笑

それくらいバックレというのは高尚な行為なのかもしれない笑

 

話がそれたけれど、

みなさんも辛いときはいつでも逃げ道を作っておくことです。

いつでも逃げてやる!って思ってるくらいでちょうどいいです。

逃げたってたいていのことはなんとかなるようにできているし、

バカな奇数にわからせるためには偶数にはバックレることも必要。

 

いつでもやめてやる!という切り札、お守りをいつも握りしめておきましょう!

つまらない勉強と面白い勉強

最近はもっぱら院試の勉強に勤しんでいる。

ある程度は目処がついてきて、

余裕はそこまでないけれど、

そこまで切羽つまっているわけでもない。

ただ淡々とやるべきことをこなしているところだ。

 

勉強している内容は、

基本的には2つ

環境放射線学と水環境学

わかりやすく言うと、

放射線の物理と化学、

化学物質の水中の動態(化学平衡や酸化還元、錯生成など)についての勉強だ。

 

僕の受ける院試は

割と楽で、

数学、物理、地球環境学のなかから一つの科目を選ぶことができる。

僕は地球環境学を選んだわけ。

 

まあそんなことは読者にはよくわからないだろうし、

そんなことを書きたいわけでもない。

ただの余談。

 

で、今回書いてみたいのはつまらない勉強と面白い勉強について。

 

勉強なんて全部つまらない!

って思っている人は、

この記事にたどり着きようがないと思うので、

勉強には面白いときとつまらないときがあるという前提で話は進める。

 

僕にとって面白い勉強というのは、

完全な自発性でないにしても、

ある程度の自発性が担保されている勉強である。

もしくは知的好奇心に合っている勉強、

すこしだけ背伸びしなければならない勉強、

目的がはっきりしていて、

かつその目的を達成したいと心から望んでいる場合の勉強。

 

自発性というのは、単純に自分がやりたいと望んでやっているか否かという問題で、

大学に入ってからは大抵の勉強はある程度の自発性が担保されるようになった。

 

ここで言う勉強というのは、ただ机に向かってなにかを記憶したり、理解したりするThe勉強ではなく、

もっと広義に定義する。

映画を見たりすることも、小説を読むことも、あるいは実体験としての学びも勉強としておく。

 

高校までの勉強はぶっちゃけ自発性は皆無だった。

ぶっちゃけ、全部やらされてる気分だったし、

高校ががんじがらめな校風だったこともあって、

勉強は苦行でしかなかった。

 

そもそも忙しすぎて、広義な勉強をすることはキャパ的に無理だったし、

好奇心を掻き立てるエネルギーも欠如していたように思う。

 

非常にもったいない時期を過ごしてしまったなと思う。

自発性と自由度には相関がある。

自発性を発揮するにはある程度の選択肢が用意されていなければならない。

この中からどれを選んでも良いよ!

という状態でなければ自発性は発揮されない。

 

つまらない勉強には自発性がない。

つまらなさの根源にはやらされてる感がある。

自分でそれを望んでいないから、

やる気も起きない。

やる気が起きないからつまらないし、

つまらないからやる気もさらに起きない。

 

あるいは、先の見えない勉強もつまらない。

具体的に言うと、その場限りのただの知識の詰め込みなど。

そんなものはグーグルに任せればええやん!

というツッコミが入る勉強はつまらない。

 

高度な勉強をしようとすると、

ある一定の苦しい勉強をしなければならない。

例えば、大学レベルの物理や化学を勉強するためには、

それ以前に数学3をやり込んでいないと理解が進まないし、

数3をやり込んでいないと話にならない。

 

こういう類いの勉強には、

つまらなさが含まれているだろう。

でもそれに耐えることができるのは

その先があるからだ。

 

つまり、数3を勉強しなければならない動機、目的がある。

これがあれば、多少辛くても、多少難しくても食らいついていける。

 

本当につまらない勉強というのは、

それすらもないときだ。

 

やる意味がわからない。

そもそもやりたいとも思わない。

必要性も感じない。

けれど、提出物だから。

単位を取らないと卒業できないから。

いやいやでも勉強しなければならない。

 

この種の勉強はかなり辛い勉強だと思う。

大学を卒業するにはこの種の勉強をしなければならないときもある。

すべてがすべて自分の興味にあっているということはありえない。

 

そういう勉強はなるべくしないほうが良いと思うのだけれど、

なかなかゼロにはならないものだ。

 

じゃあどうしたらつまらない勉強をある程度楽しめるのか。

それは、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。

どうしたらいいいだろう?笑

また考えてみる。

答えが出たらまた書こうと思う笑

 

つまらない勉強はなるべくしないことだ。

勉強は本来楽しいものなのだから。

特に大学生は、本来の勉強の楽しさを思う存分味わうべきだと僕は思う。

NARUTOのエンディングは名曲ばかり

今回のテーマは最近はまっている音楽について。

タイトルにもある通り、NARUTOのエンディングをよく聞いている。

その中でもホームメイド家族の曲は群を抜いて良い!

まずは、聞いてみてほしいところなのだけれど、

僕が良いなと思う歌詞を引用しつつ紹介してみる。

流れ星


www.youtube.com

空を見上げれば

星たちがほら、瞬いてる

この地球の人たちみたいに

様々な光を放って

その中で僕も

ひときわ輝いていたんだ

すごくポジティブな曲ですよね。

最近の曲ってどこか暗いような印象があるんですが、

平成20年代の曲はポジティブな歌詞が多い印象がしますね。

NARUTOの数あるエンディングの中でも名曲の一つだと思います!

FREEDOM


www.youtube.com

いばらの中に真実は一つだ

痛いぜ痛いぜ そりゃ痛いぜ

当たって当たって ぶっ壊せ

頭の前に全身で Feel That

無傷のままじゃ Can't Get No Freedom

この曲を聞いて思うのは、

無傷で得られる自由なんて本物ではないんだぜ!

ということ。

いつだって自由を求めた人間は戦ってきた。

時代によっては多くの血を流し、

たくさんの命を犠牲にしてきた。

そうやって得た自由は本物だと思うし、

たとえ物理的には血が流れなくても、

非物質的な血が流れた結果として得た自由も本物なんじゃないだろうか。

NO RAIN NO RAINBOW


www.youtube.com

流れる涙が静かに

何かの終わりを知らせる

見上げた雲間に青空

きっとやまない 雨なんてない

傷ついた胸の奥に

きらやかな虹がかかる

すべてはそう、ここから始まる

いつかは晴れる No Rain, No Rainbow

雨無しでは虹も架からない。

本当にその通り。

苦しみの先に得た輝きとか

痛みの先にある喜びとか

あるマイナスな現象が起きてそれが反転したとき

人間は強くなるのだと思うし、

その瞬間が人間の魂が輝いている瞬間なのだと思う。

辛いときに思い出したいことだよなー。と思う。

 

最後に

今回は紹介しなかったけれど、

他にもたくさんいい曲があるので、

NARUTOのエンディングはおすすめ。

言うまでもなくオープニングも良いけどね!

安倍元総理がお亡くなりになった件について

有名人の死をテーマに書くのは僕のポリシーに反するわけだけれど、

今回ばかりは歴史的な事件だと思うから、

一応見解について書いておく。

 

まず、安倍元総理のご冥福を深くお祈りしている。

僕は安倍元総理は悪い人だったと思えないし、

世間の悪評はあまり気にしていない。

あれだけ、世間の悪評を一身に背負っていたのはすごいと思うし、

それで精神を保つのもすごいと思う。

 

さて、今回の事件に関して、

ツイッターでいろいろ見ていたけれど、

僕は実際に亡くなったと思っている節と、

もしかしたら影武者だったのではないかと思っている節がある。

 

プーチンやバイデンなどの大統領には影武者がいるとする説は僕も有力だと思っているし、

安倍元総理であれば、影武者がいてもおかしくはない。

ツイッターを漁れば、いくらでも安倍総理の顔の比較画像が見つかる。

明らかに歯並びが違ったり、耳の形が違ったり、不可解と思える画像が見つかるはずだ。

 

そして今回の件についての動画を見たけれど、

散弾銃で打たれたということなのに、

あまり散弾銃っぽい倒れ方や出血が見られない。

襟の跳ね返り方も不可解だと思った。

 

まあ、陰謀論と言われてしまえばそれまでなのだけれど、

演じていると言われても仕方のないような動画だったのは確かだ。

 

それに本当に単独犯の行動なのかも怪しい。

捜査が割と初期の段階で終わってしまっているのもなにか変だ。

たしかに現行犯だったら逮捕すれば終わりなのだけれど、

一国の元首相が銃撃されたのだから、もっと大規模に捜査が行われ、

組織的な犯行を疑って捜査を進めるのが筋なのではないだろうか。

刑事ドラマのみすぎなのかもしれないが、

こういう事件は、裏に大きな組織が絡んでいるのが常だ。

 

SPは何をしていたのか?

という問題もあるし、

いろいろと不可解な事件だったと思う。

 

不可解な事件だったにしても、

自民党内部では混乱していくのは必至であると思う。

清和会の求心力はいまのところ見つからないままだし、

安倍元総理の影響力は今まで絶大なものだったはずだ。

 

その影響力が一気に失われたことになるのだから、

自民党内での派閥争いは今後激化していくのではないだろうか。

というか、これは僕が予想しているというより、

政治に詳しい人がそう仰っていただけだ笑

 

あと、

人はみな、死ねば仏であるということを日本人は思い出す必要がある。

 

事件が不可解であれ、明快であれ、いずれにしても人が亡くなったのだ。

それに対して、侮辱したり、貶めたりする行為は避けるべきだ。

日本人の美徳として、亡くなった方を悼む気持ちは持つべきだと思う。