【生活習慣】密度の濃い日々の過ごし方

こんにちは。

今回は、密度の濃い日々の過ごし方というテーマで、どうすれば、時間を無駄にせず、濃密な日々を過ごすことができるのか。ということについて、書いていきたいと思います。

 

というのも、最近はまだまだ、オンライン授業で、家にこもりっきりの生活が続いていて、いろいろと考えることがありました。

 

例えば、なんで大学に行っているのか、とか、そもそも、なんで生きてるのか、とか普段ならスルーして見て、見ないフリをするテーマについて思索にふけることが多かったです。

 

やはり、内向的な生活が続くと、考え方も内向的になってしまいますし、逆にそれのおかげで、いろいろと考えを深めることはできますが、割と苦しさも伴うので注意が必要です。

さて、本題に入ります。

時間を無駄にしてしまう3つの原因とは?

そもそも、なぜ、人は時間を無駄にしてしまうのでしょうか。

思うに、3つほど原因があります。

その3つとは、

1.やることが明確になっていない

2.やるための目的が明確になっていない

3.やることが明確なのに行動しない

です。

それぞれ説明していきます。

 

1.やることが明確になっていない

まず、当たり前ですが、やることが明確になっていないと、自分がどう動けばいいのかをまず考えるところから始めなければならず、そこにエネルギーをかけなければならない。

 

そうすると、やることが明確になるまでに、使うエネルギーがあるので、何かタスクを始めるときにスムーズに始めることができないわけです。

 

すると、人間はやる気がないだとか、なんとなくやりたくないという風に、「やらないための理由探し」を始めます。

 

そして、「やらない理由探し」をすることで、さらにやりたくなくなり、時間を無駄にしてしまう。

なので、まずは、やることを明確にすることが、最初に大切なこととなります。

 

 

2.やるための目的が明確になっていない

次に、やることはわかったんだけど、「なんで、それをやらなければいけないのかわからない」という問題が出てきます。

例えば、小学校や中学校では宿題が出されますよね。

僕は基本的に宿題はほとんどやる気がなく、とりあえず消化させることだけに集中していましたが、ぶっちゃけ、宿題には目的がないのです。

この宿題をやってなにになる?と問い出すと、その答えは出ない。

少しだけ、僕がよくやっていた思考パターンを紹介します。

 

なんで、この宿題をやらないといけないのだろう?

それは、高校や大学に受かるため

じゃあ、なんで高校や大学に受からないといけないのだろう?

それは、社会的な安定のためだよ。

でも、社会的な安定なんて、そもそも今存在する?

まぁ、本音を言えば、転職当たり前だし、デフレだし、社会的な安定なんてないかもな。

それでも、勉強することには意味は多少あるかな?

でも、勉強するなら、他の方法があるくない?

自分でやる勉強を設定して勉強した方が楽しくね?

まぁ、それはそうだけど…。

結局、やらないとどうせ怒られるだけだし、逃げててもしゃあないし、やるしかないんじゃね?

なにそれ。つまんない。なにが宿題だよ。本質的に自分で勉強すればそれでいいやん。うざったい。まじで、宿題なんてやる意味ないやん…

 

 

みたいな、感じに、どんどんやらなくてもいい理由が見つかっていき、かつ、自分が所属している領域に対しての不満や、おかしいところが見えてきてしまって、余計にやる気がなくなるのです。

 

例え話でだしましたが、宿題は基本的には無意味です。なので、こういう感じで考えてしまうとやる気はなくなります。

 

宿題においては、やるかやらないかは、本来は自由なので、やる必要がないならやらなければいいという、結論になりますね。

一見、この思考パターンは、良くないですが、ちゃんと考えないと前に進めないのも事実な訳で、目的や意味を考えないでもできる人はいいのでしょうけど、目的が明確でないと行動できないタイプの人は、無意味であることの確認はするべきです。

 

なぜ、自分はこのタスクをしなければならないのか、やる目的はなんなのかを明確にしましょう。目的が、あることにはやる気がわくので、そこがメリットです。(目的のない無意味なことは、やらなくてもいいのだと気づくことは大切)

 

目的を考え出すと、たしかに、ネガティブになる点もありますし、やる目的のない無駄なことがタスクの場合は、とにかくやらないといけない!という風に考えることも必要です。

 

 

3.やることが明確なのに行動しない

最後に、問題なのは、やることが明確なのに行動しないことです。

これは、まぁよくありますよね。

 

やらないといけないのはわかってるのに、先伸ばしにしてしまう。というのは誰でも共通の悩みなのかもしれません。

 

具体的な解決策とは?

この悩みをすべて解決するために、やると良いことがあります。しかも、習慣にすれば、超簡単。

 

 

 

それはズバリ、「書く」です。

 

 

毎日、手帳に、タイムスケジュールの記録と、こなさなければならないタスクを書き出すのです。

だれでも手帳は持っていると思うので、すぐにできます。

なぜ、書くことで解決するのか。

 

それは、思考が見える化されるから。

 

さっきの、僕の思考パターンも、ちゃんと書き出すようにしています。

意味ないってわかったらたしかにやる気は出ませんし、できるならやりたくはない。

 

しかし、やる意味がないこともわかっていない状態では動きようがないのです。

やることもやる目的も書けば、明確になります。 

 

そして、自分の行動を記録することで、自分の状態を把握することができるのです。

やらなければならないことを避けているなぁとか、ちょっと体調悪いなとか、いちいち記録することで、やりたくない原因を明確にする。

 

そうすることで、時間の無駄がどんどん削ぎ落とされていきます。

手帳に記録するのは受験でもかなり有効で、特に浪人生は時間のマネジメントが鍵を握るので、受験生にもオススメです。

最後に

今回は、密度の濃い日々の過ごし方ということで、時間を無駄にしてしまう原因と、その解決策について書きました。

 

ぜひ、手帳に記録する、タスクを書き出すことを習慣にしていってください。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

【ニュース】都知事選に関して思うこと

小池さんの勝ち方

なぜ、都知事選は、小池さんの圧勝に終わってしまったのだろうか。

メディアの影響力の差。これが大きい。

小池さんは、連日、テレビに出演していた。

現在、若者の間では、テレビ離れが進んではいるが、日本の中高年はいまだに、見るメディアはテレビに偏っている。

そんな中では、テレビにどれだけ出演するかということが選挙にも、大きく関わってくる。

果たして、それは、公平な選挙なのか。

 

山本太郎さんや、小野さん、宇都宮さんもかなり頑張っていたように思う。

 

しかし、メディアは、大衆を煽動することが可能だ。

最近の、テレビ離れの中でも、テレビの影響力は落ちていないのだ。

メディアに扇動され、小池さんの印象操作だけで、これだけの結果が出てしまう。

明らかに、政策的に言えば、他の候補者のほうが、都民のことを考えたいい政策を打ち出していたように思われる。

それでも、メディアに煽動された洗脳された大衆は、「なんとなく、小池さんの方が良さそう」という曖昧な理由で投票していたのではないだろうか。

山本太郎さんが、めちゃくちゃ熱気を帯びて、演説するなか、小池さんはかなり余裕な態度で、淡々と無機質に、動画の中だけでしゃべっていた。

もともと、この都知事選は、始まる前に戦いの結果はすでに決まっていたのかもしれない。

大衆をいかに煽動するか。いかにして、メディアに露出して、印象操作をするのか。

それが、今の政治の勝ち方なのだ、ということが色濃く現れていたように思う。

追記:誤字があったので、直しました。

×扇動

○煽動

意味的にも、不安を煽って(あおって)動かすっていう意味。

 

【ブロガーバトン】せっかくいただいたので、やってみた。

こんにちは。

今回は、いつもとは異なり、ブロガーバトンなるものをやっていこうと思います。

先日、ゆきちゃんさんにバトンを回していただいたので、やってみたいと思います。

ゆきちゃん(id:kimetsu-yukichan)さん、ありがとうございます。

www.kimetsu-yukichan.com

f:id:colt0624:20200621002611j:plain

 

名前:

ZAKIOLOGY

年齢:

20 (今年21)

ブログ歴:

1年3ヶ月くらい (proにしたのは、去年の11月なので、実質8ヶ月くらい)

令和2年7月4日現在:

208記事(この記事で209記事目のはず)(下書きという墓場にある記事を含めると250記事くらい)


更新は:

適当 少し前まで、毎日更新を55日くらい続けていましたが、最近は、量より質を重視しているので、頻度をわざと落としています。


ブログのジャンル:

読書・エッセイ・書評


ブログをはじめたきっかけ:

受験生のときにブロガーの人に出会った。ネットビジネスを肌で感じたいと思ったこと。(ちなみに、今は全く広告もつけていませんし、一切収益を考えず、書きたいように書いているので、僕にはネットビジネスは向いていません笑)


ブログを続けている理由(独自):

自分の思考のはけ口。頭の中にためておくよりアウトプットした方がすっきりするから。


今後のこのブログの野望:

自分も楽しいし、かつ読者のためになることが書けること。


ひとこと:

これからも、がんばらずに書いていくのでよろしくお願いします!

一番古い記事:
 

↑懐かしい。めちゃくちゃつたないけど、頑張って書いているなと思う。というか、ほとんど、アマゾンのリンクっていう…笑。

本当は、もっと古い記事が存在したのだけど、削除したはず。(恥ずかしくなって消してしまった)
今思えば、かなり成長したな。

 


こうやって、過去を振り返ると、自分のやってきたことが無駄ではなかった、と思えて、救われた気持ちです。
過去は、変えられないけど、解釈は変えられる。最近思うのは、過去は変わらない事実として残ってくれているからこそ、安心感もあるなと。
自分がやってきたことは、今も未来も変わらず残ってくれていて、それが今を後押ししてくれることもありますよね。
そんなことをしみじみ考えてしまいます。



 お気に入りの記事:

ぶっちゃけ、自分の記事は大好きだから、たくさんある。その上で、厳選すると次のようになります。

 

自画自賛かもしれませんが、かなり本気で書いているので、当然ながら、自分の記事は全部好きです!

 

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  • 次に回したい人:は、残念ながらいないので、ご容赦ください。

最後に

一昔前は、ラインのタイムラインでこんな感じのバトンも流行ったものですが、最近では廃れてしまいましたね。

時代を感じます。

今後も、自分の読書した内容を深めつつ、単なる情報よりも、知識、そして知恵を共有できたら最高だなと思います。

初心を思い出させてくれてありがとうございます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

vol.2【書籍紹介】生物としての人間らしさを取り戻す 「スマホを捨てたい子どもたち」

こんにちは。

今回も引き続き、「スマホを捨てたい子どもたち」という本をテーマに書いていきたいと思います。

スマホを捨てたい子どもたち: 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方 (ポプラ新書)

前回のおさらい

前回の話をざっくりおさらいしておくと、

☑ テクノロジーは進化しても人間の脳は進化しない

☑ 信頼は同調からしか生まれない

☑ 若い世代は適応能力が高いから、スマホに逃げる

ということについて書きました。

今の社会、テクノロジーオーバーテクノロジーである(特に5G)

そして、人間の根本的な性質は昔から全く変わっていないということ、について書きました。

 

それでは、今回の本題に入っていきます。

 

生物的な観点から見る人間らしさ

人間の社会性は、食物を運び、仲間と一緒に安全な場所で食べる「共食」から始まりました。

人間は、家族や、友人などと一緒に食事を取る。

これは、他の野生の生物には、ありえないこと。 

サルなどの他の霊長類にとって、食物は争いの原因です。

それを、当たり前のように、みんなで共有して、一緒に食べるのが人間らしさだと。

さらに、人間は、食物を調理するようになりました。

その結果、効率よく食物を摂取できるようになり、仲間を増やして、一緒に食べる。すると、意思疎通をしなければならなくなるので、言語が発達し、社会が複雑になっていきました。

つまり、人間の進化の根源は、食事である。ということ。

最近では、一人ぼっちで、食事をすることが多い世の中ですが、本来の人間らしさとは、誰か自分の信頼している人や、仲間と食べるものだったのです。

いくらSNSが発達しても、共食が必要なのです。

 

人間は生物である

発展する科学技術との共存は可能だと思います。ただし、現代文明と付き合うには、人間が「生物として」進化してきたということを今一度自覚して、生物としての人間の幸福なあり方、生き方を考えなくてはいけません。

果たして、今のテクノロジーとは共存できているのでしょうか?

僕は、甚だ疑問です。

正直、共存できていないと思います。

なぜ、鬱が増えているのかといえば、一つは電磁波です。

電磁波が精神に悪影響を及ぼすことは、かなり前から研究がされていて、危険視している専門家は多くいらっしゃいます。

ただ、全くテレビやマスコミは、電磁波の弊害を扱うことができません。

なぜなら、スポンサーに携帯電話の会社や、電子機器の会社をつけているから。

電磁波の影響は、海外では割と当たり前に言われているのですが、日本では、知らない人が大多数。9割5分くらいは、無知だと思います。

電磁波の悪影響に関しては、周知していかないといけないとは思うのですが、今回の話とは、少しそれるので、また別の機会に書こうと思います。

 

話を戻すと、テクノロジーは、人間の本来のあり方を置き去りにして、独り歩きしているのです。

極論を言えば、あらゆる現代病は、昔の生活に戻せば、完全に解決します。薬も何も必要ありません。それだけで解決できてしまうものなのです。

ただ、現実としては、なかなか難しい。だからこそ、「共存」を目指していかなくてはいけない。

人間としての幸福度よりも、新しい技術で儲けることのほうが重視されてしまっている。

例えば、ウーバーイーツ。

ウーバーイーツで配達している人はAIに使われている。

AIが人間に、「ここに配達しろ」という命令を出し、人間がそのシステムに使われているのがウーバーイーツです。

それがいいか悪いかは別として、もうすでに、AIに人間が使われる社会があるということなのです。

 

たしかに、便利なのには越したことはないのかもしれない。しかし、人間が人間らしさを失って、システムに使われるだけに成り下がるのは、果たして幸せと言えるのか。

それは考えていかなくてはならないだろうと思います。

 

今こそ見直したい「食」の重要性

この本とは関係ありませんが、僕が最も影響を受けているのが「ゆにわ」です。

ゆにわに関しては、なかなか言語化するのが難しいので伝えるのが難しいです。

僕が言うのもおこがましいくらい、ゆにわはすごいのですが、あえて言うなら、世界で一番おいしい飲食店。

ゆにわの教えの一つに、

食べることは生きること。

食べ方を変えれば人生が変わる。

という言葉がありますが、それを体現しているお店でもあります。 

この本でもあとがきに、

対面コミュニケーションの大切さを説いてきました。スマホを使って頭だけで友達とつながるのではなく、面と向かって声で話し、相手の表情や態度をきちんと読んで付き合うことが必要です。相手ときちんと向き合うことは、人間が信頼関係をつくり、それを高めるためにかけがえのない行為だからです。人間の五感は人と会って身体で共感し合うために作られているのです。その最も原始的な行為が食事です。時間をかけて人々と食卓を囲み、対面しながら様々な話題を交換する。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚をみんなで共有して楽しい時間を過ごすことは、信頼という財産をつくることにほかならないのです。

という言葉がありましたが、本当にその通りだ、と思います。この本の内容を集約したような一節です。

この著者さんは、フィールドワークを通して、本来の人間らしさを体感しているからこそ、食の重要性についてわかっているのかもしれません。

 

最後に

今回も、「スマホを捨てたい子どもたち」から重要なテーマを拾って書いていきました。

非常に良い本なので、ぜひ読んでみてください。

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

【書籍紹介】ゴリラから学ぶ現代の歩き方 「スマホを捨てたい子どもたち」

こんにちは。

今回は、京大の総長の山極寿一さんの「スマホを捨てたい子どもたち」という本を紹介していこうと思います。

 

 

スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方 (ポプラ新書)

著者の山極さんについて、本書から引用しておくと、

1952年、東京都生まれ。霊長類学者・人類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒。京大大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学、理学博士。ゴリラ研究の世界的権威。

 単位取得退学ってなに?って思ったので、調べてみた。

単位取得満期退学(たんいしゅとくまんきたいがく)とは、日本の人文・社会科学系の大学院博士課程において、課程博士号をほとんど付与しない慣行が戦後長らくあったことを前提に、課程博士号に準じるものとして、一般的に使われている学歴的表記である。 「○○大学大学院○○研究科博士課程単位取得満期退学」などと表記する。

(ウイキペディアより引用)

 

 

この著者さんは、ゴリラとの対話、フィールドワークを通して学んだ非言語を重要視していて、現代のSNSやテクノロジーへの警鐘を鳴らしている人でもあります。

 

テクノロジーは進化しても人間の脳は進化しない

ここ10年間で大きくテクノロジーは進化しました。

スマホが現れ、さらに通信規格も3G、4G、5Gとどんどん進化しています。

ちなみに、5Gは超絶危険なので、ちゃんと調べてみるのをおすすめする。

これほどまでにテクノロジーは進化してきましたが、人間の脳は進化していません。

いくらSNSでつながる人が多くなっても、安定的に信頼関係を保てるのは、150人が限度だと言われています。

その150人の中でも、本当の意味で信頼関係を築けるのは10人程度しかいません。

これは、人間がいくらテクノロジーを開発しても変わることがほぼありえない数字。

人間の脳の大きさは、いつの時代もほとんど変わりません。それどころか最近では脳が小さくなっているほどです。(退化)

その意味で、人間の根本は昔から変わっていないと言えるでしょう。

孔子老子の教えが今でも素晴らしい教えとして残っているのもうなずけます。

 

 

 

信頼は同調からしか生まれない

本書から引用させてもらうと、

人間はこれまで、同じ時間を共有し、「同調する」ことによって信頼関係をつくり、それをもとに社会を機能させてきました。「同調する」というのは、たとえば、ダンスを踊ったり歌を歌ったり、スポーツをしたり、あるいは一緒に掃除をしたり、同じように身体を動かしたり調子を合わせながら共同作業をするということです。

この部分には、かなり納得する。

僕の経験上では、仲良くなった友達の多くは、中学校や高校、大学で多くの同じ時間を共有した人たちです。(当たり前かもしれませんが)

多くの時間をともにして、身体感覚をともなった活動を「一緒に」「協力して」行うからこそ、仲良くもなれるし、信頼関係も築かれていく。

剣道をやっていると、やはり仲間との信頼関係をしっかり築くことができますし、稽古では、文字通り「体当たり」でぶつかったりするからこそ、仲良くなりやすいのかなと思います。

 若い世代は適応能力が高いから、スマホに逃げる

「身体の感覚を伴った体験なら、イベントがあるやん。」と思うかもしれません。しかし、イベントごとなどは一過性です。つまり、一回きりで終わってしまうため、多くの時間を共有したことにはならないということです。

イベントごとなどは、テンションが上がるかもしれませんし、いっとき楽しいかもしれません。しかし、イベントのあとは、疲れが溜まったり、上がった分だけ下がるのが普通です。

僕個人の意見としては、ライブなどのイベントはあまり好きではないです。

上がり下がりがあると、感情がぶれますし、面倒に思ってしまうんですよね。

それから、そのテンションが下がった時間を補完する役割が、SNSであると、この本の著者は言っています。

しかもインターネット上のつながりというのは、「ぶっち」したければいくらでもできますし、都合が悪くなったら、すぐに断つことが可能です。

いつまでも自分の都合のいい空間が広がっているから、スマホに依存してしまう。

現実を生きていたら、そら嫌なことだっていくらでもあるし、まどろっこしくて、めんどくさいことのほうが多い。

しかし、現実を生きているのが人間なわけで、そういつまでもスマホに依存していても成長がありません。

僕よりも下の世代は、特に注意が必要で、スマホが当たり前の社会に生まれてくるのは、よくよく考えると恐ろしい。

若い世代は、適応能力が高いため、すぐにスマホに適応してしまいます。

大人は、ある程度人格も出来上がっているし、精神年齢も高いはずなのでなんとかなりますが、子供は、子供です。

要は、すぐにスマホの世界に慣れてしまって、抜け出せなくなる。

これは、マズイ。

スマホの中でのつながりは、自分にとって都合がいいかもしれませんが、本当の意味で、信頼関係を築くためには、やはり身体感覚が必要不可欠。

体感として、人とつながっている方が断然めんどくさいけど、断然心地良いはず。

多くの大人もそれはわかっているのだけれど、人間関係を築くのは怖さも伴いますから、スマホに逃げてしまう。子供ならなおさらです。

最後に

まだまだ語り足りないので、この本をテーマにもう一つ記事を書こうと思います。

大体いつもは、一冊で一記事なんですが、今回のテーマは非常に重要なテーマなので、次回も書いていこうと思います。

超面白いので、ぜひ読んでみてください。

新書は読みにくいという先入観があるかもしれませんが、そんなことないので、ぜひ手にとって見てほしい。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

【書籍紹介】カツセマサヒコのデビュー作「明け方の若者たち」

こんにちは。

今回は、珍しく、小説の紹介です。

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

カツセマサヒコさんについて引用しておくと、

1986年東京生まれ。大学を卒業後、2009年より一般企業にて勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに編集プロダクションに転職し、2017年4月に独立。ウェブライター、編集として活動中。本書がデビュー作となる。

カツセマサヒコさんについて、この本を買うまで知りませんでしたが、結構有名みたい。

なんか、趣味をきっかけに本が書けるようになるのがうらやましい。

なるべく、ネタバレせずに感想を書いていこうと思います。

本の良さの一端が少しでも伝われば幸い。

マジックアワーを彩るスマホ

この本のテーマは、マジックアワーとスマホだと思いました。

マジックアワーというのは、「魔法のかかった時間」ということで、この本では社会人一年目二年目のことを言っています。

なぜ、社会人一年目二年目がマジックアワーなのか

は、この本を読んでみてほしい。

それと、スマホがかなり重要な立ち位置にいると感じた。

恋愛において、スマホの影響力がはかりしれないほど大きいものであるということに気づかされました。

すべての起点が、スマホ、携帯電話。

スマホがあるからこその悩みであったり、スマホがあるからこその喜びみたいなものをリアルに描いているなと思いました。

 

2007年に初代iPhoneが登場して以来、現在2020年では、本当に信じられないくらい当たり前にスマホを使っていますよね。

スマホが自分たちの生活でどれくらいの影響力を持っているのか、ということもこの本の見所の一つなので、ぜひ読んでみてください。

 

減点方式の世の中と加点方式の生き方

この本の中で一番好きな表現が、

加点方式の人生とは、そういうことだ。ゼロからスタートして、十点でも二十点でもいいからプラスを積み重ねていく。誰かの助けになったり、元気づけたりする。その結果、誰かから、それも、多くの人から、もしくは、自分にとって特別な存在から、認められたり、褒められたりする。そんな経験をしたいだけだったんだ。

という表現です。切り取ると、すごくなさそうですが、全体を読んでみたらすごい感動した。

世の中では、やはり、ロボット的に、なんでも完璧にできなければならない。

失敗は悪で、結果を出し続けなければならない。

という考え方が主流だと思います。

僕も、完璧になんでもこなさなくては誰にも認めてもらえない。だれにも評価されないということに対して、とても窮屈に感じたり、疑問を感じたりしていました。

なので、「俺の言いたいこと、めっちゃうまく言ってくれてる!」という感じで感動しました。

 

だからこそ、加点方式の生き方をしたいなと強く思います。

この物語を読み進める中で、この表現に出会うと、霧が打ち払われるような救われたような気持ちになります。

それも面白いところだと思うので、読んでみてほしい。

 

 

最後に

もともと、この本は恋愛小説です。メインは恋愛ですから安心してください。読みやすいです。

しかし、若者の悩みや苦労を非常に巧く表現されているので、ただの恋愛小説というより、哲学を大いに含んだ恋愛小説という感じです。

めちゃくちゃオススメの本なので、ぜひ読んでみてほしい。

 

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

 

 

 では。

 

 

 

 

 

 

本当の自立ってなんだと思いますか?

こんにちは。

今回は、自立というテーマで書いていこうと思います。

フリーランスの本当の「自立」とは? | フリーランスデザイナーの習慣日記

自立。

よく、「自立しなさい。」とか「自立していないニートは嫌だ」とか言いますが、本当のところの自立とは何だと思いますか?

ここからは、一般論と僕の体験を言うだけで、それが正しいとは限りませんが、一つ考えてみると良いと思いますので、参考程度に。

二種類の自立

自立には大きく分けて、二つある。

一つが精神的自立

もう一つが、経済的自立

精神的自立は、精神的に自立する。つまり、親がいなくても自分で物事を決めたり、判断したりできるということ。

経済的自立は、経済的に自立する。つまり、自分で生活費を稼いだり、自分で働いたりできるということ。

世間の「自立しなさい」は多くの場合、経済的自立を指している。

 

しかし、本当の意味で自立するならば、経済的自立よりも精神的自立をするのが大切。

 

精神的自立できていない大人は、「見た目は大人、中身は子供」っていうコナンの逆パターンになってしまうから。

これって、滑稽なんです。

いつまでも親の言うとおりにしか行動していないおっさんは、悲惨です。

自分の人生を歩んでいないから。

自分の人生に責任を持て。自分の人生を生きろ。ってよく自己啓発で言われますが、これも自立を促すためだと言えるでしょう。

本当に自立するのならば、精神的に自立すべき。

よく言う話ではありますが、子供は、良い子ちゃんを演じています。

自分もそうでしたし、多くの人はそうするほかなかったと思います。

しかし、10代後半から20代前半では、もう大人として、自我が形成されています。

自分の好きなこととか、興味のあること。いろいろ自分のアイデンティティが生まれていく。

だからこそ、この時期というのは、精神的自立をする絶好のチャンス。

経済的な自立は、ある程度バイトや就職をして普通に暮らせるだけのお金を稼ぐことは多くの人にできるわけなので、あんまり心配はいらない。

ここまでは、一般論。

ここからは、僕の体験から考える精神的自立。

 

精神的自立の痛み

僕は浪人のときに、「親の言いなりになってたまるか」「親の意見には一切影響を受けずにこの一年は過ごす」と決めて生活していました。

ぶっちゃけ、良かったか悪かったかで言えば、どっちでもない。

良かったとも言えるし、悪かったとも言える。

でも、自分にとって、「親の影響から外にでる」ことの大切さがわかった点で、非常に意味があったとは思っています。

親の干渉度合いが強ければ強いほど、精神的に自立するタイミングでは、バチバチにぶつかると思います。(多分、まちがいない)

親も、今まで育ててきた子供が自分の影響の外に行ってしまう怖さがあると思いますし、子供も育ててもらった恩義や感謝がある分、自立するにはお互いに痛みが伴います。

しかし、通過儀礼には、痛みが伴うもの。

それを超えるからこそ、本当に精神的に自立することができるのだと思っています。

精神的自立には、痛みがある。というのが僕の考えです。

 

真の自立とは?

そして、いろいろ話を聞いたり読んだりする中で、

真の自立とは、人を頼れるようになることだ。」という話がありました。

本当に自立したと言えるのは、人に頭を下げて、人に頼めるようになることであると。

一般的には、自立というと、「なんでも自分でこなせるようにならなければならない。」みたいに思いがちです。

しかし、本当の自立はそうではない。

なんでも自分でやるのではなく、自分が苦手とする分野や、人の方が得意な分野は人に任せて、自分が得意なこと、人に任せてもらったことを一生懸命やるという姿勢こそが、真の自立であると。

たしかに、なんでも自分でやろうとするのは、少し傲慢すぎるし、逆に独りよがりになってしまいますが、人を頼れるようになると、楽になります。

なんでも他人任せにするのも違うし、なんでも自分だけで何とかしようとするのも違う。

なんか、ハイキュー!!の影山みたい。ハイキュー!! 25 今、進化の時――――!! - とあるオタクの秘密基地 ...

↑このシーンは、影山がツムの「おりこうさん」っていう言葉に悩んでたところから脱却したところ。

もともと影山は、自分でなんでもやろうとしてしまうタイプで、人を頼れなかった。でもぶつかり合いを通して、自分ではできないことを人に委ねることができるようになった。(意見を言い合うことで、独りよがりにならず、自立した?)

最後に

どうでしょうか。

自立って、難しい。

自立には、わかりやすい指標なんて存在しませんから、自分で判断していくしかない。

「自律」の方が良いのかもしれませんね。

「自分で自分を律しろ。」と、中学の部活の顧問の先生によく言われました。「律」はピアノの「調律」などにも用いられるように、「正しい状態に戻していく」という意味がある。

そういう意味で考えれば、自分を自分で調律するかのごとく、反省と改善を繰り返していくというのも、自律の一つなのかもしれません。

いろいろと考えてみると良いのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。