ZAKIOLOGY

受験生から大人まで勉強を楽しみたい人のために

平和すぎる大学初日を過ごす理系大学生の一日

今日は、大学の初日でした。(振替っていう意味のわからぬ先取り授業を除き)

昨日も書いたとおり、オンラインでした。

オンライン授業って、基本的にはオンデマンドのほうが楽で、リアルタイムのほうがきつい。

今年は、もともと対面に戻る予定だったらか、

リアルタイムのオンライン授業ばかり。

 

なんてこった。

 

自宅でずっとパソコンの画面に向き合ってるのはとてもとてもとても楽しくないので、

今日は、午後から大学の図書館に行った。

 

ついでに教科書も買っておこうと思ったら、

目当ての教科書を置いていない生協。

あれれ?

とおもたので、

生協の人に、〇〇の教科書って置いてないんですか?

っていう業務を増やす迷惑大学生を演じてみたところ、

親切にも、教科書名から授業名などを調べてくれて、

さらに、その教科書が絶版になっていることまで教えてくださった。

 

ありがたやー

 

せっかく親切に教えてもらったので、教授にちゃんと教科書が絶版になっていることを教えてあげたところ、

教授も戸惑っておった。

 

これを親切連鎖の法則と申す。

情けは人のためならずということをさらに抽象度を上げたこの理論的な法則は、あらゆるところで適用可能である。

というのは冗談ではありますが、

親切にされると、自分も親切な行動をとってしまうことは、たまーに、いや割と頻繁に、いやごく普通にあります。

それが言いたかっただけです。はい。すみません。

 

教科書が絶版になるとアマゾンの中古の値段が跳ね上がる。

 

なんと、その教科書、ほぼ新品で買おうものなら

7000円

桁間違ったかなって思うくらいの値段ですよね。

 

教科書の話はそんなもんにしておいて、

図書館に行ったら、まあ人が少ない。

息苦しいのでマスクを適当につけていたら少しキレられたことは置いておきましょう。

で、内海域環境学っていう授業を今日は図書館で受けたわけなんですが、

この授業、まじで書くことが多い。

てか、画数が地獄のように多い。

濃度、有機、酸素、飽和を連発されるので、手が疲れる。

そこで考案したのが、

ノード、ユーキ、O2、ホーワというカタカナ。

 

なんと、濃度の画数は、25画、それがたったの6画

−19画という画期的な減量に成功したのでした。

 

酸素をO2にすれば、たったの2画。

化学式神様。

 

人間が化学式というものを発明した理由はめんどくさいからなのだと実感させられました。

 

文明ってすごいですよね。

人間のめんどくさいという感情もすごいですよね。

 

文明を発展させてきたのは、人間のめんどくさい。という感情です。

わざわざ手で洗濯するのめんどくさい。

わざわざ手で皿洗うのめんどくさい。

ということから、洗濯機は生まれ、食洗機が生まれたのですから。

 

いま僕が使っているパソコンも、

いちいち手書きすんのめんどくさい。

いちいち紙に書くのめんどくさい。

ということから生まれたものであるはずです。

 

めんどくさい。

楽したい。

 

人間のこの感情のエネルギーはすさまじいなと思いません?

 

僕のブログも働くのめんどくさい。資産収入ほしい。

っていう動機からはじまってますw

 

それで350記事近く生産したわけなので、楽したいエネルギー>ZAKIOLOGY350記事分のエネルギー

ってなわけです。

楽したいエネルギー無限大の法則というものが証明される日も近いかも知れないw

 

 

そんな感じで、とても平和な理系大学生の1日を過ごしました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

 

教科書に翻弄された一日を過ごす、とても平和な一日でしたw

 

コロナに飽きた

こんばんは。

おざきです。

 

大学が明日から本格的にスタートするのですが、

当初の話では、

第一週目のガイダンス等に関してはオンライン

第二週目からは全面的に対面に戻る

という話だったのですが、

 

ご存じの通り、陽性者が増えてきているので、

第二週目からもオンラインになるかもしれません。

 

ぶっちゃけ、どっちでもいいな。

っていうのが本音です。

 

僕は、一貫してずっとコロナを恐れる必要はない。

と言い続けていますし、それは全く変わっていません。

 

去年一年で、ある程度オンライン授業に対しての攻略法も身につけることができたし、

別に、オンラインだろうが、対面だろうが、どっちでもいい。

 

ただ、気になるのは、

いつまでこんなアホなこと続けんの?

ってこと。

 

ある人は、「コロナは民衆が飽きたら終わる」

と言ってましたが、

これはある意味正しい。

 

スペイン風邪のときもそうでしたし、

インフルエンザのような扱いになれば、コロナ危機というものは終わります。

 

僕は、今後も淡々と単位は取って、自分でやりたい勉強を続けていくだけです。

 

最近は、友達ってそんなにたくさん必要なかったな。

と思いますし、

連絡を取ってたまに会える友達がいれば基本的に大丈夫。

 

あとは、

飲食店だけを責め立てる風潮に対しては、疑問しかありません。

アクリル板とかマスク会食とか

やってなかったら罰則するってw

アホすぎて本当にお門違いも甚だしい。

 

家庭感染が一番割合が多いんですから、そっちの対策をするのが一番早いはずでは?

 

飲食店がどれだけがんばったところで、家庭感染していたら、陽性者の数は減りようがないのは目に見えています。

 

僕は一人暮らししてるんでw

 

みなさん頑張ってください。

 

っていうのは冗談ですw

 

もう、コロナに飽きましょう。

ある程度は人が死ぬのも仕方ないです。

毎日何かしらの病気で人は死んでます。

 

そんなの当たり前ですから。

 

正直なところ、戦争中か?

っていうくらい飲食店がかわいそうです。

 

戦争中か?

っていうのは、翼賛的な体制についてもそうですし、

国民にひたすら我慢を強いる感じとかについてです。

 

去年、安倍さんは、コロナが収まるまでは我慢してください。

みたいなこと言ってましたが、

あれれ?

収束してませんけどw

 

去年1年の我慢の代償としての10万ってw

安すぎません?

 

だから、もう飽きるしかないですよ。

 

飽きて、自分の体調を整える。

 

食事を整える。

免疫力を高めていく。

 

そういう方向性の方がよろしい。

 

そのために、僕は、食事系の本を何冊か読みました。

下に2冊ほど載せておきます。

世界最新の医療データが示す最強の食事術 ~ハーバードの栄養学に学ぶ究極の「健康資産」のつくり方~

脳の毒を出す食事

 

結局、2冊ともそうですけど、

日本的な発酵食品、緑黄色野菜、ビタミンD亜鉛、を取るようにする。

食品添加物の入ってないものを食べる。

 

ということを押さえておけば大丈夫です。

 

食品添加物を避けるなんて、僕は5年くらいずっと続けてますし、

発酵食品なんて毎日食べてるし、

水にもこだわってますし、

油にもこだわってるので、

 

ほぼほぼ僕は健康的な生活をしていることがわかっただけなんですが、

 

みなさんは、ちゃんとこういう本を読んでみることをオススメします。

最近だったら、YouTubeにもこういう情報はあるはずなので、みてみたら良い。

 

食事に関しては、すべてにおいて、

自然に近いものを食べる、飲む。

ということにつきます。

 

それ以外に必要なことなんて存在しないからです。

 

昔の人は、みんな自然なものしか食べてなかったし、

自然なものしかなかったわけですから。

 

まあ、ただ今まで何も意識してこなかった人が、いきなりすべての食品添加物を避けるのは無理なので、

ちょっとずつ減らしていけば良いです。

 

食事は習慣なので、

良い物を食べる習慣ができれば、勝ちです。

悪い物を食べたい人なんてそもそもいないですから。

 

 

そんな感じで、そもそもの免疫力を高める食習慣を意識していきましょう。

 

 

 

相反するものを統合するために大切な「対話」 友達とケンカしたことから学んだことw

こんにちは。

おざきです。

今回は、対話の重要性ということをテーマに最近学んだことを書いていきます。

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最近、テーマになっているのが、昭和と平成の価値観の違いについてです。

 

要は昭和と平成で、全く価値観が違う。

昭和は、物質的な豊かさを追い求める

平成は、精神的な豊かさを追い求める。

 

そういう点から、昭和と平成の対立という構造が、浮かび上がってくるわけです。

 

この二つを統合するために、大切なのが、

昭和は歩み寄る姿勢

平成は一歩踏み出す姿勢

です。

 

昭和は、何かと、高圧的になりがち。

自分の当たり前を押しつけがちなんですね。

 

平成世代からすると、その圧が強すぎて、気後れしてしまう。

そういうことが重なると、圧力におられてしまって、立ち直れなくなってしまう。

そういうことが多いんですよね。

 

逆に、平成世代は、敏感になりすぎて、相手を誤解しがち。

コミュ障という言葉が平成世代の間では使われますが、

要は、自分フィールドを作ってしまって、

自分の中だけで完結してしまう。

 

だから、相手のことを知りもしないうちから、誤解してしまって、

「あの人はこうに違いない」

みたいな偏見を作ってしまうのです。

 

その結果の誤解であり、

平成世代には、昭和世代に一歩歩み寄る姿勢が大切になってきます。

 

そして、昭和が歩み寄り、平成が一歩踏み出したら、

対話が大切なんですよね。

 

お互いに、言いたいこと、思っていることを伝えるんです。

 

言い方には気を遣う必要がありますし、

言葉選びは大切ですが、

昭和と平成が対立していると、お互いに敬遠してしまう。

 

その結果、愚痴、不平、不満をためこんでしまって、

平成の心が折れてしまうか、昭和が激おこになってしまう。

 

そうならないために、小さいことでもことあるごとに、対話していくのです。

 

最近、僕もよく対話を心がけています。

 

ちょっとしたことで、友達とSNSで喧嘩してしまったんです。

本当に些細なこと。

ちょっとツイッターで僕が意見をつぶやいたら、

友達がそれを批判してきたんですよね。

 

友達はそのツイッターの投稿に対して、批判をしただけなのですが、

僕は、「あいつにはこれだけの貸しがあるのに、批判された…」

みたいな感じに思ってしまって、

喧嘩に発展してしまったんです

 

喧嘩というか、

僕が一方的にブロックしてしまっただけなんですけど。

 

まあ、僕もついカッとなってしまっただけで、

少し時間が経った後にやり過ぎたなと思ったので、

 

もう一人の友達とご飯に行って相談して話を聞いてもらったんです。

 

そして、その他の友達に客観的な意見をもらって、

その結果、喧嘩した友達にちゃんと謝って、それで言いたいことも言って、言われて、

仲直りすることができました。

 

こういう感じで、一方的にふさぎこんでしまったり、

拒絶してしまうのが僕の悪いクセなのですが、

 

友達に伝えたのは、

「今後もこういうことはあるだろう」

「だから、ちゃんと対話する機会を設けてほしい」

ということです。

 

 

ある意味、僕と友達は平成と昭和の対立に似ているんです。

僕が平成のようにふさぎこんでしまって、

友達は昭和のように自分の当たり前を押しつけてしまった。

 

先ほどのように、対話をしていくことで、

その相反するものの着地点を探っていくことができます。

 

この世界は、善悪二元論的に、簡単に決まるものではない。

だからこそ、みんなで対話を重ねていく必要があるように思います。

 

 

今回は、対話の重要性について書いてみました。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

【進路】神戸大学海洋政策科学部に文系で入るのはやめておくべき2つの理由

こんにちは。

おざきです。

今回は、神戸大学海洋政策科学部に文系で入るのはやめておくべき2つ理由について書いていきます。

なぜかわからないのですが、

海洋政策科学部には「文系入試」というものがあります。

これは正直言って、やばい!

内部事情をよく知る筆者からすると恐ろしすぎるw

ということで、文系で入るとかなり悲惨なことになると思いますので、ぜひ進路の参考にしていただければ幸いです。

 

1.もともと海事科学部は理系しか入れなかった

もともとの話になりますが、

神戸大学海事科学部は、理系です。(純粋な理系)

今年から名前が変わって、「政策」という言葉が入りましたが、基本的には「科学」がメインです。

政策関連の勉強をしたいのなら、基本的には素直に法学部などを受験するのが安全かなと思います。

 

詳しくは海事科学部のホームページをよく見てみてください。

授業のカリキュラムや研究室を見てほしい。

研究室と研究内容を見ればだいたいが理系だってことがわかると思う。

www.maritime.kobe-u.ac.jp

2.履修科目は数学Ⅲ、高校物理、高校化学が前提

もともとが理系の学部ということは、

そもそも文系の人が避けてきたであろう、

数学Ⅲ、高校物理、高校化学が前提です。

 

これらは、当たり前に身についているものとして、カリキュラムは進んでいきます。

 

正直なところ、大学に入ってから数学Ⅲ、高校物理、高校化学をイチから勉強するのは難しいと思ったほうが良いです。

なぜなら、高校では1年、2年かけて行うものを大学では、半年以内で勉強しなければならないからです。

おそらく、文系向けに、入門という形の講義もあるのかも知れませんが、

ぶっちゃけ、予備校に通ったほうがいいでしょう。

大学の教授は勉強を教えるためにいるのではなく、研究するためにいる場合がほとんどです。

つまり、勉強を教えるプロではもちろんないですし、教えるのはうまくない。

 

それに比べて、予備校の先生は、教えるためにいますし、教えるプロですから、

正直なところ、大学で講義を受けるくらいなら、予備校に通うか、スタディサプリなどの動画授業を受けるほうが良いかと思います。

 

それと、

数学Ⅲ、高校物理、高校化学は、計算力や、場数、トレーニング量が命です。

大学生で、バイトもして、サークルにも入って、となると、トレーニング不足は目に見えています。

受験で、一通りトレーニングし終わった人が、大学の講義についていけるのであって、

文系でイチからトレーニングを始める人は落単&留年の確率が「圧倒的に」高くなると思います。

 

そういう厳しい現実も知った上で、ぜひ検討してみてください。

 

最後に

進路の選択は、長く引きずるものなので、

情報を調べずに安易な気持ちで選んでしまうのは危険です。

ぜひ、こういった入試情報を自分で探して、検討を重ねた上で納得のいく選択ができるようにしてください!

そのための一助となれば幸いです。 

 

追記:調べたところ、文系の人専用の学科(領域)があるので、その学科(領域)では法律関係、政策関係の履修科目が増えていますから、理系科目の割合は少なくなってます。

 

ただ、必修科目などをみてみると、依然として理系科目も多くなっているので、その辺も加味した上で判断することが必要かと思います。

くれぐれも!この記事だけで早合点しないようにお願いします。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

この記事が役に立ったという方は、シェアをよろしくおねがいします!

 

では。

 

新大学生にオススメの新書5選!

こんばんは。

おざきです。

 

春ですね。桜ですね。読書ですね!!

ということで、めでたい春を迎えた新大学生に「オススメの新書5選」を紹介していこうと思います!

 

前提としては、あんまり新書を読んでこなかった初心者を想定しているので、そこんとこよろしく!

 

1.野心のすすめ

 

野心のすすめ (講談社現代新書)

野心のすすめ (講談社現代新書)

 

 最近読んだ新書のなかでダントツでオススメしたい一冊。

男女問わず、だれでも楽しめるし、だれでも学べる点があるはず。

野心というと、最近の若者は興味ないかもしれないですが、

健全な野心は必要不可欠!

健全な野心は人を成長させてくれるガソリンになる。

せっかく受験でエンジン鍛えたのだから、良いガソリンも積んでほしい!

野心に燃える大学生活を送るためにぜひ読んでみてほしい一冊。

野心のすすめ (講談社現代新書)

2.言ってはいけない

 

 健全な野心をもつために、まずは現状認識から。

ということで、ちょっと残酷な現実も知っておこう。

正直な話、タブーに切り込んでいく本なので不快感はあるかもしれない。

しかし、その不快感こそ、現実の厳しさを表しているのです。

現実の厳しさをちゃんと知っておくと、対策も立てれる。

逆に、現実を知らないでノホホンと暮らしていると、知らず知らずのうちに現実に飲まれてしまう。

不快感からも目をそらさない。

そういう強さを身につけるための一冊。

言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書)

3.世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

 

 野心で燃えて、次に厳しい現実を見たら、

今度は、美意識に目を向けてほしい。

真善美。

この言葉は非常に重要になってくる。

この本の中では、経営という観点から美意識を考えていくが、

美意識は生き方そのものにもあらわれる。

「美しい生き方」という大きなビジョンも見据えるために読んでおきたい一冊。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)

4.日本人の誇り

 

日本人の誇り (文春新書)

日本人の誇り (文春新書)

 

 美意識まで鍛えたら、今度は、日本のホンモノの歴史に触れることだ。

日本の歴史教育は、GHQの占領以降、かなり歪んだものになってしまった。

最近になって、竹田恒泰先生をはじめとする先生方がYouTubeなどでも発信されているが、大学生のうちに日本の歪んだ歴史教育から脱却しておきたい。

藤原正彦氏は数学者である。

数学者から学ぶ歴史というのはとても新鮮で、圧倒的な知性に感服するから、まずは打ちのめされること。

日本人の誇り (文春新書)

5.読書力

 

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

 

 

以上を読んできてうずうずしている人、まずはこの本から入ってみるのも一興。

この本には魔力がこもっている。

魔力というのは読書への無数の扉が用意されているということだ。

この本の巻末に載っている、100冊を読破したいと心の底から思えたら読書魔になる日は近いだろう。

偉そうに書いてきた僕だが、この本に出会って以降、毎月10冊以上の本を読んでいる。

新書の味を知ってしまった僕は新書を買いあさる大学生になってしまった。

生活はたしかに楽なものではない。

一人暮らしで、バイト代を新書に全振りするのは勇気がいる。

しかし、バイト代を本に全振りしている自分に酔えるのも大学生のうちだ。

 

読書力 (岩波新書)

最後に

大学生なら、まよわず新書を買いあさることだ。

手に取った新書を片っ端から買えばよろしい。

紹介した5冊の中からピンときた一冊を買うもよし、本屋でピンときた一冊を買うもよし。

まずは一冊からはじめよう。

せっかくの大学生活。

新書の味を知らずに終えるのは大変もったいない。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

学生同士の「おごるおごらない」はナンセンス

こんにちは。

おざきです。

 

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今回は、「学生同士のおごるおごらないはナンセンス」というテーマで書いていこうと思います!

僕は、学生同士のおごる、おごらないっていかがなものなのか?

と思うのです。

今、大学3年で、おごられる立場から、おごる立場に変化してきているのですが、

 

ぶっちゃけ、無意味でしかない。

 

「そういうお前も、1年生や2年生のときにはおごってもらったくせに」

と思ったかたもいるかもしれませんね。

 

たしかにおごってもらっていました。

 

しかし、僕の場合は、先輩に対して失礼のないように、

かなり誠意を尽くしていましたし、おごってもらうにしても、「いい気持ち」でおごっていただけるようにしていました。

 

そういう姿勢を貫いていたし、

おごってもらえるのは当たり前ではない。

先輩もさぞおごりたくはないだろう。

と思っていたので、

おごってもらうにしても、なるべく価格の低いものにしたり、

負担のないように努めたものです。

 

しかしながら、

そういう敬意も払うこともできない。

愚か者たちがいる。

 

奢られる側の態度がなっていない。

 

そもそも論として、後輩におごられる側としての姿勢がなければ、おごる必要性はありませんし、

ただただお金の無駄遣い。

 

もしかりに、後輩におごられる側の態度が伴っていたとしても、僕はおごることはナンセンスだと思っています。

 

なぜなら、学生だから。

 

学生というのは、そもそもお金をそんなにたくさん持っているわけではない。

 

多くの大学生は、バイトをしていますが、

そうやって必死こいてバイトして稼いだお金をよくも安々と使えるな。

と思います。

 

僕は、自分で必死こいて稼いだのに、そのお金を無駄にはできない。

 

正直言って、

「学生同士のおごるおごらないってアホらしいな。」

と1年生のころから思っていました。

 

なるべく食事の席には参加しないようにしていましたし。

 

それは、僕が上の世代になったときにおごる必要性をなくすためでもありました。

 

言い訳づくりですね。

「俺は、そんなにおごってもらってないし」

っていう言い訳。

 

してもらったのなら、それ相応にしてあげても良いのでしょうが、

それほどしてもらっていないので、後輩にもしてあげる必要はない。

 

 

そもそも、僕は後輩におごるためにバイトしているわけではないので。

 

僕はバイト代はすべて勉強代にしています。

 

月3万くらいのバイト代なのですが、

なぜ月3万にしているか?

1日1冊本が買えるからです。

 

そして、絶妙なバランスなのです。

 

バイトして、お金を稼いで、かつそのバイト代がすべて勉強代に使えて、かつバイトしすぎていないから勉強する(読書する)ための時間も体力も確保できる。

そういう絶妙なバランスを僕は大学2年間を通して見つけたのに、そのバランスを崩されることに憤りを感じるわけです。

 

 

もしかりに、後輩におごったとして、3000円かかったとします。

そしたら、僕は三日間本を買えなくなってしまう。

 

「そんなの我慢しろよ」

というのは暴力です。

なぜなら、一介の大学生には本3冊分の情報量もないし、知恵も知性も教養もない。

飲み会の3000円の無駄遣いと3冊で3000円の中につまっている知恵なら、

3冊の知恵を選ぶのが当然です。(仲の良い友だちは別ですよ。当たり前ですが)

 

「我慢しろ」というなら、

「じゃあお前が俺の分も払っておけよ」

そう言いたくなります。

 

極論、おごりたいやつだけおごっておけばいい

 

とにかく、僕はおごってあげてもいいなと思える後輩でない限り、今後一切おごる気はありませんね。

 

おごられる側が、いかにしておごる側にいい気持ちでおごってもらうのか。

それを理解していないと、先輩からものすごく嫌われるのだな。

と自分の痛みを通じて学んだ次第です。

 

ちょっと愚痴っぽくなりましたが、それが本音です。(こうしてちゃんと学びに変えてるので許してくださいw

 

 

僕は、お金は心血である。と思っていて、

お金は心血、心の血を具現化したものです。

お金を稼ぐには相当の心血を仕事に注がなくてはならない。

それを知っているので、お金(心血)を無駄にするなど言語道断。

 

ハイデガーのいう取るに足りない「ダス・マン」のために「ダーザイン」がお金を使うわけはありません。

 

それと、僕のお金の使い道は僕だけが決める。

ただ、僕は間違ってるかもしれない。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

神道と剣道のつながりを思う存分に語ってみた。

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(なぜ西宮を選んだのかと言えば、西宮には蛭子大神のほかに天照大神須佐之男大神が祀られており、須佐之男といえば、十拳剣(とつかのつるぎ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)草薙の剣(くさなぎのつるぎ)ということで「剣と言えば須佐之男」というイメージより)

こんにちは。

おざきです。

前回は、剣道から学ぶ「美意識」というテーマで書きましたが、

今回は、神道と剣道というテーマで書いてみようと思います。

 

神道と剣道になんのつながりがあるのか

ということですが、

 

神道は宗教だと思われている方もいますが、

神道は宗教ではありません。

具体的な教え、戒律などがないため、

ただ単に「宗」です。

 

神道と剣道の共通点というのは、

これといって決まりがあるわけではないけど、

みんなの当たり前の感覚の中に暗黙のルールが横たわっている。

ということです。

 

剣道も確かに決まりは多少あります。

しかし、これをやってはいけない。こうしなければならない。という厳密なルールはあんまりない。

みんな「なんとなく」中段の構えだけれど、下段をやってもいいし、上段でもいい。

 

別に決まりがあるわけではないけれど、「なんとなく」みんな年長者を敬う。

 

「なんとなく」美しくないからこれはしないほうが良いだろうな。っていうのがルール。

なんとも曖昧。

 

審判も曖昧。

別に確固たる理由も確固たる一本なんてわからないけれど、

とりあえず「なんとなく」一本を判断する。

 

これはまさに神道的。

 

神道の重要な考え方として、

「偶然は神なり」

ということがあります。

 

ぶっちゃけ、剣道においては、偶然の連続です。

なんかよくわかんないけど一本取れた!(取られた)

とか

なんかよくわかんないけど勝った(負けた)

ということがよくあります。

 

冷静に見てみれば、どんなスポーツであれ、ときの運というものに左右されたりしますよね。

結局、人生において、偶然というのは天文学的な確率で起こっているわけで、

どこまで実力を高めても、実力が拮抗するところでは「運」や「偶然」に左右されることが多いわけです。

 

この「運」や「偶然」に神なる働きを感じるのが神道です。

偶然起こったことに何かしらの啓示があると捉えるわけですね。

 

これは、日本の地理的な問題もあります。

日本は古来から、天変地異、自然災害が多い。

そのため、偶然起こった、天変地異、自然災害に対して畏敬の念を抱いていた。

日本の場合、自然は豊かで四季も豊か、水もきれいで、森林に囲まれ、まわりには海が広がっている。

そういう恵まれた自然がある一方で、自然の脅威にもさらされてきた。

だからこそ、自然に対する畏敬の念が芽生えたのでしょう。

西洋的な一神教的価値観では自然は人間が管理するものだと捉えますが、

日本的な多神教的(神道的)価値観では、自然は人が介入できるものではなく、敬い畏れるもの。

わかりやすく言うと、

西洋的価値観は「自力」で

日本的価値観は「他力」です。

日本人は「他力本願」という言葉が象徴する通り、自らなんとか「する」というより、

他力によってなんとか「なる」という考え方。

「なんとかなる」と言えば、宮本真由美社長ですが、

斎藤一人さんの教えの中に「なんとかなる」という言霊がある。

それに関しては、なんとかなるの奇跡という本がオススメです。

 

斎藤一人「なんとかなる」の奇跡

斎藤一人「なんとかなる」の奇跡

 

 

「なるようになるさ」といういい意味での諦観、そして祈りがあったんですね。

 

「なんとなく」という部分や

「なるようになる」という部分

が非常に神道的なわけです。

 

日本人の性質にも似たような部分はありますよね。

それが「空気」です。

 

「空気を読めよ!」っていうツッコミは日本でしか成り立ちません。

他の国では「空気は吸って吐くもの」でしかありません。

広い意味での同調圧力は集団心理としてどこの国にもあるのかもしれませんが、

それを「空気」と捉えるのは日本独特のものでしょう。

 

空気とは、当たり前に存在するものであり、目に見えないのに、そこにあるように感じる。

そういう感覚が日本的で神道的。

 

言ってしまえば、神道は日本人にとって空気も同然です。

当たり前過ぎてだれも意識していない。

そういうものが神道です

 

神社は「なんとなく」良い気がする。

「なんとなく」神様いそう。

 

っていう感覚。

 

自然崇拝と言えば自然崇拝なのでしょうけど、

自然崇拝という言葉で片付けるにはもったいないような感覚ですよね。

 

で、ずっと神道について語っていましたが、

そういう「なんとなくいい」とか、「なんとなく美しい」

っていう感覚が審美眼を育んでいて、

剣道にも生かされているのです!(やっと剣道にもどったw

 

審美眼というものを育む最強のツールとしての剣道でもあるように感じます。

 

剣道を通して、「美しさに対する感度」を高めるといいますか、

剣道をやっていると違和感が出てくる。

「なんかちゃう」「なんか歪んでるな」

みたいな「えもいえぬ違和感」が美しさを追い求める過程では必要不可欠。

 

そのような違和感を感じるためのツールのような気がします。

 

今回は勢いで書いたので、まとまりがないかもしれないですが、

そこはご愛嬌ということでw

 

最近、神道と剣道ってめっちゃつながってるやん!

っていう感動に駆られてしまい、ずっと書きたかったんですよねw

 

神道は「神に至るための道」ですから、美しさすらも超越しているとも言える。

そして、神道は「道」と名のつくものの中で最も抽象度が高い思想ですから、剣道とつながる部分があって当たり前といえば当たり前。

 

そんな感じですw