【書籍紹介】ゴリラから学ぶ現代の歩き方 「スマホを捨てたい子どもたち」

こんにちは。

今回は、京大の総長の山極寿一さんの「スマホを捨てたい子どもたち」という本を紹介していこうと思います。

 

 

スマホを捨てたい子どもたち 野生に学ぶ「未知の時代」の生き方 (ポプラ新書)

著者の山極さんについて、本書から引用しておくと、

1952年、東京都生まれ。霊長類学者・人類学者。京都大学総長。京都大学理学部卒。京大大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学、理学博士。ゴリラ研究の世界的権威。

 単位取得退学ってなに?って思ったので、調べてみた。

単位取得満期退学(たんいしゅとくまんきたいがく)とは、日本の人文・社会科学系の大学院博士課程において、課程博士号をほとんど付与しない慣行が戦後長らくあったことを前提に、課程博士号に準じるものとして、一般的に使われている学歴的表記である。 「○○大学大学院○○研究科博士課程単位取得満期退学」などと表記する。

(ウイキペディアより引用)

 

 

この著者さんは、ゴリラとの対話、フィールドワークを通して学んだ非言語を重要視していて、現代のSNSやテクノロジーへの警鐘を鳴らしている人でもあります。

 

テクノロジーは進化しても人間の脳は進化しない

ここ10年間で大きくテクノロジーは進化しました。

スマホが現れ、さらに通信規格も3G、4G、5Gとどんどん進化しています。

ちなみに、5Gは超絶危険なので、ちゃんと調べてみるのをおすすめする。

これほどまでにテクノロジーは進化してきましたが、人間の脳は進化していません。

いくらSNSでつながる人が多くなっても、安定的に信頼関係を保てるのは、150人が限度だと言われています。

その150人の中でも、本当の意味で信頼関係を築けるのは10人程度しかいません。

これは、人間がいくらテクノロジーを開発しても変わることがほぼありえない数字。

人間の脳の大きさは、いつの時代もほとんど変わりません。それどころか最近では脳が小さくなっているほどです。(退化)

その意味で、人間の根本は昔から変わっていないと言えるでしょう。

孔子老子の教えが今でも素晴らしい教えとして残っているのもうなずけます。

 

 

 

信頼は同調からしか生まれない

本書から引用させてもらうと、

人間はこれまで、同じ時間を共有し、「同調する」ことによって信頼関係をつくり、それをもとに社会を機能させてきました。「同調する」というのは、たとえば、ダンスを踊ったり歌を歌ったり、スポーツをしたり、あるいは一緒に掃除をしたり、同じように身体を動かしたり調子を合わせながら共同作業をするということです。

この部分には、かなり納得する。

僕の経験上では、仲良くなった友達の多くは、中学校や高校、大学で多くの同じ時間を共有した人たちです。(当たり前かもしれませんが)

多くの時間をともにして、身体感覚をともなった活動を「一緒に」「協力して」行うからこそ、仲良くもなれるし、信頼関係も築かれていく。

剣道をやっていると、やはり仲間との信頼関係をしっかり築くことができますし、稽古では、文字通り「体当たり」でぶつかったりするからこそ、仲良くなりやすいのかなと思います。

 若い世代は適応能力が高いから、スマホに逃げる

「身体の感覚を伴った体験なら、イベントがあるやん。」と思うかもしれません。しかし、イベントごとなどは一過性です。つまり、一回きりで終わってしまうため、多くの時間を共有したことにはならないということです。

イベントごとなどは、テンションが上がるかもしれませんし、いっとき楽しいかもしれません。しかし、イベントのあとは、疲れが溜まったり、上がった分だけ下がるのが普通です。

僕個人の意見としては、ライブなどのイベントはあまり好きではないです。

上がり下がりがあると、感情がぶれますし、面倒に思ってしまうんですよね。

それから、そのテンションが下がった時間を補完する役割が、SNSであると、この本の著者は言っています。

しかもインターネット上のつながりというのは、「ぶっち」したければいくらでもできますし、都合が悪くなったら、すぐに断つことが可能です。

いつまでも自分の都合のいい空間が広がっているから、スマホに依存してしまう。

現実を生きていたら、そら嫌なことだっていくらでもあるし、まどろっこしくて、めんどくさいことのほうが多い。

しかし、現実を生きているのが人間なわけで、そういつまでもスマホに依存していても成長がありません。

僕よりも下の世代は、特に注意が必要で、スマホが当たり前の社会に生まれてくるのは、よくよく考えると恐ろしい。

若い世代は、適応能力が高いため、すぐにスマホに適応してしまいます。

大人は、ある程度人格も出来上がっているし、精神年齢も高いはずなのでなんとかなりますが、子供は、子供です。

要は、すぐにスマホの世界に慣れてしまって、抜け出せなくなる。

これは、マズイ。

スマホの中でのつながりは、自分にとって都合がいいかもしれませんが、本当の意味で、信頼関係を築くためには、やはり身体感覚が必要不可欠。

体感として、人とつながっている方が断然めんどくさいけど、断然心地良いはず。

多くの大人もそれはわかっているのだけれど、人間関係を築くのは怖さも伴いますから、スマホに逃げてしまう。子供ならなおさらです。

最後に

まだまだ語り足りないので、この本をテーマにもう一つ記事を書こうと思います。

大体いつもは、一冊で一記事なんですが、今回のテーマは非常に重要なテーマなので、次回も書いていこうと思います。

超面白いので、ぜひ読んでみてください。

新書は読みにくいという先入観があるかもしれませんが、そんなことないので、ぜひ手にとって見てほしい。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

【書籍紹介】カツセマサヒコのデビュー作「明け方の若者たち」

こんにちは。

今回は、珍しく、小説の紹介です。

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

カツセマサヒコさんについて引用しておくと、

1986年東京生まれ。大学を卒業後、2009年より一般企業にて勤務。趣味で書いていたブログをきっかけに編集プロダクションに転職し、2017年4月に独立。ウェブライター、編集として活動中。本書がデビュー作となる。

カツセマサヒコさんについて、この本を買うまで知りませんでしたが、結構有名みたい。

なんか、趣味をきっかけに本が書けるようになるのがうらやましい。

なるべく、ネタバレせずに感想を書いていこうと思います。

本の良さの一端が少しでも伝われば幸い。

マジックアワーを彩るスマホ

この本のテーマは、マジックアワーとスマホだと思いました。

マジックアワーというのは、「魔法のかかった時間」ということで、この本では社会人一年目二年目のことを言っています。

なぜ、社会人一年目二年目がマジックアワーなのか

は、この本を読んでみてほしい。

それと、スマホがかなり重要な立ち位置にいると感じた。

恋愛において、スマホの影響力がはかりしれないほど大きいものであるということに気づかされました。

すべての起点が、スマホ、携帯電話。

スマホがあるからこその悩みであったり、スマホがあるからこその喜びみたいなものをリアルに描いているなと思いました。

 

2007年に初代iPhoneが登場して以来、現在2020年では、本当に信じられないくらい当たり前にスマホを使っていますよね。

スマホが自分たちの生活でどれくらいの影響力を持っているのか、ということもこの本の見所の一つなので、ぜひ読んでみてください。

 

減点方式の世の中と加点方式の生き方

この本の中で一番好きな表現が、

加点方式の人生とは、そういうことだ。ゼロからスタートして、十点でも二十点でもいいからプラスを積み重ねていく。誰かの助けになったり、元気づけたりする。その結果、誰かから、それも、多くの人から、もしくは、自分にとって特別な存在から、認められたり、褒められたりする。そんな経験をしたいだけだったんだ。

という表現です。切り取ると、すごくなさそうですが、全体を読んでみたらすごい感動した。

世の中では、やはり、ロボット的に、なんでも完璧にできなければならない。

失敗は悪で、結果を出し続けなければならない。

という考え方が主流だと思います。

僕も、完璧になんでもこなさなくては誰にも認めてもらえない。だれにも評価されないということに対して、とても窮屈に感じたり、疑問を感じたりしていました。

なので、「俺の言いたいこと、めっちゃうまく言ってくれてる!」という感じで感動しました。

 

だからこそ、加点方式の生き方をしたいなと強く思います。

この物語を読み進める中で、この表現に出会うと、霧が打ち払われるような救われたような気持ちになります。

それも面白いところだと思うので、読んでみてほしい。

 

 

最後に

もともと、この本は恋愛小説です。メインは恋愛ですから安心してください。読みやすいです。

しかし、若者の悩みや苦労を非常に巧く表現されているので、ただの恋愛小説というより、哲学を大いに含んだ恋愛小説という感じです。

めちゃくちゃオススメの本なので、ぜひ読んでみてほしい。

 

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

明け方の若者たち (幻冬舎単行本)

 

 

 では。

 

 

 

 

 

 

本当の自立ってなんだと思いますか?

こんにちは。

今回は、自立というテーマで書いていこうと思います。

フリーランスの本当の「自立」とは? | フリーランスデザイナーの習慣日記

自立。

よく、「自立しなさい。」とか「自立していないニートは嫌だ」とか言いますが、本当のところの自立とは何だと思いますか?

ここからは、一般論と僕の体験を言うだけで、それが正しいとは限りませんが、一つ考えてみると良いと思いますので、参考程度に。

二種類の自立

自立には大きく分けて、二つある。

一つが精神的自立

もう一つが、経済的自立

精神的自立は、精神的に自立する。つまり、親がいなくても自分で物事を決めたり、判断したりできるということ。

経済的自立は、経済的に自立する。つまり、自分で生活費を稼いだり、自分で働いたりできるということ。

世間の「自立しなさい」は多くの場合、経済的自立を指している。

 

しかし、本当の意味で自立するならば、経済的自立よりも精神的自立をするのが大切。

 

精神的自立できていない大人は、「見た目は大人、中身は子供」っていうコナンの逆パターンになってしまうから。

これって、滑稽なんです。

いつまでも親の言うとおりにしか行動していないおっさんは、悲惨です。

自分の人生を歩んでいないから。

自分の人生に責任を持て。自分の人生を生きろ。ってよく自己啓発で言われますが、これも自立を促すためだと言えるでしょう。

本当に自立するのならば、精神的に自立すべき。

よく言う話ではありますが、子供は、良い子ちゃんを演じています。

自分もそうでしたし、多くの人はそうするほかなかったと思います。

しかし、10代後半から20代前半では、もう大人として、自我が形成されています。

自分の好きなこととか、興味のあること。いろいろ自分のアイデンティティが生まれていく。

だからこそ、この時期というのは、精神的自立をする絶好のチャンス。

経済的な自立は、ある程度バイトや就職をして普通に暮らせるだけのお金を稼ぐことは多くの人にできるわけなので、あんまり心配はいらない。

ここまでは、一般論。

ここからは、僕の体験から考える精神的自立。

 

精神的自立の痛み

僕は浪人のときに、「親の言いなりになってたまるか」「親の意見には一切影響を受けずにこの一年は過ごす」と決めて生活していました。

ぶっちゃけ、良かったか悪かったかで言えば、どっちでもない。

良かったとも言えるし、悪かったとも言える。

でも、自分にとって、「親の影響から外にでる」ことの大切さがわかった点で、非常に意味があったとは思っています。

親の干渉度合いが強ければ強いほど、精神的に自立するタイミングでは、バチバチにぶつかると思います。(多分、まちがいない)

親も、今まで育ててきた子供が自分の影響の外に行ってしまう怖さがあると思いますし、子供も育ててもらった恩義や感謝がある分、自立するにはお互いに痛みが伴います。

しかし、通過儀礼には、痛みが伴うもの。

それを超えるからこそ、本当に精神的に自立することができるのだと思っています。

精神的自立には、痛みがある。というのが僕の考えです。

 

真の自立とは?

そして、いろいろ話を聞いたり読んだりする中で、

真の自立とは、人を頼れるようになることだ。」という話がありました。

本当に自立したと言えるのは、人に頭を下げて、人に頼めるようになることであると。

一般的には、自立というと、「なんでも自分でこなせるようにならなければならない。」みたいに思いがちです。

しかし、本当の自立はそうではない。

なんでも自分でやるのではなく、自分が苦手とする分野や、人の方が得意な分野は人に任せて、自分が得意なこと、人に任せてもらったことを一生懸命やるという姿勢こそが、真の自立であると。

たしかに、なんでも自分でやろうとするのは、少し傲慢すぎるし、逆に独りよがりになってしまいますが、人を頼れるようになると、楽になります。

なんでも他人任せにするのも違うし、なんでも自分だけで何とかしようとするのも違う。

なんか、ハイキュー!!の影山みたい。ハイキュー!! 25 今、進化の時――――!! - とあるオタクの秘密基地 ...

↑このシーンは、影山がツムの「おりこうさん」っていう言葉に悩んでたところから脱却したところ。

もともと影山は、自分でなんでもやろうとしてしまうタイプで、人を頼れなかった。でもぶつかり合いを通して、自分ではできないことを人に委ねることができるようになった。(意見を言い合うことで、独りよがりにならず、自立した?)

最後に

どうでしょうか。

自立って、難しい。

自立には、わかりやすい指標なんて存在しませんから、自分で判断していくしかない。

「自律」の方が良いのかもしれませんね。

「自分で自分を律しろ。」と、中学の部活の顧問の先生によく言われました。「律」はピアノの「調律」などにも用いられるように、「正しい状態に戻していく」という意味がある。

そういう意味で考えれば、自分を自分で調律するかのごとく、反省と改善を繰り返していくというのも、自律の一つなのかもしれません。

いろいろと考えてみると良いのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

 

 

 

 

【書籍紹介】Youtuber パーカーさんの日常と哲学 「一人の時間が僕を救う」

こんにちは。

今回は、パーカーさんの「一人の時間が僕を救う」について紹介していこうと思います。

 

 パーカーさんについてこの本のプロフィールから引用しておくと、

1999年生まれの大学生。

人見知り。コミュ障。

2019年より、ぼっち大学生の

リアルな日常動画をYoutubeに投稿。

飾り気のない不思議な魅力が話題となり、

大学生動画の人気チャンネルとなる。

好きな飲み物は水。

 

待て待て。

なんで水?

スタバ依存症なのに、水なのか。

自分の弱さも強みに変える

自分から、人見知りやコミュ障をネタにしているのが、面白い。

こんなところからもパーカーさんの考え方が見受けられる。

パーカーさんのいいところは、世間では短所と取られてしまうようなことも、自分の強みに変えているというところ。

自分のコンプレックスとしてネガティブにとらえるのではなくて、ネタに変えるところが魅力の一つなのではないでしょうか。

なかがき

僕が、この本の中で一番印象的だったのは、「なかがき」

そもそも、なかがきなんて、初めて見た。

大体コラムとか、そういう単語で終わらせるところを「なかがき」とあえてしているところも遊び心があっていいなと思った。

内容も、深い内容を語っている。

小さい頃から、他人の人生を生きてきた。

周りの目を気にしながらいつも行動していた。

本音をさらけ出せる場所がなく、親や先生、周りの大人たちの圧力に敏感だった。

なかがきの冒頭の一節。

この一節を読んだとき、なんとなく自分を重ねていた。

自分も内向的な性格であるし、人の気持ちとか、親の気持ちを優先させて自分を文字通り殺して生きていたときもあった。

多くの人は、子供の時には、親の言うことを聞く「いい子ちゃん」を演じてしまいがち。

だからこそ、今一人暮らしをして、親からも干渉を受けず、自分で決めて生きていることは本当に意義深いことだと思っている。

パーカーさん自身もそう思っているのではないだろうか。

執着を手放す

なかがきの最後には、次のように書いてある。

ひとりになって、あらゆる執着をデトックスする必要がある。

今の自分は余計なものを背負いすぎている。

 

本当に大事なことや、大切な人に出会うために、僕はひとりを選んだ。

 

 執着をデトックスする(手放す)と、生きるのが楽になる。

人は、世間や他人からも、環境からも、いろいろなところから影響を受けている。

だから、ともすると、自分ではない誰かの思い込み、価値観、考え方に執着してしまう。

そんな時は、ひとりになってみるのも大切なのだと思う。

最後に

もっと紹介したいことは、たくさんあるが、本を手に取ってみてほしい。

人生100年時代と言われ、非常に寿命が長い。

20年なんてあっという間で、人生の5分の1に過ぎない。

しかし、人間が20年無事に生きることは、本来奇跡なのだ。

人が20年間生きてきて、何もない、平々凡々な人生などありはしない。

 

パーカーさんの20年間をたったの1000円ぽっちで学べてしまう本って最高に素晴らしいと思いませんか?

 

 

 

 

神戸大学へ

神戸大学は、最近、何を怯えているのか知らないが、大学への入構を未だに禁止していたり、本当におかしいと思うことが多々ある。

それに関して書いていこうと思う。

大学への入構禁止は学生の人生を略奪する行為だ

なぜ、大学側がひたすらに遠隔授業を延期するのか、その真意は知らない。建前は、学生の安全性を考慮して、というのだろうが、本音は、ただ世間に叩かれるのを恐れているだけだ。ドイツに旅行をして、新型コロナにかかった大学生がいたが、それでかなり神戸大学は叩かれた。それがものすごくトラウマなのかもしれない。

 

大学への入構を禁止し、サークル活動を禁止する。そして、サークル活動をそれでも行った場合はペナルティを課すと言っている。

 

はっきり言って、大学になんの権限があって、そんなことができるのだ。

 

大学側はわかっていないだろうが、大学への入構を禁止し、サークル活動を禁止することは、学生の人生を奪っていることと同義。

学生の自由を侵害している。学生生活が4年だとして、8分の1の大学生活を略奪しようとしている。すでに16分の1の大学生活は奪われた。

たしかに、新型コロナが流行っていたときは仕方ないと思うが、今はどうだろうか?

外国人の入国も規制が緩和され始めている。県をまたいだ移動も規制が緩和された。神戸では新規感染者はゼロだ。

 

学生側ももっと怒るべきだ。

自分の貴重な大学生活を有無を言わさず、奪われているのに黙っている意味がわからない。

ただいたずらに、学生に対して不自由を強い、そして、何食わぬ顔で授業料はむしり取る。

はっきり言ってクズだ。

大学生活を返せないくせに、学生の自由は侵害し、生活を無意味に制限するのは甚だおかしい。

なんでもかんでも自粛する意味はないことは、今回よくわかったはずだ。

はっきり言って、マスクもする意味はない。

いくら政府がマスクをしろと言っても、今の状況でマスクをするのは、インフルエンザのときには全く考えないだろう。

誰もが思考停止に陥っている。

マスクをしている方が健康を害することも一部言われている。それにも関わらず、何も考えず、思考停止し、政府の言っていることを鵜呑みにして、それにただ無意味に従っている。

今の日本人はアホなのだ。

何も自分の頭で考えることができない。

自分で考えた上で、信頼性の高い情報を集めて、マスクをしているとは到底思えない。あくまで、「政府が言っているから」だ。

マスクだけだったらまだましなのだが、これは大学生でも同じ話だ。

フラクタルであり、構造は同じだ。

自分で考えることができないから、自分より上の立場の人間の言うことを鵜呑みにしてしまう。だから、神戸大学の上の人が言ったならそれに従わなければならないと思ってしまう。なんの根拠もないのにも関わらず。

新しいことに関しては、皆無知だ。

現に、新型コロナ関連で、政府も多くの失策を講じてきた。

失策をいちいち言い出すとかなり多くなるので、ここでは避けるが、かなり失策している。

神戸大学も失策している。

一番大事な失策というのは、リスクを全く取ろうとしないこと、リスクをゼロにできると考えていることだ。

リスクはゼロにはならない。なぜ、リスクを取れないのか。

それはただ、神戸大学のトップに気概がないからだ。だから果断に行動できないし、決断もできない。言ってしまえば、意気地なし。

とりあえず様子を見ておこう。という腰抜けなことしかできない。

それは、日本の政府も同じだ。

同じ権力構造だから、だめなのだ。

おそらく僕のような学生は目障りなのだろう。

得てして優秀なやつというのは、そういうところに疑問を持たない。(持てない)

前に今の大学はサラリーマン養成学校と化している。と書いたが、まさにその典型が神戸大学だ。

要は優秀なサラリーマンを養成する場でしかない。

優秀なサラリーマンというのは、自分で何かを考えることをせず、上の意見を鵜呑みにし、それに疑問も持たず「まあ、しょうがないか」で済ませることができる人間だ。そのような人間は上の人間からするととても扱いやすい。だから、企業と連携した授業もあったりする。それは企業が求める扱いやすいサラリーマンを養成したいだけ。そもそも国立大学の法人化が諸悪の根源だが、要はお金の問題なのだ。お金をもらいたいから、優秀なサラリーマンを養成する役目を買わざるを得ない。

優秀なサラリーマンに僕はなりたいとは思わない。

そんな人間はつまらないからだ。大企業に入りたいとも思わない。

自分で物事を考え、自分で判断し、自分の人生に責任を持ち、自分のことは自分で決めて行動していく人間でありたい。

今の神戸大学は、そんな人間を教育できる大学だとは思わない。

自分で自分のことを律し、自分で自分のことに責任を持つことのほうが、優秀なサラリーマンであることより大事だ。

優秀なサラリーマンは自分の人生を歩んでいない。

他人の人生を生きているだけだ。そんなつまらない人生は嫌だ。

僕は内向的で、口で説明するより、書いたほうがよく伝えられる。

だから今の大学に物申したい。

僕が大学に求めるのは、まずは、大学の全面開放。そして、サークル活動を許可すること。

本音を言えば、6月という緊急事態宣言後の一ヶ月の大学に行けなかった時間をすべて返せと言いたい。というか、大学生からそれだけの自由を奪ったのだから、その時間を返すのが当たり前だが、それは神でもない限り無理な話だ。だから、最低限、大学の施設の開放と、サークル活動の許可を求める。ものすごく譲歩している。それが嫌なら、大学の授業料は少なくとも前期の分は全額返金すべきだろう。これは、当たり前の話であり、当たり前の権利の主張。

 

神戸大生はもっと声を上げるべきだと思う。おかしいことはおかしいとはっきり言わなくては何も変わらない。

神戸大学はもっと良い大学であってほしい。そう切に願う。

【書籍紹介】生の短さについて セネカ

こんにちは。

生の短さについて 他2篇 (岩波文庫)

今回は、セネカの名著「生の短さについて」について紹介していこうと思います。

この本は、本当にすごい。

座右の書にしたいと思える本でした。

僕が、感動した文章を引用しつつ、少しだけ解説をしてみたいと思います。

 

冒頭の一文

死すべき身でありながら、大方の人間は自然の悪意をかこち、われわれ人間は束の間の生に生まれつく、われわれに与えられたその束の間の時さえ、あまりにも早く、あまりにも忽然と過ぎ去り、少数の例外を除けば、他の人間は、これから生きようという、まさにその生への準備の段階で生に見捨てられてしまうと言って嘆く。

解説

この文は、セネカの考え方を凝縮したような文章。

要は、人間というのは、死ぬ直前になってはじめて、生が限られている儚いものだと気づく。そして、それを気づいたときには既に時遅し。もう、それを気づいたときには残された時間はわずかしかなく、生に見捨てられると言って嘆くのだ。ということ。

多くの人は、この生を生ききっていないのだ。

毎日24時間を浪費して、無駄遣いをしてしまう。

逆に、生を浪費しない人には、十分すぎるほどの時間が目の前にあるのであり、その人は多くを学ぶことができる。

流行りの言葉で、言えば、時は金なり。

時間というのは、有効活用すれば、多大なる金、つまり価値を生み出す。

さらに、

われわれの享ける生が短いのではなく、われわれ自身が生を短くするのであり、われわれは生に欠乏しているのではなく、生を蕩尽(とうじん)する、それが真相なのだ。

と、セネカは説く。

さらに解説

ざっくばらんに、セネカの主張を表すならば、暇人は死人も同然だ。ということ。

暇をしているのではなく、何かしらの自分の成長、自己投資に時間を使うべきだと言い換えられると思う。

 

最後に

 

このように、セネカの主張は非常にわかりやすい。

 

セネカの主張は、非常に実用的だ。

非常にシンプルで、かつ合理的。

読んでいて、爽快な気分になる。

 

岩波文庫は、難易度が高めの本が多いが、セネカの「生の短さについて」は結構読みやすい。他に二篇も作品が収録されているが、どれも読みごたえがあり、非常におもしろい。

 

ぜひ、読んでみてほしい。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

では。

追記:スマホだけで、書いてみた。結構普通に書けたし、場所もとらないので、今後はスマホ中心で書こうかな。

 

 

 

 

 

 

政治批判と誹謗中傷の違い

こんにちは。

今回は、政治批判と誹謗中傷の違いについて書いていこうと思う。

政治批判

政治批判は、政治家を批判するものではなく、政治や政策に対する意見と捉えるべきだ。政治に対する批判はあるべきもので、多少言葉が汚くとも許容すべきだと思う。

いくら政治家が傷つくとはいえ、国家を守るための政治、政治家なのだから、そんなことに構っていられないのではないだろうか。

なんでもかんでも規制すればいいというものではなく、政策に対する意見には、柔軟に対応していくのが望ましい。

 

誹謗中傷

誹謗中傷は、個人に向けた、いわれのない、批判のこと。

つまり、なんの意味もない。誰かのためにもならなければ、ただ人を傷つけるだけのもの。

政治批判は、政治をよくしたい、国をよくしたい、という思いが多かれ少なかれある。

しかし、個人に向けた根拠のない批判はなんの価値もない。

犯罪者には誹謗中傷をしても無理はないし、同情はしないが、テレビのタレントや、有名人など、普通の人(特に悪いことをしたわけではない人)に対する批判はなくすべきだ。

最後に

そこの微妙な線引きはSNSの会社ができるかと言われれば、おそらく無理だろう。

どれだけ監視が必要になるのか検討もつかない。

個人個人がリテラシーやマナーを身につけるほかないと思う。

きっちり政治に対する意見や批判はするが、人は傷つけないのが大切だ。

そもそも、僕はネットで誹謗中傷したことないし、テレビのタレントなど興味がないので、誹謗中傷する人の気がしれないが。

とりあえず、誹謗中傷は無くす方向に向いているのは良いことだと思う。

では。