ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

これから3ヶ月間は、実験三昧でございます

これから3ヶ月、実験三昧になる。

とある研究所に宿泊して、

ずーーーーーっと実験である。

 

土日はもちろん休みだが。

 

大学に入って以来、最大の多忙である。

 

僕の予想では、土日はひたすら寝ることになる。

とくに土曜は、ひたすら寝たい。

 

今までずっと楽をしてきたつけを払うがごとく、

これからはずっと忙しくなる。

 

ブログはちょいちょい更新する予定でいるが、

書評はあんまりしなくなるかもしれない。

 

ある程度の本は常に持ち運んでいるが、

多くが名著のたぐいのため、

なかなか書評しにくい。

 

名著のたぐいは、

深い!良い!素晴らしい!

で終わってしまいがちなのである。

 

だって、それ以外に感想などないのだもの。

 

名著のたぐいは、人生経験を積まないと、ちゃんと書評することは難しい。

 

名著のたぐいは、抽象度が高いからである。

普遍的であるからである。

 

抽象度が高い、そして普遍的であるということは、

身をもって演繹しなければ意味がないということだ。

 

これから何十年もかけて演繹しつくし、

かつ新たに帰納して、

自分なりの普遍性を駆使しないと面白くない。

 

話がそれた。

 

要は名著は持ってきているが、時事に即した本は持ち合わせていないので、書評することは無理だと言っている。

 

これからは、こういう意味のないような文章が中心になる。

 

実験をしながら、何か思ったことがあれば、面白いことにもなるかもしれない。

 

とりあえず、ちょっと忙しくなるよ。

というお話でした。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

では!

 

 

僕が院試に合格するまでにやったことについての記録 失敗と成功についての記録

今回は、タイトルの通り、

僕が院試に受かるまでにやったことについて書いておく。

今後院試を受ける健全な青少年、もしくは淑女の方々に参考にしていただきたい。

 

過去問の入手

まず行ったのは、図書館へ行くことである。

図書館に行って、過去問を入手すること、

これがまず行ったことであった。

 

我が学部においては、

過去3年分の過去問を入手することができたため、

図書館で借り、

ひたすらそれをコピーすることがまずは行うべきことであった。

 

なにはともあれ、過去問があればなんとかなるだろう。

という安易な考えは、8割正しい。

残りの2割についてはおいおい明らかになっていくため、

お楽しみに笑

ざっくりとした計画

過去問を眺めながら、

どんな問題が出るのか、

どれくらい難しいのか、

それを肌で(目で)感じることが次に行ったことである。

 

大学4回生なんて皆、

過去問を最初から解く気力、もしくは体力を3年間を通して喪失しているため、

最初からそんな苦行を行うべきではない。

ガス欠すること必至である。

 

そのため、まずは眺める。

そこから始めた。

眺めてから、ある程度の計画を頭に妄想する。

できれば紙に書き出すのが良いだろう。

とりあえず、どの時期にどれくらいの勉強量が必要になるかの概算をここで立てた。

その概算が当たるか否かはあなた次第。

僕は大いに外れたが、それは気にしないことにする。

教科書の入手

次に、教科書の入手である。

入手していた教科書は問題ない。

入手していなかった教科書は、このときに入手しておくべきだ。

 

間違っても、人と共有などしないように。

ケンカをして仲が悪くなる。

図書館で借りても良いが、

僕のような「教科書に直接書き込みたいタイプ」は中古で買った方が良い。

教科書の通読

教科書を入手したら通読せよ。ただそれだけだ。

教科書の問題を解く&暗記

教科書を通読したら、問題を解き、

できる問題とできない問題を仕分け。

 

できない問題も多数あるとおもうが、

あまり気にしないこと。

 

院試といっても、そこまで難易度は高くない。

例題レベルで十分な場合が多い。

演習問題はレベルが高すぎて歯が立たないだろうが、

大学受験とはものが違うため、

気にしてはならない。

 

もう一度言う。

気にしてはならない!

 

完璧主義には絶対になってはいけない。

全く意味不明の問題もあるだろうが、

そんな問題は受かるためには必要ない。

これだけは肝に銘じておくこと。

それらの反復、過去問の反復

それからは、できない問題を中心に反復である。

あくまでも理解できる範疇のものに限る。

全く理解の及ばない問題は反復の対象外。

とりあえず、解説も載っていて、

なんとなく理解できるものだけに絞って反復しておくと良い。

出そうな範囲を予測する

上記のことを大体8月1日までにやっておくと良い。

というか、ぼくはそうした。

8月1日からは、出そうな範囲を予測して、

それに絞って反復した。

これには異論がある人もいるだろうし、

ない人もいるだろうが、

 

出そうな範囲は予測しても大して役に立たない。

 

ということだけは言っておく。

だが、やらないわけにもいかなくなってくるのが8月1日だ。

だから、やりたいなら出そうな範囲を予測せよ。

しかし、それに意味があるかないかはあなたの運次第である。

でなさそうな範囲が出題されて焦る当日

僕には運がなかった。

だから全く予測の範囲外の問題が出題されてしまった。

だから8月1日からの勉強については、

ほぼ水の泡と化した。

 

反省としては、

もっとちゃんと教科書をまんべんなくやっておくべきだったということだ。

 

過去問に出ていると言っても、

それがあなたの年に当てはまるかは、

別問題だということを肝に銘じておいてほしい。

でなさそうな範囲が出題されたが、もがいた。

まあ、出なさそうな範囲が出題されて、

ものすごく焦った。

1問目から全くの

 

ん?なにこれ?

 

だったのである。

焦らない方がおかしい。

 

あー。なるほどね。

1問目だけ難しい奴ね。

冷静に他の問題を解けば良いんでしょ?笑

驚かせるなって笑

 

と希望に胸をきらめかせながら、

次のページを読んでみる。

 

しかし。

 

ん?なにこれ?

過去問では見たことないけど。

解く問題、間違ったかな?

 

なのである。

 

それが開始10~20分であった。

 

開始20分にて、

僕は

 

ヤバい!!!!!

これは、マジでヤバいぞ。

なんとかしないと。

 

となり、

 

それから死に物狂いで頭をフル回転させ、

なんとかして解答を作り上げた。

 

どうしてもできない問題もあったため、

当初解くはずではなかった、

量子力学まで解き始めたのだった。

 

春休みに暇すぎて、

12歳の少年が書いた量子力学の教科書

 

 

という本を読んでいたためである。

 

もしかしたら、

春休みのあれが役に立つかも知れない!

わらにもすがる思いで、解き始めたが、

無理だった。

なんか積分がうまくいかないのである。

 

あ。

 

これ。

 

詰んだやつじゃん。。。

 

となり、試験終了であった。

 

 

それから研究室の仲間との地獄の答え合わせである。

もともとできなかったのにも関わらず、

さらに間違えた問題を発見してしまい(させられてしまい)、

心中穏やかではなかった。

 

もう落ちたな。と悟っていたため、

その日にこんな記事も書いたのだった。

 

zakiology.com

 

次の日は面接であるというのに、

なんともお気楽な記事である。

頭がおかしくなっていたのだろう笑

 

そして面接もあっけなく終わり、

その日もこんな記事を書いた笑

 

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タイトルからにじみ出る、やけくそ感。

 

当時の感情がかなりこもっていると思うので、

絶望してるアホな奴を見て笑いたい人は是非とも読んでいただきたい。

今の僕が読んでもかなり笑える笑

 

結果、受かってた

結果は、受かっていた。

 

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本当に

知らないけど、受かっていた。

 

え?

受かったの?あれで?

 

というのが本心であった。

受かるわけない。

と思っていたため、

意味がわからなかった。

 

しかしながら、

一つ言っておくのは、

どれだけヤバくても、あがけ!

ということだ。

 

あがけるだけあがいておけば、

僕のようになんとかなるかもしれない。

 

しかし、あがかなければ、落ちるだけだ。

 

絶望している暇があったら、試験中はあがけ。

僕から言えるのはこれだけである。

 

参考になったかはわからないが、

こういう院試の失敗例(成功例)もあるということを知っておくのは別に損ではないはずだ。

ぜひ、まわりの人にも教えてあげてほしい。

 

これだけは知っておきたい! 気まぐれ古事記③ うけひから岩戸がくれまで

気まぐれ古事記シリーズを気まぐれに更新したいと思ったので、

久しぶりに書いてみます笑

前回までの記事は以下。

zakiology.com

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黄泉がえりの神話までやったので、

今回は、アマテラスとスサノオというテーマで書いていこうと思います。

 

前回書いたように、

アマテラスとスサノオ、そしてツクヨミは、

イザナギが黄泉から帰ってきて、

禊ぎをした際に生まれた神様です。

 

この三柱の神々を総称して、三貴子と呼びます。

 

アマテラスは、高天原を。

スサノオは、大海原を。

ツクヨミは、夜の国を、

それぞれ知らす(統治する)ようにイザナギに命じられます。

 

しかし、スサノオは母(イザナミ)に会いたい!と泣きわめいてしまいます。

すると、海が荒れ、山がかれてしまい、

イザナギに怒られてしまうのです。

 

スサノオは、猛々しい神様であるため、

スサノオが荒れると、それに応じて世界も荒れてしまうのです。

 

怒ったイザナギは、スサノオを高天原から追放してしまうのでした。

 

追放されてしまったスサノオは、

イザナミに会いに行く前に、姉であるアマテラスに会いに行きます。

 

スサノオはイザナギに追放されてしまったために、

心が荒くなっていて、アマテラスに会いに行く道中でも、

周りの山川草木を荒らしてしまいます。

 

その様子を見ていたアマテラスは、

スサノオが会いに来るなんて、何か悪い思惑があるのではないか。

と疑ってしまいます。

そして、アマテラスは完全に武装して、

弟であるスサノオを出迎えるのです。

 

完全に臨戦態勢で出迎えられたスサノオは、

驚きます。

 

そして、自分には邪心などない!ただご挨拶に伺っただけなのだ!

と主張しますが、

アマテラスはそれを受け取りません。

 

そこで、スサノオは、身の潔白を証明するために、

誓約(うけひ)を提案します。

 

うけひは、占いの一種だと考えてください。

 

アマテラスとスサノオは、

アマテラスがスサノオの剣を、

スサノオがアマテラスの勾玉を、

それぞれ交換して、神を生み出します。

 

そして、生み出された神々が、

スサノオから生まれたのが女神で、

アマテラスから生まれたのが男神でした。

 

スサノオは、自分の心が潔白だからこそ、女神が生まれたのだ!

うけひは、自分の勝ちだ!と

勝ち誇ってしまいます。

 

ちなみに言うと、うけひをする前に、

どちらがどうなったら勝ちなのかということを決めていないため、

なぜそう主張するのかは謎です。

 

勝ち誇ってしまったスサノオは、

田畑を荒らし、糞をまきちらし、高天原を大暴れしてしまうのです。

 

寛容なアマテラスは、それを許してくれるのです。

 

しかしながら!

それでも態度を改めないスサノオは、

機織女(はたおりめ)を勢い余って殺してしまうのです。

 

これにはアマテラスも激怒。

激怒してしまったアマテラスは、

天之岩戸(あめのいわと)にお隠れになってしまうのです。

 

アマテラスは太陽神であるため、

高天原は暗く冷たくなり、

葦原中国(あしはらのなかつくに)も暗くなり、

災いが起きるようになってしまったのでした。

 

ここまでが、アマテラスとスサノオのうけひ神話となっています。

 

次回は、天之岩戸隠れから、岩戸開きを紹介していきますので、

お楽しみに!

 

参考文献

 

現代語古事記

現代語古事記

Amazon

 

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

では!

志ありきで本を読め!

最近は、言志四録にハマっている。

 

言志四録』(げんししろく)は、佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録。指導者のためのバイブルと呼ばれ、現代まで長く読み継がれている。

言志四録 - Wikipedia

その一節に、

志ありきで本を読め!

という内容の一節がある。

 

志があれば、どんな日常の些細な家事や行動においても、それには学問がある!と。

しかし、志がない状態でいくら本を読んだところで、何も身につかない。

というような内容が書いてある。

 

自己啓発本は意味がないとか、

読んでも実践しないから意味がないとか、

そういうのは読者の問題であって、

著者の問題ではないのである。

 

読者に志がないから、すべてが無意味なのだ。

そもそも、日本人には志がない。

だから、勉強しても何も身につかない。

身につく物がないから、安易な自己啓発本を読んでみたりする。

しかし、読んでも読んでも何も身につかない。

するとさらに焦ってくる。

そういう負のスパイラルがそこにはあるのだ。

 

根本的に変えるには、

日本人が志を持つほかない。

 

志というのは、

生きる目的を定めるということでもある。

何のために生きるのか。

それが大切なのだ。

 

志に生き、志半ばで死んだ人物といえば、

吉田松陰である。

吉田松陰のような大志があれば、

どんな本でも学ぶことができるだろうし、

どんな内容の本からも何かしらの学びを受け、

実生活に役立てたに違いない。

 

志をさらに言い換えれば、

熱く生きるということだ。

自分の人生に正面から向かっていくということだ。

その熱量さえあれば、

どんなことも学びに変換していける。

 

根本的には上記の通りだが、

志はそんなに簡単に身につくものではない。

だから、少しだけ自己啓発本の選び方を紹介しておく。

 

それは、自分と似た経歴を持つ著者を選ぶ。

ということだ。

例えば、僕なら神戸大学にいるわけだから、

そこそこ高学歴で成功している人物の本になる。

けれど、東大出身者では少し肌に合わない傾向があるかもしれない。

 

あとは、自分の育った背景を考えることだ。

僕ならば、かなり頑張って勉強した結果の得た学歴なため、

生粋のエリートというよりは、

ある程度失敗してきて、そこから学びを得て、成功している人の方が肌に合う。

むしろ学歴がない人の本の方が学びが多いこともある。

 

そのようにして、

自分の背景と合致した著者を選ぶことだ。

 

そして、内容はある程度普遍的なことが書いてある本が良い。

具体的なことしか書いていない本は自分に当てはまらない可能性が高いからだ。

著者自身が具体的なことを帰納して抽象化している本は信頼できる。

 

そして、自己啓発本を読むときのルールは、以下の二つのみ。

 

  • 必ず心の琴線に触れた一言は書き残すこと。
  • 必ず本の中から一つは実践してみること。

 

たったこれだけのルールで、かなりの自己啓発本は意味のある本に変わる。

自己啓発本の中に書いてあることを律儀に全部実践する必要なんて1ミクロンもないし、

そんなことは不可能だ。

 

そんなこともわからずに読んでいる人がいるらしく、

僕は驚愕した。

 

ここに書いたようなことは、常識だと思っていたため、

これまで書く必要性もないと思っていたのだが、

どうやらそうでもないらしいことを知ったので、書き残しておいた。

ぜひ参考にしていただきたい!

 

以上!

人よりも体が弱いからこそ、健康に気を配り、生活習慣病にかかりにくい

僕は体が人よりも強くない。

すぐに疲れてしまうし、

体調も崩しやすい。

 

高校生のときは満員電車に乗るだけで体調を崩していた。

それくらい僕の体は強くはない。

 

こんな体で生きていると、

どうしたら自分の体にとって辛くないのか、

どうしたら今よりはマシな体になるのだろうか、

ということを嫌でも考えることになる。

 

だから、僕は誰よりも早く白砂糖を食べなくなったし、

人よりも多くの健康に関する本を読んできた。

西洋医学の欺瞞についてもよく知っているし、

東洋医学的な観点が健康法においては重要であるということもよく知っている。

それに今では自分で健康的になるような食生活を実践している。

 

どれもこれも、僕の体が弱かったからできたことだ。

周りの屈強な男子を見ていると、

食生活は荒れている。

たぶん彼らが食生活を改めるのは20年後などに病気になってからであろう。

 

僕は、今気づいてしまっているから、後々のそういう生活習慣病にはかかりにくい。

 

体が弱いということは、

一見すると良くないことである。

現に僕は体が弱いことにコンプレックスを持ってきたし、

それは今でも残っているような気がする。

 

しかしながら、長期的な目線にたてば、

今は楽しめないことが多くても、

年をとってから楽しめることが多いのかもしれない。

 

体力がないからこそ、

本を読むようになったし、

映画も見るようになったし、

自分が疲れない程度の楽しめる運動量も知っている。

 

年を取って、体力が衰えてきても、

もともと僕はそれと向き合ってきているから、

楽しめるのかもしれない。

 

多くの老人は体力が衰えてくると活力を失ってしまったりするようだ。

しかし、僕のような人間にとっては、体力がないことは普通のことで、

体力がなくても楽しめる方法を体得している。

 

どんなことでもそうだけれど、

何か失ったことがあれば、何かを得ている。

 

僕は若いから、どうしても今楽しみたい気持ちが強いし、

今が楽しめなければ意味はないのかもしれない。

けれど、年を取っていくことに楽しみを見いだせるのは、

意外と悪いことではないのかもしれない。

 

多くの人が楽しめないことを僕は楽しめるかもしれないのだから。

そう考えてみると、これも一つの神様からのプレゼントなのかもしれないな。

と思う。