ZAKIOLOGY

学ぶ楽しさを探求する

4月からは、2nd.ブログでお会いしましょう。

3月末で、当ブログは移転します。

移転先は、

http://zakioza.hatenablog.jp/

です。

 

ということで、もしこれからも読みたいと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、

2nd.ブログの方をチェックしていただけると幸いです。

すでに過去の記事もインポート済みですので、

過去の記事もご覧いただける形になっております。

 

もしかしたら、ブログ名変えるかもしれません笑

 

終わり方の美学

最近、いろいろと別れが多い季節だなとつくづく感じる。

三月だからか、大学4年だからか、

それとも僕の精神的なものなのか、

それはわからないけれど。

 

別れにおいて、終わり方はめちゃくちゃ重要なことだと思う。

剣道でも終いの太刀が最も重要だと言われる。

それくらい終わり方っていうのは人間にとって重要で、

そこにはある種の美学がある。

 

人間、人生を生きていれば、出会いもあれば別れもある。

ある運命の誰かとの出会いで人生は変わる、とよく言われる。

けれど、別れにおいても人生は変わってしまうのではないか。

 

別れのときにお互いにどういう感情で終わるのか、

要は、別れのときにネガティブな感情を抱いたまま終わるのか、

ポジティブな感情で終わるのか、ということ。

後腐れなく別れるのか、鬱屈した感情を抱えたまま別れるのか。

 

でも別れっていうのはなかなかポジティブにはなりにくい。

そういう性質なのかもしれない。

そりゃそうだ。別れるのはさみしいし、辛い。

しんどい。できるなら経験したくない。

でもそういうものであるからこそ、

終わり方にはその人なりの美学が立ち現れるのではないだろうか。

 

終わったときにすがすがしい気持ちになれたら、

その別れに感謝できるのだろうし、

別れに感謝できるのなら、

その人と出会えたことにも感謝できるはず。

 

一期一会とは言うけれど、

一つの時間において出会えたこと、

一緒にいれたことに感謝し、

次のステージに進むことができると、

それは人生にとっての宝物になるのではないだろうか。

 

人生の宝物にするためにも、

僕は別れ方には気をつけたいなと思っている。

お互いに後腐れなく、すがすがしい気持ちで終われるような、

そんな終わり方の美学を体現していけたらなと思う。

ブログを3月末で閉鎖もしくは、移転いたいします

今回の記事はタイトルの通りです。

今まで、4年間、ブログを書いてきたわけですが、

大学の卒論発表も無事に終わり、

区切りがついたので、ブログを何らかの形で残して、閉鎖しようかなと思っています。

ブログの中でも気に入っている記事は、キンドルやpdfにして、販売しようかと思っています。

閉鎖する場合は、そのようなことを考えていて、

もう一つは、移転することを考えています。

今、僕ははてなブログのプロ版で書いているのですが、

ぶっちゃけ、収支がマイナスなため、プロ版でやっている価値がないのです。

そのため、これからは無料版でやるか、

グーグルアドセンスを使えるグーグルのブロガーでやるか、

ノートでやるか、ということを検討中です。

 

僕は割とこのドメインを気に入っているので、

これからも使いたいなとは思っていたのですが、

4年やっても収支はマイナスなので、これからもマイナスのままだろう。と思ったため、無料でできるように変更していこうと思います。

 

というわけで、読者の皆様には大変申し訳無いのですが、

このブログは来月で、一つの区切りとさせていただきます。

 

今まで読んでいただき、ありがとうございました!

ザキオザより

【書評】カズオ・イシグロ 「わたしを離さないで」

やっと、読み終えることができたので、

書評を書いておく。

 

 

一応映画化もされているし、綾瀬はるか主演でドラマ化もされている。

 

でも、この小説は、本で読む方が圧倒的に良いと思う。

なぜなら、描写が細かいからである。

この描写を映像で表現することと、文章で表現することは意味が全く異なる。

この描写はなんとしても文章で読むべきだ。

 

村上春樹氏もカズオ・イシグロを愛読しているらしい。

 

村上春樹氏ほどの作家が愛読する小説ってどんなものなんだろう?

と興味をそそられたので、

海外文学はとてつもなく苦手だが、我慢強く読み進めてみた。

 

序盤は、ネタバレを知らなかったため何を言っているのか本当にわからなかった。

普通に苦痛だったし、読み進めることが難しかった。

でも、苦手なりに、苦痛を感じながらも、読み進めていくと、

ある章を転換点として、一気に面白みを増していった。

 

何を言っているのかわからなかった伏線が徐々に回収され始めたのがその章だった。

 

そもそも、これは何の話なのか?

というところがわからないと、序盤は謎そのものだ。

 

よくわからない単語が飛び交う。

ヘールシャムが特別なところだということに違いはない。

それはわかるが、それ以外が何もわからない。

 

なぜ、ヘールシャムが特別な場所なのか、というところが明らかになってから、

この物語は一気に面白くなる。(ほぼ終盤だけれど)

 

そして、終盤は圧巻だった。

第22章、第23章は、すごく感動した。

 

一通り読み終えてから、第1章を読むと、段違いに面白く感じられるのは、

気のせいではないだろう。

 

読む前と読んだ後で、ここまで解釈が異なる小説は初めてだった。

読む前は、ただキャシーが介護人をやめる、というだけの話なのに、

読んだ後では、介護人をやめるというだけの話ではないということがよく伝わってくる。

 

第1章の切実な感じは最終章まで読んでから、はじめて気づくことができる。

 

文章は静謐という言葉のままな感じで、

静謐で、繊細で、ドストエフスキーの描写力と似たものがあると思った。

ドストエフスキーの描写もとてつもなく細かく、緻密だけれど、

カズオ・イシグロの描写もそれに劣らず細かく、緻密だった。

 

今の若い世代、特にショート動画ばかり見ているような人にはとても退屈な小説に思えてしまうのではないだろうか。

早く結論を求めてしまって、読み通すよりも先にネタバレをついつい見てしまうのではないだろうか。

でもこの小説に限って言えば、ネタバレを見てしまうのはもったいない。

ネタバレを見ないで、実直に読み進める我慢強さを持ってほしいと思う。

たしかに我慢は良くない。でも、耐えた先にある圧倒的な感動もあるのだと思う。

 

名作というのは、ある種の苦しさを伴っているものだ。

ある種の苦しさのない薄い物語が時代を経て残るわけがないからだ。

ある種の苦しさがあるからこそ、時代を経ても味わい尽くせない面白さがあるのだろう。

 

この手の小説は、時代を経ても残っていく部類の小説だ。

名作と言って間違いない。

 

 

我慢という名の現状維持から抜け出すためのサイコパス

今我慢しておけば、いつか報われる。

みたいなことを言う大人がいる。

でも、どう考えても、我慢していればいつか報われる、

というのは嘘なのではないか、と思えてしまう。

 

というのも、最近ハマっている「サイコパスダイアリー」

 

https://i.fod.fujitv.co.jp/pc/image/ep/4s20/wbhjfr_4s20_cxbg_001_wm.jpg

という韓国ドラマでは、

優しい主人公が我慢を重ねて生きていたときに、

殺人現場を目撃してしまう。

そこでサイコパスの殺人鬼の日記帳を拾ってしまう。

その直後に主人公は事故にあい、記憶を失う。

記憶を失った主人公は、その日記が自分のものであると思い込み、

我慢をし続ける人生とは真逆の価値観に触れる。

という物語だ。

 

まだ見ている途中なので、結末は知らないが、

たぶん主人公は、優しさと厳しさを兼ね備えた人物に成長するのではないか、と予想している。

人間というのは、優しさだけではダメだ。

ときに厳しくすることができる強さがないといけない。

 

サイコパスというのは、少し極端かもしれないが、

サイコパスの思考回路を優しすぎる人は取り入れることが必要なのかも知れない。

どこか狂気じみた思考を自分の中に取り入れることによって、

優しすぎる自分を守ることができる。

 

物語の中でも、主人公はサイコパスな演技をうまく取り入れて、

他人になめられるのではなく、逆にびびらせることができるようになる。

相手に侮られるのは優しすぎるが故でもあるが、

相手をつけあがらせるのは良くない。

 

相手をつけあがらせるのではなく、

お互いにある程度の緊張状態を保ち、

敬意と尊厳を保った状態でのコミュニケーションが対等なコミュニケーションだと言える。

 

そういう意味でも、我慢し続けるのではなく、

我慢を強いてくるような人物には毅然とした態度をとり、なめられないようにする強さも人生には必要なのかもしれない。