ZAKIOLOGY

知見のヨセアツメ

便利になっていく社会と不便益について 今の社会便利過ぎじゃね?それってどうなの?

 

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こんにちは。

おざきです。

今回は、便利になっていく社会について書いていこうと思います。

最近5G対応のiPhoneが登場するなど、どんどん技術が新しくなって便利になっていっています。

5Gについては、まだまだ健康被害などのデータが足りないので、当分は使わない方が安全だと思っているわけなんですが、

便利さって引きこもりのためにあるの?

便利になっていく社会って、なんで全部引きこもりに優しいのだろうか?と思うんですね。

例えば、アマゾン

アマゾンでは家にいても配達されてきて、引きこもっていても買い物ができます。

そして、見たい番組もプライムビデオで見ることができますし、音楽も聴くことができます。

アマゾンのほかにも、ウーバーイーツやYouTube、そもそもネット自体が引きこもりの必需品ですよね。

全部、引きこもりに優しいのは何でなのでしょうか?

コロナウイルスによって世界が分断され、多くの人が内向に偏っているのですが、それも引きこもりに優しいですよね。

これは、陰謀論に近い話なので無視してもらっても良いのですが、世界を裏で牛耳ってる人間は引きこもりなのではないか?とも思っています。

便利になればなるほどに、引きこもりに優しくなっていく。

そして、ドーパミンを刺激するようなゲームや、SNSなどがどんどん発達して、それに没頭してしまう人も多くいるようです。

フォートナイトなどはまさに依存させるためのゲームのようなもので、引きこもるためのゲームではないかと思います。

どんどん仮想世界が広がっていって、現実世界との乖離が進んでいるように感じます。

ほんとにソードアートオンラインのような世界ができるのも時間の問題ではないかとも思いますし、数年前までは現実味がなかったのに、一気に現実味を帯びてきていますよね。

便利さと幸福度って関係あるの?

それで、僕が一つ疑問に思うのが、社会が便利になるのは良いのだけど、僕は幸福になっていくのだろうか?ということです。

5Gが危険であることは以前の記事に書きましたが、それだけではなくて、テクノロジーによって本当に僕は幸福になれているのだろうか?と思ってしまうんですね。

ニュースを見ていても、人々は幸福に近づいているどころか、遠ざかっているのではないかと思うようなことが多いです。

自殺者が増えているのもそうですし、失業者が増えているのもそうです。

もっともっとって便利さを追求しても、幸福からは遠ざかるのではないでしょうか?

だいたい、幸福って、追い求めるほどに遠ざかっていくものですし。

これは、僕が考えた言葉ではないですが、不便益という考え方があります。

便利過ぎる社会だからこそ、不便さにこそ益があるのではないか?という考え方です。

あえて不便なことをやってみると、意外と楽しいんですよね。

あえてパソコンで書いているようなことを手描きで書いてみる。とか

あえて調べ物を本でやってみるとか。

あえて不便なことを選ぶというのは実は面白いことなんですよね。

なにより、生きてる実感がわきますし、画面の中ではわからない手触り、感覚みたいなものを使うので動物らしさがあるんですね。

デジタルは0か1かしかないけれど、アナログには0と1との間に無限の可能性がある。

これは、音楽でも同じことで、生で聞く音楽とデバイスで聞く音楽が違う原理もここにあります。

生で聞く音楽には、微細な波長まで細かく体感できるのですが、デバイスではデータにするときに人間の感覚ではわかりにくい部分は端折っています。

人間っていうのは、0か1かなんてわかりやすいものではないし、0と1の間に無限の可能性があるし、なんならアかイかという軸もあって、そんな単純化されたものではないのだと思っています。

だから便利さよりも不便さを選ぶことも大切だと思うんです。

あえて合理主義から離脱するのもいろいろな発見もあるし、合理主義だけではわからないこともたくさんあると思うんです。

それにしても、便利さは魔性ですよね。

便利さに一度触れてしまうと、そこからはもう離れられなくなってしまう。

人間はほんとに怠惰。

昔の人はその点よくわかっていたのだなと思います。

ちゃんと7つの大罪には「怠惰」が含まれているし、便利さにかまけるのは良くないことだと心底わかっていたのかもしれません。

最後に

今回は便利になっていく社会というテーマで書いてみました。

あなたは、便利になっていく社会につてどう考えていますか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

【体験談】僕が理系に進んだ理由と少しの後悔について

 

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こんばんは。

おざきです。

今回は、僕が理系に進んだ理由と、後悔した点などについて書いていきます。

理系に進んだ理由

まず、僕が理系に進んだ理由は、いくつかあるのですが、ざっくりいうと、理系しか眼中になかったから。です。

そもそも、文系に進むという価値観がなかったのが一番の理由かなと思います。

僕の当時の固定観念として、男は理系であるべきだ!理系なら就職も有利だし、文系は路頭に迷うに違いない!という強迫観念じみた思想があったのです。

今思うと、かなり偏った価値観だったなと思いますし、文系も理系もあんまり大差ないとも今は思っています。

それで、僕が一番ここで言いたいのは、固定観念は本当に良くない!ということですね。

僕の生まれた町が、そもそもある大企業のお膝元で、周りの大人はだいたいその大企業の関係者という環境だったのである意味当然なのですが、

僕の当時の価値観としては、日本は工業立国であり、工学を学んでいないと生きていけない。工学を学ぶためには、理系しかない。という感じでした。

そういう価値観でいたら、理系を選ぶほかないのは目に見えていますよね。

今となってはおかしいと気づけるのですが、当時の僕は真面目にそう考えていましたし、それを疑う余地をかけらも持っていなかったのです。

後悔した点 ※余談を多く含みます※

後悔した点としては、基本的に、もっと文理選択で悩んだり迷ったりできたのになあ。

ということです。

実際に理系で良かったこともあって、

何かというと、大学レベルの数学や物理をやる上では、数学Ⅲが必要不可欠なわけで、もし文系だったならば、今学んでいる数学や物理を勉強することもなく、知ることもなく、もっと狭い世界で死んでいったのかもしれないわけで、そう考えると、僕は理系だからこそ勉強できる数学や物理を学ぶことができていることに対してはかなり恩恵を感じるし、その点に関してだけは良かったと言えるのです。

ただ、僕はそこまで大企業に勤める意欲もない。というのも、大企業の闇も割と直に見てきていて嫌だなあと感じてしまう点もあって、結局のところすべては人間関係であり、深く関わりたいと思える人がいる会社に勤めることが一番いいと思っているので、企業の規模の大きさはあまり僕の中ではどうでもいいことなんです。

文理選択の当時の僕は自分が大企業に勤めることを信じて疑いもしなかったし、それしか自分には道がないとも思っていました。

親には喜ばれるし、安心してもらえるし、認めてもらえるし、一石三鳥くらいな選択だとしか思っていませんでした。

しかし、フタを明けてみたら、数学は難しいし、物理なんて赤点すれすれ。そもそも僕は正直なところ、数学は向いてないと思います。僕のお金の使い方を知っている人なら共感してくれるかもしれませんが、かなり雑にお金も計算するし、細かい計算が苦手なんです。

本当によく受験を乗り切ったなとおもうのですが、僕はこうやって流れにのって文章を書いたり、いろんな思想、哲学に触れて自分の世界を広げていくことの方が楽にできるわけなんですね。

告白すると、受験で一番困ったのは自分の計算ミスの多さなんです。

本当にどんな計算ミスをしていたのか全部研究して、どうしたら自分ができるだけミスしないで計算できるかだけ徹底的に研究しました。

浪人生の時には1年間で自分がミスしたものをすべてまとめたノートを作りました。

そのノートはすごく思い出深かったのに、この前実家に帰ったら捨てられてて、マジで悲しかったよお母さん!

そのノートを見てもらったら多分あきれると思います。

こんなに計算ミスした受験生はほかにいるのだろうか?と本気で思うほどに計算ミスをしました。

計算ミスについて語り出すと言いたいことが多すぎて困る訳なんですが、

とりあえず言いたいのは、理系に進んだことでめっちゃ計算ミスと向き合った!ということです。

少なくとも文系に進んでいたら、化学のあの有効数字4桁との格闘や、立式まであってるのに、答えがずっと合わずに泣いた夜はなかったわけで、文系だったらもっと楽に大学に進めたのになあと思ってしまいます。

強いて言うなら、それが後悔ですかね。

まあ、乗り越えてるから問題ないのですが。(どや顔)

これから理系に進む人への警告と激励

これから理系に進む人にできる警告は、あまり理系をなめない方がいい。ということくらいですかね。

計算ミスの話は、僕に限った異例の話なので、参考程度に読み流してもらってかまわないのだけれど、

数学が段違いに難しいのと、物理や化学は文系における日本史世界史よりも圧倒的に時間がかかる。

それだけは知っておいて損はないだろうと思う。

よく言われるE判定からの逆転合格ができるのは私立文系がほとんどなので現実をちゃんと見ることと、一個ずつちゃんと自分の頭を使って考えること。

それができないなら理系に進んでも苦しいだけなので、気をつけた方が良いかなと思います。

理系であることが辛いと感じている人には、辛い時期を乗り越えるしかない。本当に一個一個着実にやっていくしかない。これは、コップに水を一滴ずつためてるようなもので、それがいっぱいになったときに、やっと数学や物理の面白さに気づけるようになる。

それを信じて頑張ってみてほしい。

最後に

今回は、理系に進んだ理由などをテーマに書いてみました。

参考になった!という人は困ってる人にもシェアしてあげてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

ほんまのことって何を示してるんやろ? 川上未映子「乳と卵」

こんにちは。

おざきです。

今回は、川上未映子さんの乳と卵についての感想を書いていきます。

乳と卵

まず文体

まず何よりも、文体が読んだことのないテイスト。ひたすら羅列していくという非常に読者にこびない文体で、最初の方は悶絶しながらも読んでいました。

読み終わったら、あの文体だからこその終盤の描写なのだなと思えましたが、読んでる最中はかなり苦戦を強いられました。

最初は面食らうかもしれませんが、少しの毒があるくらいの方が面白いというものでもあります。

なんとか食らいついて終盤までたどり着けば、まったく景色が変わるのではないかなと思います。

余談ですが、読書論では、いつも速読か精読かの論争がありますよね。

僕は、ビジネス書の類いも結構読む人なので、速読も得意といえば得意なのですが、

小説にかんしては、あまり速読しないほうがいいなと思っています。

普段ビジネス書ばかり読んでいると、ついつい小説にも早さを求めてしまって、じっくり作者と語り合うことをしなくなってしまうのですが、それでは得られるものが少なくなってしまうものです。

小説は、本当にじっくり読むほうが世界観に浸ることもできるし、自分の中にない世界に足を踏み入れるときは、ちゃんと腰を据えて一歩ずつ歩みを進めていく必要があります。

この乳と卵も僕にとっては未知の世界観だったので、本当に読むのに時間がかかりました。

時間がかかったものの、やはり時間をかけた分だけ作品に対する愛情も深まっていくというか、かけがえのない作品になったように思います。

ほんまのことって何?

まだ一回読んだだけなので、わからなくて当然なのですが、

終盤の緑子の言うほんまのことっていうのが何なのか。

それがわかるようでわからない。

いや、なんとなくはわかっているし、それを言い表す言葉を僕は知っている。

緑子が言いたいのは、なんで世の中は無やのに、何かを生み出して、辛い思いばっかりしてんの?ってことだと解釈した。

ほんまのことって何もなくて、一切空やのに、なんで世の中に生まれてきたん?

そもそも出産なんて痛いし、金かかるし、子供も生きていても辛いことばっかりやのになんでそんなめんどいことしてんの?

そもそもなんで?

っていうことの堂々巡りの果てが、一切空、無、

僕は、中学生のときから、生きる意味って何?って考えてた。

親にも、聞いたし、いろいろな本に生きる意味とは。とか仏教ではどうとかこうとか。

そんなんも勉強したりしたけど、結局、無やん。

人間なんて何も生み出せないし、人生で何が変わんの?

そもそも死んだら、何ものこらへん。

じゃあなんでそこまでして無理してん?

なんで?

どうせ死んだら何ものこらへんのに、わざわざ嫌な思いまでして、辛い思いまでして生きるのはおかしい。

好きなことで生きていったって結局は無やねん。

なんものこらん。

じゃあ自分は何がしたいん?

よくわからん。

わからん.

ってな感じで考えてしまったわけです。

あなたにとってのほんまのことって何ですか?

ほんまのことってそもそもありますか?

世の中の真理ってほんまのことですか?

そんな感じの問を持った上で読んでもらうと、より楽しめるかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

乳と卵

乳と卵

 

 

 

空気を読みすぎる日本人 停滞する日本経済と空気感による支配

 

こんばんは。

おざきです。

最近はオンライン授業に疲弊しています。

正直に言って、そろそろ疲れてしまう。

やっぱり、オンラインばかりだとすり減らしてしまいますね。

まあ、僕が貧弱なのかもしれませんし、友達を見ていても、あんまり疲弊しているとは言いにくい人もいます。

さて、本題に入っていきます。

事実よりも空気が優先される社会

最近は、ニュースを見ていたら、自殺者が増加しているみたいで、おそらく新型コロナによる景気の停滞と失業によるものだと思われます。

前に、自粛不要論を唱えたときに友達から、経済をとめても自殺者なんて増えるわけないだろ!人間をなめるな!と言われましたが、実際に増えているみたいですね。

リーマンショックのときも自殺者が増加したみたいですし、経済と自殺は相関していると言って間違いないでしょう。

それで、僕が思うのは、日本の場合、そんなに経済を止める必要があったのか?ということです。

今日(2020/10/29)現在で新型コロナによる死者は、1700人強です。

毎年インフルエンザでは3000人くらいの死者が出ます。

しかも、この1700人の中には、ほかの基礎疾患で亡くなった人でも、亡くなった後にPCR検査陽性であれば、この人数の中に含まれています。

まあ、数字だけ見れば、インフルエンザ以下のウイルスにここまで経済を止めてしまったということです。

緊急事態宣言を解除しても、みんな自粛自粛自粛で、世間にたたかれるのが怖い。人の目が怖い。干されるのが怖い。みたいな空気感で、経済活動を戻せていません。

この空気を作り出してしまった以上、まだまだ経済は停滞していくでしょうし、もっと失業者は増えるでしょうし、失業者が増えれば、自殺者が増えてしまうかもしれません。

SNSによってより空気に支配されるようになった?

僕が、気になっているのがSNSです。

一昔前までは、世間の空気を作り出していたのは、テレビかラジオくらいなもんでしたが、最近では、SNSが大きな影響を与えているように思います。

Twitterではトレンドがありますし、YouTubeでも急上昇ランキングがあります。

多くの若者はこれを参考に流行を把握しているのだと思いますし、大きな影響があるのは間違いないでしょう。

少し前の話になりますが、自粛警察という言葉が流行りましたよね。

この自粛警察に象徴されるのは、SNSという世間による監視なんですね。

中国が共産党独裁の監視社会であるのは周知の事実ですが、意外と日本もSNSの監視社会になっているのではないか?と思っています。

ある意味、自分の正義を振りかざしてしまう人が増えているように思う。

自分の正義=世間の正義であると勘違いしてしまうと、危険だなあと思いますね。

SNSによって作り出された空気感をなくすのは、正直難しいでしょう。

何万人という規模でムーブメントを起こしてもなかなか変わらないのがこの空気感ですから、結構な規模で動かしていかないと空気感は変わっていかないように思っています。

空気を打破するのは容易ではない

僕の好きなドラマに、凪のお暇というドラマがあるのですが、

その中の名言として、

空気は読むものではありません。吸って吐くものです。

という言葉があります。

本当に、そうだなと思います。

あんまりにも、空気を読みすぎなように思うのです。

別に、場の空気をめちゃくちゃにして、なりふり構わず自己中に振る舞ったら良い!と言いたいわけではないです。

ただ、空気を読みすぎるあまり、事実に基づかず、空気に流されてしまいすぎなのではないかと思うのです。

そういうときは、やはり、空気は吸って吐くものと捉えて、少しはこだわらず、とらわれずに空気を無視していけばいいんじゃないのかと思うわけなんですね。

なんとかして、この閉塞感を打破してほしいですし、日本はもっと内需でまかなえる国であるはずですから、外国に足並みをそろえるだけではなくて、内需を拡大して、自立した経済にしていけばいいのになあと思っています。

 

最後に

まあ、こんなにマクロな話題をいち大学生が取上げたところで何も変わりませんし、何も生み出せません。

空気なんて打破のしようがない。

僕は無力ですから、読んでくれた方が何か少しでも日本が良くなるような行動をしていただけたらとてもありがたいと思います。

僕も口だけではなく、まあ自分の有り金は使えるだけ使って、自分のミクロレベルの経済は循環させています。

結局はマクロもミクロの集合なわけで、一人一人が変わるしかないんですよね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

個人的に好きな作家さん3人

こんにちは。

おざきです。

今回は、僕が個人的に好きな作家さんを紹介していきます。

 

恩田陸さん

恩田陸さんは、外せないですね。

去年一年で5作品読んだのですが、すべて名作級。

一番好きな作品は、選ぶことができない。

どれも良い作品なので。

オススメの3冊を選べと言われたら、

ですね。

一番最初に読んだのが、夜のピクニックで、一冊目からめちゃくちゃ感動しました。

なんでもそうだけど、一番最初は肝心ですよね。

一番最初に読んだ本が良い本だったからこそ、次も読んでみようと思えるわけです。

人間でも同じで、第一印象でダメだったら、次も会ってみようとは思えないかもしれない。(知らんけど)

まあ、僕としては、第一印象では普通の人レベルの最低限だけクリアしていれば良いと思っていますが、それはどうでもよくて、本題は、恩田陸さんの本はものすごくオススメであるということであって、ぜひ読んでみてほしい作家さんの一人であると言うことを声を大にして言いたいということ。

 

夜のピクニック(新潮文庫)

夜のピクニック(新潮文庫)

 

 

 

木洩れ日に泳ぐ魚 (文春文庫)

木洩れ日に泳ぐ魚 (文春文庫)

  • 作者:恩田 陸
  • 発売日: 2010/11/10
  • メディア: 文庫
 

 

 

ネバーランド (集英社文庫)

ネバーランド (集英社文庫)

 

 

 

 

佐藤優さん

佐藤優さんは、小説家ではなくて、ザ・作家っていう感じの人。

元々は外交官だったらしくて、スーパーエリートの超絶なインテリ。

そもそもこの人の本に出会っていなかったなら、ここまで読書魔になってなどいないのだし、この人のせいで僕は毎月きつい思いまでして、身銭を切って本を買っているのであって、なんでそんなことしてんの?ってよく言われるけど、それはもはや習慣というアクマになりつつあるのであって、もはや僕の意志のどうこうできる範疇の話ではないのです。

こんな書き方してると、嫌いなんって言われそうなのだけれど、そうではなくて、ツンデレというカテゴリー分けは好きではないのだけれど、普通はそう呼ぶ者に入ってしまうのかもしれない。が、しかし、普通など普通ではないのであって、誰の普通も誰かに汚染された普通であって、純粋な普通なんてこの世界のどこにも存在していないのではないかと思っているこの頃であります。

それはさておき、恩返し程度に、佐藤優さんのオススメの本を紹介しておく。

  • 人をつくる読書術
  • お金に強くなる生き方
  • 調べる技術 書く技術

まあ、どれも知的生活のための術。

しかし、術とはいいつつ、佐藤優流の術には道的要素もふくまれているのだから、多少はタイトル詐欺をしている。術なんてそもそも道ありきだし、道のないところには術なんて百害あって一利なし。

 

人をつくる読書術

人をつくる読書術

 

 

 

お金に強くなる生き方 (青春新書インテリジェンス)

お金に強くなる生き方 (青春新書インテリジェンス)

  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2015/10/02
  • メディア: 新書
 

 

 

 

千田琢哉さん

まあ、千田さんも僕のメンターの一人ですわな。本当に好きな作家なので、この人のオススメの本は教えない。自分で選んで。

 

 

自分も他人も許せていないから不幸になる

 あなたは自分を許せているだろうか?

結論から言えば、自分も他人も許せれば幸福に生きられる。

逆に自分も他人も許せない人は不幸になっていく。

 

許すことができない理由はいくつかあるが、

一つ言えるのが、正義を振りかざしてしまうということ。

自分は正義。他人は悪。そのように考えてしまう。

哲学的な話になるが、この世には善も悪もない。

善か悪かを決めているのはあなた自身だ。

もともとの事象自体は善でも悪でもないのに、人が自分の価値基準で善か悪かを決める。

それによって、正しい、間違っているという分類が生まれてしまう。

仏教の教えに、「一切空」という教えがある。

この世は一切、空である。

本来は、善も悪も、正義も悪もなにもない。

しかし、自分の価値基準、または世間体という判断基準によって善と悪がうまれてしまうのだ。

この原理を理解すると、わかってくるのだが、他人を許せないのは、自分が正しいを思いこんでいるからだ。

もし仮に、あなたがだれかを非難しているとして、なぜ非難しているのかといえば、自分が正しいと思っているからだ。

 

森見登美彦さんの小説「太陽の塔」の冒頭に次のような一節がある。

何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。

なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。

 誰かを許せなくなる論理はこの中に詰まっている。

 

絶対的に自分が正しいと思ったときに、誰も許せなくなってしまうのだ。

当たり前の話だが、この世に同じ人間などいるはずがない。

完全に自分と考え方が同じで、価値基準も同じなんてあり得ないのだ。

 

価値基準が変われば、善悪の判断も変わってくる。

極端な例を出せば、犯罪者は世間からすれば悪であるが、犯罪者当人にとってみれば、「自分こそが正義であり、善である。そして、自分が間違っていないのだから世間が間違っている」 ということになる。

 

自分を許せないのも同じ論理だ。

自分の価値基準の中で悪な行動をしてしまっているから、自分を許せない。

仮想的な絶対的に正しい自分がいて、それに近づいていけない自分が現実にはいる。

だから、許せなくなる。

自己肯定感を高めるには、まずは自分の良いところも悪いところも認めることだ。

「そもそも良い悪いなどない、自分は自分であることを許す。」そう口に出してみることだ。

 

先ほども引用させていただいた、「太陽の塔」の最後の一節がすごく参考になる。

何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。

そして、まあ、おそらく私も間違っている。

 

 太陽の塔は、自意識の強い大学生が主人公なのだが、最終的には、自分も間違っているかもしれない。とメタ的にみる事ができるようになっている。

 

自分の中だけの判断ではなく、違う視点から判断してみることも大切なことだ。

自分の中だけで判断すると、正義ばかりを振りかざしてしまう。

そうではなくて、他人の価値基準も取り入れて、自分を多角的に見ていけばいい。

そして最終的には、良い悪いなどないのだから、判断をやめることだ。

 

あなたは正しいかもしれないし、間違っているのかもしれない。

答えは必要ない。

ただ、あなたはあなたを受け入れて、許しさえすれば万事オーケーだ。

 

許すという行為は、善でも悪でもない。

人が幸せになるには、善悪から離れる事なのかもしれない。

あなたも、あなたのことを許してあげてほしい。

どんな自分も自分以外の誰でもないのだから。

無気力感をなくすために

最近の若者は無気力だとよくいわれる。

たしかに、高度成長期の若者のような欲望や野望や希望はないと思う。

それは、社会のせいだとも言えるし、自然なことだといもいえる。

経済成長期によって、日本社会は物質に満たされた。

物質的な飽和状態の現代に、野望を抱いたり、猛烈な欲望を持つこと自体難しいことだ。

スマホ一台あれば、音楽も動画も電話もライトもゲームもニュースもありとあらゆることができる。

スマホなんて高校生なら9割以上が持っている。

食べ物を考えてもそうだ。

なんでもコンビニで手に入り、家にいてもウーバーイーツ、アマゾンを使えば何でも購入できる。

なんでも簡単にできるようになってしまった。

便利になった世の中では身体的な生きている実感を持ちにくい。

筋トレが流行っている理由の一つには、身体的な生きている実感を得たいからだ。

現代では生きている実感が得られない。それを埋めるために筋トレをしているにすぎない。

情報もそうだ。

なんでもネットを開けば無限に広がっている。

グーグル先生は万能で、何でも答えてくれる。

そのせいで情報を得られることへのありがたさ、感謝の念が消えた。

 

 

無気力感をなくすためには、一度、このすべてをやめてみることだ。

休日を田舎で過ごす人が増えているのも、生きている実感を得られるからだ。

すべてはつながっている。

現代の最も大きい病というのは、生きている実感を持てないということだ。

身体感覚がないということも言える。

どんどん仮想世界が広がっていき、自分の身体、自分の魂、そういう根源的な自分から自分の頭ばかりが分離されていき、自分の中で乖離が起きてしまう。

うつの最大の原因は、自分の内と外の乖離である。

自分の内側の声と外側の声が乖離してしまっているからうつになるし無気力にもなるのだ。

内側は本音で外側は建前である。

内側は本当に自分がしたいことであり、外側は他人に押しつけられたことである。

内側から湧き出ているものを無視して、頭でグルグル考えて、頭だけを重視してしまうから乖離してしまう。

自分の内側と外側を統合していく必要がある。

現代は外側がどんどん肥大化してしまう傾向が強い。

だから統合していくには、まず自分の内側の声をキャッチすることだ。

自分の本音、自分の身体、自分の魂、自分の心臓を感じるようにする。

 

あえて不便な道を選ぶのも一つの手段だ。

不便益という言葉をあなたはご存じだろうか?

一般的に言われるのは便益である。

便益とは、読んで字のごとく、便利であることで得られる利益である。

では、不便益とは、なんだろうか。

そう。不便であることで得られる利益である。

便利過ぎる世の中の弊害から逃れて、あえて不便なことをやってみる。

すると、否応なしに、自分の身体を動かさなければならない。

 

例えば、いつもネットで調べていることをあえて、本で調べる。

そうすると、まず自分の足で図書館に行かなければならない。

さらに本を本棚から探すことをし、本を持って机に向かわなければならない。

そして手を使って一ページ一ページめくって読んでいかなければならない。

また、必要な情報を紙に書かなければならない。

 

このように、便利過ぎるスマホを手放し、アナログな方法をあえて選択することで、一気に身体感覚を伴った活動に変わる。

身体感覚をもって作業をすることになるから、自分の身体と自分の頭の両方を使うことになり、頭と身体が統合されていく。

これに限らず、あらゆる場面で、たまにでいいから不便なことをやってみるのだ。

 

無気力になる原因のひとつには暇なこともあげられる。

そもそもアナログな行動というのは時間も労力もかかるから、暇になりにくい。

そういう意味でも不便なことをあえてやるのはオススメだ。

 

かくいう僕も、無気力に悩まされたりする。

偉そうに書いているが、まったく未熟である。

もし、あなたがこの無気力で悩んでいるのなら、何か不便なことをあえてやってみてほしい。

この文章の中で何か参考になったことを紙に書いてみることでもいいし、少し散歩をして深呼吸してみることからでもかまわない。

あなたの身体、内側を大切にしてみてほしい。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。